速かった。
その疾風の脚。
スギノハヤカゼ。
父Diesis(ダイイシス)、母Chaleur(シャルール)。母の父Rouge Sang(ルージュサン)。
1993年、4月21日。アメリカ・ケンタッキー州生まれ。
父はイギリス、母はカナダ、母父はアメリカ。
日本にゆかりの血など一滴も持たず、最も日本的な名をまとい走ったスギノハヤカゼ。
生涯33戦、すべて1600m以下。
道悪はからっ下手といえるベタ爪。
勝つ時は鮮やかすぎる速さを見せた。
強い馬じゃない、速い馬。
特異な個性を見せつけて駆け抜けたスギノハヤカゼ。
度重なる運気の無さ、運命に翻弄された馬でもあった。
1995年、10月。3歳(現表記2歳)新馬戦。芝1400m。
京都・淀競馬場、いきなり疾風(はやて)が緑のターフを突き抜けて行った。
ゲートを出るなり先頭を切った栗毛。
そのまま、他馬に影をも踏ませぬ逃げ切り。1分21秒8、レコードタイムで駆け抜けた。
続く2戦目、黄菊賞。芝1600m。
単勝1.8倍、断然の1番人気。
2番人気に、後に皐月賞を獲るイシノサンデー。
3番人気が、朝日杯2着になるエイシンガイモン。
先頭を切るも、直線、失速したスギノハヤカゼ。
1着イシノサンデー、2着エイシンガイモンに大きく離された4着に沈んだ。
12月、樅の木賞。芝1200m。
2着ロングリリーフに3馬身の差をつけ圧勝。
1996年。
京成杯(G3)を6着。
ヒヤシンスS1着、アーリントンカップ(G3)1着。連勝で重賞初制覇。
逃げ馬から次第に差し馬へと変身していった。
勢いに乗るか? と思われたニュージーランドトロフィー4歳S(G3)では、重馬場に脚を取られファビラスラフインの5着。
大目標、NHKマイルカップ(G1)は後方から差すも、タイキフォーチュンの5着。
速さは見せるが、強靭なすべてを蹴散らす脚はない。
G1の栄冠は遠い先にあった。
吹く風が行く先定まらず、気の向くままに流れるように・・・スギノハヤカゼは好走と凡走を繰り返していく。
中日スポーツ賞4歳S(G3)では、5番手から疾風の差し脚。スキーミュージックを切って捨てた。
セントウルS(G3)では3着に留まるも、スワンS(G2)では後方11番手から直線、音もなく風となって、吹き抜けた。
ビコーペガガサス、マサラッキ、シンコウキング、フジノマッケンオー・・・短距離界の強者を相手に、芝1400m、1分19秒3、当時の日本レコードで差し切った。
続くマイルチャンピオンS(G1)では8着。スプリンターズS(G1)も5着と敗れた。
強さに非ず、速さなり。
速さを出せないレースは、まったくもって凡走。
それが、スギノハヤカゼ。
1997年。
ダービー卿チャレンジ・G3(1600m)6着、京王杯スプリングカップ・G2(1400m)6着、高松宮杯・G1(1200m)4着、安田記念・G1(1600m)13着。
セントウルS・G3(1400m)2着、スワンS・G2(1400m)2着、マイルチャンピオンS・G1(1600m)7着、CBC賞・G2(1200m)1着。
明確に見えてきた。1400m、1200mでの速さ。
5歳、スギノハヤカゼ。気まま風に任せていては、明日はない。
速さで勝ち獲らねば、G1の冠。
12月14日。スプリンターズS。芝1200m。
後方から、直線、何がなんでも、がむしゃらに、風になった。
自らが巻き起こした風、馬群を斬り裂いた。
高松宮杯、スプリンターズSの覇者フラワーパークを交わし、
気鋭の4歳スプリンター・ワシントンカラーをとらえ、
見えたか、栄冠。
いや、前にいた一頭。
とんでもない強者。
世界レベルの短距離王タイキシャトル。
速さ自慢のスギノハヤカゼが、なりふり構わず、己が身を突き動かした。
だが、タイキシャトルの強さを凌駕することはなかった。
1馬身4分の3差。変わることのない永遠の2着。
1998年。
シルクロードS4着のあと、挑んだG1。
今度は、雨に祟られた。
風吹かぬ、重い雨を背に受けて、ぬかるみを走った高松宮記念11着、安田記念9着。
ベタ爪スギノハヤカゼに、天はあざ笑ったかのような仕打ち。
骨折休養。
フレグモーネ、繋靭帯炎・・・襲ってくる脚部不安と闘いつつ走ったスギノハヤカゼ。
往年の速さは、影を潜めた。
4,6,15,18,8,3,12,18着。
8歳まで走った。
意地を見せたスワンS3着も、一瞬に吹いた風に過ぎなかった。
2000年、11月のマイルチャンピオンS18着をもって引退。
2002年。CBスタッドで種牡馬として供用されたが、産駒数はゼロのまま廃用。
廃用されたその年、11月29日。
疝痛により死亡した。
疾風(はやて)の逃げ脚でレコードを刻み、
疾風(しっぷう)の差し脚で、見る者の心を打ち抜いた。
強者にはなり切れなった。
風とともに、ターフに躍った速き者、
スギノハヤカゼ。
青い目の日本馬。
