2011年、12月20日。有馬記念を前に、映画監督・森田芳光が亡くなった。

1983年、『家族ゲーム』が懐かしい。

今年3月に公開された『僕達急行 A列車で行こう』が遺作となった。


競馬好きで知られ、

1986年、5月29日生まれの社台レースホースのリアルバースデー。その一口馬主であったのは有名。



リアルバースデー。

父リアルシャダイ、母ヨドセローナ。母の父エルセンタウロ。


誕生日がダービー開催日と近いことから、ダービー馬になって自らお祝いを……と名付けられたリアルバースデー。




1988年、8月デビューもダービーの期待とは遠く、5着、3着、2着、1着。


初勝利は1989年、3月だった。



長距離向きのリアルシャダイに、母父が天皇賞馬ニチドウタローを出しているエルセンタウロのリアルバースデーにとって、芝1000mからの出発は酷だったのかもしれない。


山桜賞(400万下)芝1600mを2着のあと、芝2200m・新緑賞(400万下)を勝利。

ダービーめざしてNHK杯(G2)芝2000mに挑戦。


10番人気も、後方からトーワトリプルの2着に突っ込み、ダービー出場を決めた。



5月28日。ギリギリ間に合った日本ダービー。

リアルバースデーにとって、誕生日前日。一日早いリアルバースデーとなるか?



精鋭24頭が殺到する1コーナー、20番枠から飛び出したリアルバースデーは、素早く4番手につけた。


人気は6番人気でも、勝つ気で臨む。


自ら祝うバースデー。



直線、1番人気ロングシンホニーも、2番人気マイネルブレーブも置き去りにした。

2番手から抜け出したトーワトリプルを交わし、先頭に立った。


あとはゴールをめざすだけ。


あと一歩、あとわずか・・・襲ってきたのは皐月賞2着馬、ウィナーズサークルだった。


皐月賞では道営の雄・ドクタースパートに半馬身及ばず、苦汁を舐めたウイナーズサークル。


ダービーに懸ける思いは熱く、リアルバースデーの夢を打ち砕いた。



半馬身差された2着、リアルバースデー。

リアルに、一歩早かった。




秋こそ、得意距離の菊花賞で栄冠を。

めざしたリアルバースデー。


セントライト記念5着、京都新聞杯3着。


菊花賞は6番手で溜めすぎたか? バンブービギン、レインボーアンバーにわずかに届かず、3着。



有馬記念は連戦の疲れが出たか? 16頭立て16着。惨敗。



1990年。

アマリカジョッキーC、3着。目黒記念、4着。日経賞4着。


オールカマー、5着。京都大賞典、2着。天皇賞秋、9着。アルゼンチン共和国杯、2着。


勝てない。何かが足りない。あと一歩。

早かったダービー。


すべてが、あの日に戻ってしまう。

一日早かったリアルバースデー。


払拭するは、我にあり。




12月23日。有馬記念。

オグリキャップ引退レース。


平成のアイドル、『芦毛の怪物』オグリキャップ。

天皇賞秋6着、ジャパンカップ11着。その強さの消えたオグリキャップに訪れたラストラン。


人々は中山に集結した。17万人を超える入場者。

オグリ限界説のさ中、その雄姿を心に刻もうと人々は集った。


1番人気はホワイトストーン、2番人気メジロアルダン、3番人気メジロライアン。

シビアな人気は4番人気にすぎないオグリキャップ。


多くの馬にチャンスはあった。


リアルバースデー、8番人気も自信はあった。

いや、この大観衆、大歓声。たとえオグリのためではあっても、燃えぬわけにはいかない。


すべてを忘れ、走りに集中した。



逃げるオサイチジョージ。

ヤエノムテキ、メジロアルダンが続いた。


そのあとを追うリアルバースデー。


ダービーと同じ4番手で息を殺した。


勝負はまだ先、我慢だ、我慢。


すぐ後ろにいるオグリキャップ、ホワイトストーン。


メジロライアンはさらに後ろで爪を研ぐ。



向う正面からミスターシクレノンが動いた。呼応してメジロアルダン。


その後ろから、ジワーッと上がるリアルバースデー。

手応えは十分。

鞍上・大崎昭一は機を待った。



3コーナーから4コーナーへ。

満を持してメジロアルダンとともに、オサイチジョージに迫るリアルバースデー。


直線へ。


その時だ。



鈍い音がした。




蒼白になる大崎。




ズルズルズルッ、下がるリアルバースデー。




場内は誰も気づいていなかった。

外を通って押し上げるオグリキャップに、釘付けになっていた。



奇跡の復活! オグリキャップが先頭に躍り出て、メジロライアンの追撃を4分の3馬身防いだ。



語り草となる『オグリコール』。


場内を揺るがす大合唱の中、リアルバースデーは11着で入線、秘かに馬場を去った。


レース後、診断の結果、骨折が判明した。




引退を余儀なくされた骨折。


ついに重賞さえ勝つことなく、ターフを去った。




ノーザンホースパークで乗馬として第二の馬生を送ったリアルバースデー。




ついに、バースデーを自ら祝えなかった呪縛から解きほぐされることはなかったが、



精一杯走った。



その思いだけは、心を解き放してくれた。




自由に、




第二の馬生を謳歌した。





リアルバースデー、




5月28日、





あの日が、すべてだった。