菊花賞馬アサカオーを出した牧場をつぶせない・・・、

唯一の誇りを胸に耐える弱小牧場。



この馬でダービーを獲ってみろ!

一調教師の熱い思い、救われたダメダメ騎手。



関わる人々の希望を背に、アイネスフウジンは過酷な競走馬戦線に踏み出した。


1989年、9月。新馬戦、中野英次を鞍上に2着。

続く折り返し新馬戦(当時は新馬戦を2度出走可能)も2着。

10月、未勝利戦を逃げて勝利した。


12月17日、朝日杯3歳(現表記2歳)S。

未勝利勝ち後に、加藤師はG1に出走させた。

無謀ともいえる挑戦。だが、加藤師に躊躇はなかった。


「こいつは走る」ひと目見て惚れ込んだ馬。

アイネスフウジンの力を見せる時。


レースは2番人気、快速サクラサエズリが逃げた。

出だしこそ遅れたアイネスフウジンは、強引にサクラサエズリを追った。


3ハロン・33秒7、1000m・56秒9。


2頭がつくる暴走ペース。2頭とも潰れる。誰もが思った競り合い。

だが、直線に入っても脚色が衰えない2頭。


中野英次は改めてアイネスフウジンの凄さを知った。

直線半ば、サクラサエズリを振り切って、さらに伸びる。


ゴールではサクラサエズリに2馬身半の差をつけていた。

1分34秒4。

電光掲示板に映し出されたタイムに、どよめきが起こった。


13年前、怪物マルゼンスキーが2着馬を大差引き離して叩き出したレコード。

同タイムだった。



未勝利を勝ったばかりのアイネスフウジンが、怪物に並んだ。



故郷北海道で、テレビ観戦をしていた中村牧場の中村吉兵衛・幸蔵父子。

92歳となる吉兵衛氏は余命幾ばくもない身で伏せっており、幸蔵氏とともにテレビ画面に食い入るしかなかった。

勝利の瞬間、二人はあふれる涙をとめなかった。手を握り、何度もうなづき合った。


2週間後、吉兵衛氏は安らかに永眠した。




1990年。4歳クラシック。

2月、共同通信杯4歳S、逃げ切り勝ち。

3月、弥生賞。重馬場に脚をとられたアイネスフウジンは直線失速、4着と敗れた。

勝ったのはクラシック戦線最大のライバルとなるメジロライアンだった。



4月15日、皐月賞。

1番人気となったのは、アイネスフウジン。


スタート、飛び出そうとするアイネスフウジンにアクシデントが起こった。

隣の枠のホワイトストーンがいきなり斜行、大きくバランスを崩したアイネスフウジン。


それでもアイネスフウジンはすぐに巻き返し、2番手につけた。

何事もなかったように走るアイネスフウジン、中野は恐れ入った。


普段のおとなしさは甘えん坊じゃない。何事にも動じない芯の強さから来るものだ。


4コーナーで先頭に立ち、直線、逃げるアイネスフウジン。

ゴールが見えた!


その瞬間だった。


外から、白い影が迫ってきた。


メジロライアンじゃない。初代アイドルホース・ハイセイコーの仔、ハクタイセイだった。

未勝利戦から5連勝、関西の刺客ハクタイセイが、芦毛の馬体を躍らせて迫ってきた。


さすがに余力にないアイネスフウジン、耐えるのが精一杯だった。


追いつかれ……並ばれ……クビ差、前に出られた。



そこが、ゴールだった。



ハクタイセイに父仔2代皐月賞制覇を許してしまった。


1馬身4分の3差、3着に突っ込んだメジロライアンとともに、3強を形成することとなった日本ダービー。



ハイセイコーが断然人気を背負いながら3着に敗れたダービー、仔が雪辱して2冠を…。

盛り上がる人気のハクタイセイ。


天皇賞3200mを獲れる馬づくり。天皇賞馬、菊花賞馬を輩出してきた名門メジロ牧場。

悲願のダービー馬、獲れる器がメジロライアンだった。


無名の血が、朝日杯の驚異のレコードで狼煙を上げたアイネスフウジン。

父シーホークの長距離の血も軽んじられ、マイラーと見られ距離不安説が飛び交った。


さらに、


「実力ある騎手を乗せるべき」

「中野じゃ勝てない」


雑音が広がり、波紋となった。



だが、乗り替れ! という声を立ち消したのは加藤師だった。


「栄治、お前のせいで負けたんじゃない。おれが一番よく知っている。最後までお前に任せるからな」


有難かった。


中野の胸に、あの日の出来事から、すべてが去来した。

「ダービーを獲ってみないか?」

加藤師の言葉。


アイネスフウジンとの出会い。

何のてらいもなく、中野の指をしゃぶるアイネスフウジン。

乗った時に感じた素晴らしい感触。


オレは、オレは、絶対、ダービーを獲らせてやる!


中野は誓った。


(つづく)