モンテオーカン。

父ヒンドスタン、母マリアドロ。母の父ビッグゲーム。

1967年生まれ。


5冠馬シンザンをはじめ、多くの名馬を輩出した日本における大種牡馬ヒンドスタン。7度のリーディングサイアーに輝き、ヒンドスタン時代を築いた。

そのヒンドスタンを父に、母はイギリスから輸入された良血。それがモンテオーカンだった。

競走馬として9勝したが、むしろ、母としてその名を残す名牝。



北海道浦河にある杵臼斉藤牧場。無名の弱小牧場でモンテオーカンは繁殖生活を始めた。

そこには、一人の男の情熱と行動があった。



杵臼斎藤牧場の跡継ぎ息子、斉藤繁喜氏は偶然モンテオーカンの走りを見て、惚れ込んだ。


なんとか預託馬として預けてもらえないものか? 真剣に考えた。

「何の面識もない牧場に、あんないい馬を預けてくれる馬主や調教師がどこにいる」

父親に諭された。


それでも動かずにはいられなかった繁喜氏は上京した。


モンテオーカンを預かる美浦の名門・松山吉三郎厩舎。突然訪れた23歳の若者。

「引退後のことなど考えていない」

当然のごとく追い返した。


ことあるごとに上京し、繁喜氏は松山師を訪ねた。


無謀ともいえる望み。色よい返事など、もらえるワケがない。



3年という年月が経ち、モンテオーカンが現役を引退する時がやってきた。

松山師は馬主・毛利喜八氏に話を切り出したのだ。


「3年間、モンテに恋焦がれている男がいます」


繁喜氏の情熱に負けたか、松山師は馬主・毛利氏に杵臼斎藤牧場にモンテオーカンを預けるよう勧めた。



有り得ない出来事が有り得た。一人の男の情熱が、美浦の大御所を動かした。



古い古い、戦後といわれた時代。

『情熱』という言葉が、まっすぐに胸に沁み込めた時代。


そこには、打算のない馬に対する一途さがあった。




杵臼斎藤牧場で繁殖生活を始めたモンテオーカン。産駒は決して順調とはいえなかった。


競走馬となる前に死亡した第1仔。

体質の弱さに競走生活を危ぶまれた第2仔。

期待した馬体とは、ほど遠かった第3仔。



不安と焦りもあった。

だが、情熱だけは失わない繁喜氏。

きっと、きっといい仔が・・・。



モンテオーカンの4番仔に、希望の輝きを見た。

父シーホーク。1977年4月1日生まれ。鹿毛の牡馬は、生まれた時から垢抜けた馬体で周囲の評判を呼んだ。


後に『太陽の王子』と異名をとったモンテプリンスだ。



翌年、1978年、5月31日、同じシーホークを父にもつ兄より大柄な鹿毛の仔が生まれた。

世間は兄モンテプリンスに注目したが、繁喜氏は器の大きさではこの馬、と高く評価した。


それが、モンテファストだった。




モンテプリンス、モンテファスト。



1歳違いの兄と弟。



美浦、名門・松山吉三郎厩舎で競走生活を始めることとなる。





波乱万丈の舞台が、



兄弟には待っていた。




(つづく)