プリサイスマシーン=精密機械。



1999年、3月13日。北海道白老郡・白老ファームで生まれたプリサイスマシーン。

父マヤノトップガン、母ビーサイレント。母の父サンデーサイレンス。


母ビーサイレントは1勝馬も、祖母グローバルダイナは重賞3勝、エリザベス女王杯3着、宝塚記念3着。


良血の血を受け継いでいた。


セレクトセールで840万円で売られた。最低価格。



不遇は生まれた時からあった。

母ビーサイレントは気性が荒く、初仔ジェイケイテイオーも、2番仔にあたるプリサイスマシーンも面倒を見なかった。

母がいるのにもかかわらず、乳母に育てられたプリサイスマシーン。


身に起こる境遇を受け入れるしかなかった。




2002年、2月。3歳デビュー。

地方競馬、川崎競馬場だった。ダート1400mで2着馬を7馬身ぶっちぎった。


10月まで5戦して、すべて勝った。




2003年。中央競馬、美浦・萩原清厩舎に入厩。

勝って、勝って、中央へ成り上がり。


身に起こる境遇を受け入れ、だが甘んじることなく先を見つめた。


「こんなに素直で乗りやすい馬はいない」

中央入り当初、数多く乗った後藤浩輝は驚いた。


1000万下条件をダートを中心に5,4,2,6(芝),1着。


1600万下6着のあと、1000万下、1000万下、1600万下を3連勝。

オープン馬となった。


ペルセウスS・ダート1800mを3着のあと、カシオペアS・芝1800mを1着。

中日新聞杯(G3)芝1800m、3番手から1番人気カンファーベストをクビ差振り切り、重賞初制覇。


1年で12走。逃げ・先行の戦法、展開に合わせて好位付け。

精密機械のように、最良の位置取りをつかみ、走り抜いた。


一歩、一歩、ランクアップとともに力をつけ、対応してきた。


以降、すべて重賞挑戦。

手は抜けない。手を抜く気もないプリサイスマシーン。




2004年。

中山記念(芝)5着、マーチS(ダート)2着、群馬記念(ダート)2着。ペルセウスS(ダート)2着。

毎日王冠(芝)4着、マイルチャンピオンS(芝G1)5着、中日新聞杯(芝)1着。


ダートならダート仕様、芝なら芝仕様。センサーを変え、走るシステムを変え、対応した。


走る精密機械、プリサイスマシーン。




2005年。

6歳となったプリサイスマシーンは、4月、マイラーズカップ(芝)でローエングリーンのクビ差2着のあと体調不良を起こした。


休養放牧。


マシーンに変化か?



10月、復帰戦はダートG1、マイルチャンピオンS南部杯。

ユートピア、シーキングザダイヤ、タイムパラドックスに敗れ4着。




2006年。

芝・ダート問わず1800mを中心に走り込んできたプリサイスマシーン。

1200m・1400m・1600m、短距離中心に路線変更がなされていった。


7歳にして、新たなる挑戦。



3月26日、高松宮記念(芝G1)、オレハマッテルゼの4着。

マイラーズカップ(芝)5着のあと、カキツバタ記念(ダート)2着、函館スプリントS9着。



10月、スワンS。芝1400m。18頭立14番人気。

4番手から抜け出し、シンボリグラン、アグネスラズベリに半馬身、半馬身の1着。


7歳マシーンは、さらに進化するのか?


11月19日、マイルチャンピオンS(芝G1)はダイワメジャーの6着。


12月、阪神カップ(芝)はフサイチリシャールのクビ差、2着。




2007年。

2月、阪急杯(芝1400m)。

道中6番手、まったく同じ位置から追い出したエーシンドーバーと、熾烈な戦い。


同着となった。


京成杯のヤマニンセラフィム、ローマンエンパイア以来の重賞同着優勝。



3月23日、高松宮記念(芝G1・1200m)。

逃げるディバインシルバー、エムオーウイナー。

シーイズトウショウ、オレハマッテルゼが追う。


その後につけたプリサイスマシーン。


中京の短い直線。


オレハマッテルゼもシーイズトウショウも抜いた。

一気に先頭に立った。


8歳、衰えを知らぬプリサイスマシーン。


5歳、1番人気のスズカフェニックスが脚を伸ばしてきた。



うぬぬっ、負けぬ!



精密マシーンの計算を超えた末脚で、スズカフェニックスは横を突き抜けて行った。

2馬身2分の1差、完敗だった。


さらに、後方から追い込むペールギュントにクビ差、差され3着。


8歳馬プリサイスマシーンには、限界能力だったか?



ブレることのないマシーンに狂いが出始めた。


京王杯スプリングカップ(芝)9着。北海道スプリントカップ(ダート)2着。

スプリンターズS(芝G1)7着、JBCスプリント(ダートG1)2着。

阪神カップ(芝)10着、兵庫ゴールドトロフィー(ダート)2着。


ブレかけては修正し、ブレかけては修正したプリサイスマシーン。

変える部品など持たない、生身のサラブレッド。


ひたすら、心に修正をかけるだけだった。



マシーンなんかじゃない。



耐える心、我慢の心を貫き通しただけのプリサイスマシーン。



体力の限界を心で補ってきた、ただそれだけ。




幼い頃より、常につきまとった不遇。


競走馬として軽んじられ、誰よりも安く買われ、走らされた。


嘆く心に蓋をして、つねに前を見た。



ダートであろうと、芝であろうと、中距離であろうと、短距離であろうと、


与えられた課題、突き付けられた現実、


走り抜いてやる。


すべてに対応、マシーンのように走る心の奥底で、

赤く燃えていたプリサイスマシーン。




2008年。

9歳となって、ガーネットS(ダート)8着、中山記念(芝)8着、高松宮記念(芝G1)13着。


ついに、体力は限界を迎え、気力は限界を超えた。



引退。



44戦14勝、2着10回、3着2回。重賞4勝。

生涯獲得賞金5億830万2000円。

購買価格840万円。




プリサイスマシーン。



冷静沈着、



精密機械。




熱き心は、ひたすら胸に秘めて、走り抜いた。






引退後、いま、中山競馬場で誘導馬として第二の馬生を送っている。

異形ともいえる流星。額から細く曲がりながら伸びた流星が、突然、鼻・口を覆うような大流星に変わる。

へんてこ流星を持つ鹿毛の馬、それがプリサイスマシーンだ。