有り得ないことが有り得た馬。


それがコスモドリームだったか?

父ブゼンダイオー、母スイートドリーム。母の父ラッキーソブリン。


1985年、6月13日。北海道白老町・上田牧場で生まれたコスモドリーム。

母スイートドリームがごく普通の繁殖牝馬なら、生まれてくることがなかった馬だった。


かつて「ブゼン」「ホウシュウ」の冠で知られた大馬主・上田清次郎氏。

上田氏が後年、白老に開設し馬産に乗り出したのが上田牧場だった。


その上田牧場の期待の繁殖牝馬スイートドリームには、とんでもない悪癖があった。

後ろに立った馬を蹴り上げるのだ。


高価な馬を種付けするにはリスクが大きかった。


そこで宛がわれたのが、上田牧場で自家用種牡馬兼当て馬として過ごしていたブゼンダイオーだった。

種牡馬としてわずかな産駒を出したが、中央で走ったのはブゼンミドリ1頭のみ。しかも3戦着外、賞金0。

生まれてくる仔に期待は、なかった。


スイートドリームに悪癖がなければ、生まれてくることもなかった。


むしろ期待は、繁殖を経験することによって悪癖が治ることだったかもしれない。



そんなコスモドリームだったが、医師であり馬主である田邉廣己氏に買われることとなった。

故障やアクシデント続きで走れる所有馬のいなくなった田邉氏から要望されて、コスモドリームは買われていった。

運よく中央競馬でのデビューの道を得たのだ。




1988年、1月。栗東・松田博資厩舎からデビューしたコスモドリーム。

鞍上は1986年デビューしたばかりの若き熊沢重文だった。


1200mダート戦、出遅れて追い上げて3着。

2戦目、1800mダート、出遅れながら後方からマクり、2着馬に大差をつけた。

3戦目はダート1800m、梅花賞。またも出遅れた。3着。


不器用なほどに出遅れたコスモドリーム。

「桜花賞に出したい」松田師は途方もない夢を描いた。


3月、桜花賞トライアル・チューリップ賞。

コスモドリームは出走した。

あまりに地味なシンデレラを華やかな舞踏会に・・・、厩舎全体の思いでもあったが、ゲートが開くとともに夢は潰えた。


コスモドリームは鞍上・熊沢を振り落してしまったのだ。


この年デビューしたばかりの『若き天才』ともいわれた岡潤一郎(1993年、落馬事故により死亡)に鞍上は替り、400万下条件戦2着、はなみずき賞勝利。


桜花賞出走は逃したが、オークス出走となった。



5月22日、オークス。

岡潤一郎はG1騎乗規定である「通算31勝」を満たしていなかったため、騎乗叶わず、再び熊沢を鞍上にオークス挑戦となった。


出遅れ、出遅れ、挙句はゲートを出たなり落馬。己の未熟さを痛感していた熊沢。天才肌の岡騎乗が規定で無になったとはいえ、再び指名してくれた松田師。恩義に応えなければ…、熊沢の胸には熱いものがあった。


勇躍東上した熊沢。若き熊沢にとって初の府中・東京競馬場だった。

コスモドリームにとっても夢の舞台なら、熊沢にとっても夢の舞台。意気揚々と東京駅へ降り立った熊沢は、はたと困ったという。

「ここから府中へは、どう行ったら?」

行く道も調べず新幹線に乗り込んだ、語り草になっている熊沢の東京進出だ。



桜花賞1着アラホウトク、2着シヨノロマン。

桜花賞4着、シンボリの良血スイートローザンヌ。桜花賞馬、オークス2着のリーゼングロスを母にもつアインリーゼン。

夢の舞台の出走馬は華やかな乙女揃い。



父ブゼンダイオー、有り得ない血の娘コスモドリームには眩しすぎた舞台。


それでも堂々として見せたコスモドリームと熊沢。


10番人気。互いに、失うものはない。当たって砕ける精神。



馬場は良だが、雨がしの降リ続いた。

スルーオベストが逃げてペースをつくった。シヨノロマン、スイートローザンヌ、アラホウトク、有力馬が中団で互いにけん制する。

例によってやや出遅れたコスモドリームは、後方から徐々に上りを見せた。


そして、アラホウトクの後ろで、ピタリと止まった。

名手・河内洋が手綱を取るアラホウトク。


「この人の後ろに付いていけば、間違いないだろう」


ガムシャラだけの熊沢ではなかった。

初めての東京競馬場、何度も好走している名手に頼った。


何としてでもコスモドリームに好走させる。

思いは若き熊沢を素直にさせた。


自我を捨て、名手の経験に頼る。


2コーナーでスイートローザンヌが故障を発症、競走を中止。

だが、レースは進む。非情、だが、これが競馬。


戦列を離れるローザンヌを横目にしながら、騎手たちの意識は前を向いた。

ローザンヌ、鞍上・小島太の思いを痛いほど感じながら。


後ろは振り向いていられない。


3コーナーからシヨノロマン、アラホウトクが動いた。

前に詰めて行った。


若干、速かったか?


直線、思うように伸びない。


喘ぐ有力馬たち。



外から、一気に交わし去ったのが、


コスモドリームだったッ!



アラホウトクの後ろから、河内に付いて行った熊沢。

まさに、展開がコスモドリームにハマった。


父ブゼンダイオー、その父菊花賞馬ダイコーターからつないだスタミナが、ここに生きた。


先頭だ! 先頭だ! 熊沢はもう、ガムシャラに追った。


そこにあるのは、鬼気として走るコスモドリームと、

嬉々としてゴールをめざす熊沢の姿だった。



その時、テレビでの競馬中継では有り得ないことが起こっていた。

実況アナウンスをしていた堺正幸がコスモドリームと同枠のサンキョウセッツを取り違えていたのだ。


ゴールまで『サンキョウセッツ』を連呼し、


「郷原やっと牝馬のタイトル! 牝馬クラシックを獲りました!」と締めくくってしまったのだ。



有り得ない。



すべてが有り得ない。



だが、すべてが有り得た。




コスモドリーム。




幻のごとき夢の栄冠を、





かっさらった、





影薄き名牝。