遠き遠き昔、1980年代。

繁殖牝馬キーパートナーは英3冠馬ニジンスキーとの仔、3頭の牝馬を産んだ。

81年、キーダンサー。83年、ダンシングキイ。86年、キーフライヤー。


ダンシングキイは1990年に日本に輸入され、繁殖牝馬として一時代を築いた。

エアダブリン、ダンスパートナー、ダンスインザダーク、ダンスインザムード。

いまや、名門の血ダンス一族。


キーフライヤーとキングマンボとの仔、スプリングマンボは1995年生まれ。

イギリスで生まれ見知らぬ日本にやってきた。


ダンシングキイと同じ血の流れ。名門の血、築けぬわけがない。

同じ1995年生まれ、キングマンボの仔・エルコンドルパサーは日本を席巻しフフランスで大活躍した。


2001年生まれ、3番仔スズカマンボは天皇賞春を制した。

それ以降、活躍馬がでないスプリングマンボ。


それでも生み続けるスプリングマンボ。

すでに11頭。



夢は名門の血。



スズカマンボの活躍さえ過去となったいま。

消えゆくか、祖母キーフライヤーの血。




2007年、5月10日に生まれたスプリングサンダー。

父はクロフネ。

NHKマイルC芝1600mを制し、ダート1600m武蔵野Sでは1分33秒3、驚異の日本レコードを樹立した。



2009年、8月デビュー以来、走り続けた23戦。

地道に、ひたすらに走り続けた。


母の血を信じて、父の強さを信じて、


力を蓄えた。


体の奥底にある名門の血を、いつか覚醒すべく。



2011年、4月。阪神牝馬Sでは、カレンチャンに0.2秒差の3着。


5月、ヴィクトリアマイル。初のG1。

4コーナー最後方から、ブエナビスタの34秒0に次ぐ34秒2の上りで、6着に突っ込んだ。


片鱗は見せた。




それから1年。


力はつけた。


阪急杯ではサンカルロ、オセアニアボス、ガルボを制して、2着。

短距離の牡馬の精鋭を蹴散らした。



1400mの実績馬。



人は言う。



兄スズカマンボは天皇賞芝3200mの覇者。



距離持たぬ、ワケがない。



父クロフネは1600mこそ、最適の馬。




5月13日。


ヴィクトリアマイル。



3枠6番。




府中の直線に、



赤い稲妻の閃光が走る時、



名門の血は覚醒する。





春雷。





スプリングサンダーの走りを見よ。