眠れない夜は、


何思う。




ただただ、枕を濡らす。





スリープレス ナイト=眠れない夜。

父クロフネ、母ホワットケイティーディド。母の父ヌレイエフ。


母はアメリカで3勝。その半妹に日本で大活躍した女傑ヒシアマゾンがいる。



父クロフネから、『黒船来航とともに泰平の世は大騒ぎ、眠れぬ夜が続いた』ことでスリープレスナイトと名付けられた。


ノーザンファーム生産の期待馬だった。



脚部不安で調教が遅れ、ウォーキングマシンで調整が続く日々。

デビュー前から眠れぬ夜が続いた。




2007年、1月7日。3歳デビュー。

桜花賞からギリギリ逆算して組まれたデビュー戦。単勝1.9倍の1番人気もハナ差2着。

続く未勝利戦、3着。3走目、ダート戦でようやく勝ち上がった。


牝馬クラシックは諦め、ダートへ路線は変更された。


2着の後、3連勝。オープンへと駆け上がり、5着、5着、2着、2着、1着、1着。

詰めて使えない体質の弱さながら、着実に課題をクリア。


2008年、4歳春の時点ではダート短距離の新星と目されたスリープレスナイト。

だが、眠れない夜は続いていたのかもしれない。


牧場時代、噂に聞いていた牝馬の祭典・桜花賞にも出れず、裏街道を走り抜けてきた。

大人しく従順な彼女は、与えられた立場を精一杯こなしてきた。


だが、眠れない夜は、なぜか涙が止まらない。

心は夢見る少女だった。



『芝の方が走るかも』、京葉Sにただ1度騎乗した横山典弘は1着になりながらも、芝レースを進言した。



6月、CBC賞。芝1200m重賞。

新馬、未勝利以来の芝レースに登場したスリープレスナイト。


4番人気も、2番手から抜け出し、勝利した。



8月、北九州記念。芝1200m。

またもや2番手から抜け出し、マルカフェニックスに2馬身の差をつけた。



10月5日。スプリンターズS。

1番人気となったスリープレスナイト。


またたくまに、芝スプリンターの女王となる舞台へ駆け上がった。

シンデレラ・ストーリー。


完結は、勝つのみ。


春のスプリントG1・高松宮記念1,2着のファイングレイン、キンシャサノキセキ。

前年の高松宮記念の覇者・スズカフェニックス。

夏のスプリント女王・カノヤザクラ。


錚々たる面々も、苦ではなかった。

華やかな舞台で力の限り走れる喜び。


スリープレスナイトの動きを軽やかにした。


逃げたウェスタンビーナスを交わし、ビービーガルダンも振り切り、ゴールをめざすスリープレスナイト。

スズカフェニックスの差し脚も、キンシャサノキセキの猛追も、敵ではなかった。


1馬身4分の1の差、キンシャサノキセキを従えてゴールインした。



香港スプリント参戦のプランが浮上した。

栗東トレセン内で調教中に放馬、外傷を負い断念。


ドバイゴールデンシャヒーンも、蕁麻疹発症、断念。



2009年、3月29日。高松宮記念

スプリンターズS以来の出走となってしまった、大事な一戦。


直線、5番手から抜け出し1番人気の貫録を見せるも、逃げたローレルゲレイロを半馬身とらえきれず、2着。



9月、セントウルSをアルティマトゥーレの2着とし、スプリンターズS連覇へ臨む直前、屈腱炎発症。


引退となった。




歓喜の眠れない夜となった2008年、スプリンターズS。


その後、幾度となく君に訪れた眠れない夜。



君は、



君は、



歓喜の夜を思い、耐えたことだろう。






2012年、1月23日。前年に続きディープインパクトの仔を出産したばかりなのに。


2月2日。君は逝ってしまった。

右橈(トウ)骨骨折。


放牧中の出来事だったという。




母を亡くした幼仔は、



生まれた時から、眠れない夜が続くのだろうか?



泣かないで、



泣かないで、



愛おしき仔よ。





元気を見せて、



母を、



スリープレスナイトを、



安らかに、眠らせてあげておくれ。






合掌。