2012年、7月29日。
小倉新馬戦、芝1200m。4番人気。
パドックから馬っ気を出して荒れ狂う、悪ガキぶり。
マイネルエテルテルから2.1秒も離された9着。
去勢されてしまった、ヤマノレオ。
9月29日、阪神未勝利戦、ダート1800m。
勝ち馬コスモコルデスから11.2秒も離れた最後方をトボトボ、ゴールへたどり着いた。
去勢された怒りか?
血を繋ぐことを剥奪された2歳馬。
辛く悲しい出来事。
君の能力を生かすため。
競走馬として、勝てなくては明日がない。
明日も、元気に走り続けるために、結果が求められる競走馬の世界。
君の気性は妨げになる。
君に関わる人々は、断腸の思いの決断。
きっと、そうだよ。
なぜなら、君の中に流れる血は一人の厩務員が命がけで守ったもの。
マヤノレオ。
父グラスワンダー、母カチョウフウゲツ。母の父ラムタラ。
カチョウフウゲツの母はワカクモライン。
その母はイチワカ。
イチワカの母はワカクモ。その母は「クモワカ伝貧事件」で知られるクモワカ。
1952年、京都競馬場所属馬の間で「馬伝染性貧血」が流行、クモワカは感染馬と診断され、殺処分が命じられた。隔離厩舎におかれることとなったクモワカは、ある日、忽然と姿を消した。
「絶対にクモワカは伝貧なんかじゃない。殺させはしない」
厩務員がクモワカを連れて逃げた。
クモワカと厩務員との長い長い逃避行。辛い苦難を乗り越え、北海道早来町・吉田牧場に落ち延びた。
殺処分命令からの4年の歳月が、クモワカが生きていることが、伝貧が誤診であることを証明した。
大罪覚悟でクモワカを連れ出した厩務員。一頭の馬と厩務員の果てしない旅は、強い強い愛情で支えられていた。
クモワカは桜花賞馬ワカクモを産むこととなり、ワカクモの第2仔が悲運の貴公子テンポイントであり、イチワカはテンポイントの全妹となる。
マヤノレオの中にあるクモワカの血。
繋ぐことはできなくとも、
走って勝って、生きて・・・生きて走ることが、一族の願い。
12月2日。中京未勝利戦、芝1600m。
スタート3番手から7番手まで下がったヤマノレオは、直線、盛り返した。
決して、負けない。
闘争心を見せ、先頭に立つラッキーストロークに迫り、ハナ差届かずの2着となった。
12月16日。中京未勝利戦、芝1400m。
18頭立て15番手。後方一気の差しを決めた。
最速の上がりで他馬を蹴散らし、2着馬ケイアイアラシに1馬身4分の1の差をつけた。
初勝利。
明日が見えた。
競走馬として、一歩を刻んだ。
突き進むのみ。
辛さも怒りも、すべて闘争心に変えて、
ヤマノレオは走る。
遠き遠き一族の誇りを胸に、
明日を斬り裂く。