その疾風の脚。
スギノハヤカゼ。
父Diesis(ダイイシス)、母Chaleur(シャルール)。母の父Rouge Sang(ルージュサン)。
1993年、4月21日。アメリカ・ケンタッキー州生まれ。
父はイギリス、母はカナダ、母父はアメリカ。
日本にゆかりの血など一滴も持たず、最も日本的な名をまとい走ったスギノハヤカゼ。
生涯33戦、すべて1600m以下。
道悪はからっ下手といえるベタ爪。
勝つ時は鮮やかすぎる速さを見せた。
強い馬じゃない、速い馬。
特異な個性を見せつけて駆け抜けたスギノハヤカゼ。
度重なる運気の無さ、運命に翻弄された馬でもあった。
1995年、10月。3歳(現表記2歳)新馬戦。芝1400m。
京都・淀競馬場、いきなり疾風(はやて)が緑のターフを突き抜けて行った。
ゲートを出るなり先頭を切った栗毛。
そのまま、他馬に影をも踏ませぬ逃げ切り。1分21秒8、レコードタイムで駆け抜けた。
続く2戦目、黄菊賞。芝1600m。
単勝1.8倍、断然の1番人気。
2番人気に、後に皐月賞を獲るイシノサンデー。
3番人気が、朝日杯2着になるエイシンガイモン。
先頭を切るも、直線、失速したスギノハヤカゼ。
1着イシノサンデー、2着エイシンガイモンに大きく離された4着に沈んだ。
12月、樅の木賞。芝1200m。
2着ロングリリーフに3馬身の差をつけ圧勝。
1996年。
京成杯(G3)を6着。
ヒヤシンスS1着、アーリントンカップ(G3)1着。連勝で重賞初制覇。
逃げ馬から次第に差し馬へと変身していった。
勢いに乗るか? と思われたニュージーランドトロフィー4歳S(G3)では、重馬場に脚を取られファビラスラフインの5着。
大目標、NHKマイルカップ(G1)は後方から差すも、タイキフォーチュンの5着。
速さは見せるが、強靭なすべてを蹴散らす脚はない。
G1の栄冠は遠い先にあった。
吹く風が行く先定まらず、気の向くままに流れるように・・・スギノハヤカゼは好走と凡走を繰り返していく。
中日スポーツ賞4歳S(G3)では、5番手から疾風の差し脚。スキーミュージックを切って捨てた。
セントウルS(G3)では3着に留まるも、スワンS(G2)では後方11番手から直線、音もなく風となって、吹き抜けた。
ビコーペガガサス、マサラッキ、シンコウキング、フジノマッケンオー・・・短距離界の強者を相手に、芝1400m、1分19秒3、当時の日本レコードで差し切った。
続くマイルチャンピオンS(G1)では8着。スプリンターズS(G1)も5着と敗れた。
強さに非ず、速さなり。
速さを出せないレースは、まったくもって凡走。
それが、スギノハヤカゼ。
1997年。
ダービー卿チャレンジ・G3(1600m)6着、京王杯スプリングカップ・G2(1400m)6着、高松宮杯・G1(1200m)4着、安田記念・G1(1600m)13着。
セントウルS・G3(1400m)2着、スワンS・G2(1400m)2着、マイルチャンピオンS・G1(1600m)7着、CBC賞・G2(1200m)1着。
明確に見えてきた。1400m、1200mでの速さ。
5歳、スギノハヤカゼ。気まま風に任せていては、明日はない。
速さで勝ち獲らねば、G1の冠。
12月14日。スプリンターズS。芝1200m。
後方から、直線、何がなんでも、がむしゃらに、風になった。
自らが巻き起こした風、馬群を斬り裂いた。
高松宮杯、スプリンターズSの覇者フラワーパークを交わし、
気鋭の4歳スプリンター・ワシントンカラーをとらえ、
見えたか、栄冠。
いや、前にいた一頭。
とんでもない強者。
世界レベルの短距離王タイキシャトル。
速さ自慢のスギノハヤカゼが、なりふり構わず、己が身を突き動かした。
だが、タイキシャトルの強さを凌駕することはなかった。
1馬身4分の3差。変わることのない永遠の2着。
1998年。
シルクロードS4着のあと、挑んだG1。
今度は、雨に祟られた。
風吹かぬ、重い雨を背に受けて、ぬかるみを走った高松宮記念11着、安田記念9着。
ベタ爪スギノハヤカゼに、天はあざ笑ったかのような仕打ち。
骨折休養。
フレグモーネ、繋靭帯炎・・・襲ってくる脚部不安と闘いつつ走ったスギノハヤカゼ。
往年の速さは、影を潜めた。
4,6,15,18,8,3,12,18着。
8歳まで走った。
意地を見せたスワンS3着も、一瞬に吹いた風に過ぎなかった。
2000年、11月のマイルチャンピオンS18着をもって引退。
2002年。CBスタッドで種牡馬として供用されたが、産駒数はゼロのまま廃用。
廃用されたその年、11月29日。
疝痛により死亡した。
疾風(はやて)の逃げ脚でレコードを刻み、
疾風(しっぷう)の差し脚で、見る者の心を打ち抜いた。
強者にはなり切れなった。
風とともに、ターフに躍った速き者、
スギノハヤカゼ。
青い目の日本馬。