Vigorous(ヴィグラス)=成長ある。


進化続ける馬。



サウスヴィグラス。

父エンドスィープ、母ダーケストスター。母の父スタードナスクラ。


1996年、4月19日。アメリカ生まれの栗毛の快速馬。

ダート、1200m限定というピンポイントの条件でスピードを追求した。


エンドスィープ、フォーティナイナー、ミスタープロスペクターと辿るサイアーライン。

父エンドスイープは2000年から日本で供用され、わずか3世代を残して2002年に急逝してしまった。外国産馬として輸入されていたサウスヴィグラスに代表されるように、ダートで活躍する馬を輩出するばかりでなく、スィープトウショウ(秋華賞、宝塚記念、エリザベス女王杯)、ラインクラフト(桜花賞、NHKマイルC)、アドマイヤムーン(宝塚記念、ジャパンカップ)、芝のG1馬も輩出。


母父スタードナスクラは15勝も重賞はG2・1勝のみ。比較的地味といえる母系だ。




1998年、11月。新馬デビュー。東京・ダート1400m。

7番人気。さほど注目もされなかったサウスヴィグラス。

2番手を追走、そのままの2着。



評価を一変させたのは次走、中山の未勝利戦だった。

ダート1200m。3番人気だったサウスヴィグラスは逃げて、単勝1.8倍の1番人気ディアブロナカヤマを3馬身半、ちぎった。


さらに、朱竹賞(ダート1200m)でも2番手から抜け、リワードアイゼンに3馬身半の圧勝。


ヒヤシンスS(ダート1400m)2着のあと、クリスタルC(G3)で芝1200mに挑戦するが、11着。



元来、脚元に弱さをもっていたサウスヴィグラス。使い込めない。

時折、芝に挑戦。ダート1400mでは勝てない。



いろんな状況が混ざり合って、橿原Sを勝利してオープン入りしたのは2001年。15戦目、5歳の2月だった。


芝2戦0勝。

ダート1400m・1600m、5戦2着5回。

ダート1200m、8戦6勝3着2回(3着はオープン、重賞レース)。


極端なまでのダート1200mのスペシャリスト。

だが、ダート1200mレースの重賞に数あるわけではない。G1は地方交流JBCクラシックのみ。


進化あるのみ。


挑戦。



武蔵野S(ダート1600m)では、クロフネの怪物ぶりの前に17着。

フェブラリーS(ダート1600m)ではアグネスデジタルの6着。


辛酸を舐めた。



2002年、3月。6歳、サウスヴィグラス。

黒船賞(G3)、ダート1400m。

逃げてノボジャックを1.6秒ぶっちぎった、勝利。


5月、かきつばた記念(G3)、ダート1400m、1着。

6月、北海道スプリントC(G3)、ダート1000m、1着。

8月、クラスターC(G3)、ダート1200m、1着。


2003年。7歳。

2月、根岸S(G3)、ダート1200m、1着。

6月、北海道スプリントC(G3)、ダート1000m、1着。


重賞6連勝を飾った。


間には骨折休養も挟み、それでも進化し続けた。




またも軽度の骨折休養。



10月、東京盃(G2)ダート1190m。

骨折明けとあって、ハタノアドニスの2着と敗れる。



7歳暮れ。サウスヴィグラスのラストランが定められた。


JBCスプリント(G1)ダート1190m。


最後に、1200mのスペシャリストとして、勝たねばならない『冠』。



(つづく)