2010年、春、天皇賞馬。
2004年産、もう8歳。
ジャガーメイル。
父ジャングルポケット、母ハヤベニコマチ。母の父サンデーサイレンス。
母母の父はノーザンテースト、母系の父には日本の種牡馬の歴史の王道が並ぶ。
父はトニービンの後継種牡馬、ダービー馬・ジャパンカップ優勝馬ジャングルポケット。
北海道のトレーニングセールで1575万円と決して高くはない価格で落札されたが、落札者はノーザンファーム。
ノーザンファーム代表の吉田勝巳氏の夫人、吉田和美さんを馬主として登録された。
2007年、デビュー勝ち。
いかにも順調なスタートのように見えるが、とんでもない。
崖っぷちからのスタートだった。
調整が遅れたジャガーメイルは同期がクラシックを戦っている3歳春、初出走すらできないでいた。
9月8日、3歳未勝利戦もこの月で終わる土壇場。ようやくゲートイン。
中央では未勝利戦に勝てない馬は500万下条件戦、1勝馬に混ざって走るしかないのだ。
2歳馬のレースも始まり、続々と入厩してくる2歳馬。馬房に限りのある厩舎、よほどの良血でない限り、勝てない馬は弾き出される。地方競馬へ転属。
阪神競馬場、芝2000m。18頭立て。2着、3着を繰り返しながら勝てない馬たちが、自らの未来を賭けた、まさに決戦。
ただ1頭、初出走のジャガーメイル。おっかなびっくりのゲートインだった。
スタートした時は、最後方だった。
完全に気後れしたジャガーメイルだが、徐々に行き足がつき3コーナーから捲り気味に上り、4コーナーでは5番手までに押し上げた。
あと4頭抜けばいい。
だが、簡単ではなかった。みんな、形相が変わっていた。
勝たなければ・・・・・・。
それはジャガーメイルも同じ。周りの気迫に圧倒されている場合じゃない。
遮二無二駆けた。
猛然と追い込んできた馬、敵は前だけではない。
追い込んできたタケデンシルヴァンは13戦目。いままで最高が4着、この日は違った。
身の軽さに驚き、最後のチャンスとばかり嬉々として迫ってきた。
逆境の中で、ジャガーメイルは不思議な力を感じた。
負けない気持ちが、推進力を与えてくれた。
調教では出せない力。レースで、競走馬としての秘められた資質が爆発した。
4分の3馬身、タケデンシルヴァンを押さえて勝利した。
若駒が希望に胸ふくらませる新馬戦じゃない。
むしろ、勝てずに、勝てずに、それでも生き残りをかけて各馬が必死で戦う、底辺の戦い。
とにかく、勝った。
夢よりも、生き残るために。
2戦目500万下を2着、3戦目勝利。
12月、グッドラックH(1000万下)を8着と敗れ、3歳戦を終えたジャガーメイル。
2008年。
1000万下条件を4着のあと、陣馬特別(1000万下)、ジューンS(1600万下)、オクトーバーS(1600万下)を3連勝。
オクトーバーSでは、ラジオNIKKEI賞2着、セントライト記念3着という実績をもつ隠れた逸材スクリーンヒーローを2番人気に従え、ハナ差勝利。
オープンへ駆け上がるとともに、G1への夢が大きく膨らんだ。
11月、初重賞、アルゼンチン共和国杯。
同期、菊花賞2着馬アルナスラインが1番人気。
後方から進め、ゴール前ではアルナスラインをとらえたが、1馬身半先にスクリーンヒーローがゴールしていた。
陣営は海外に目を向け、香港ヴァーズ(G1)への挑戦となった。
2001年にステイゴールドがラストランで念願のG1を制したレースだ。
12月14日、香港ヴァーズ。
2週間前、日本ではスクリーンヒーローがジャパンカップを勝った。
期するものがあった。
ゴール前では1番人気、前年の覇者ドクターディーノ、3番人気パープルムーンと壮絶な争いを繰り広げたが、アタマ、クビ差3着と敗れた。
決して落ち込むレースぶりではなかった。実力は示した。
だが、言いようのないモヤモヤが残った。
モヤモヤの先には、ジャパンカップ優勝馬の称号を得たスクリーンヒーローの姿があった。
2009年。
香港ヴァーズ参戦の影響は尾を引いて、調整ははかどらず天皇賞春をぶっつけで臨むしかなかったジャガーメイル。
天皇賞春は5着。
目黒記念2着、京都大賞典4着、アルゼンチン共和国杯5着。
充実期の5歳、期するものがありながら何か消化不良が続いた。
初出走の未勝利戦、ゴール前で内面から湧き起った得も言われぬ力が、ジャガーメイルに来なくなった。
年末、再び飛んだ香港。
香港ヴァーズ出走も4着だった。
2010年。
2月、京都記念。
有馬記念2着。4歳牝馬、男勝りと言われたブエナビスタと対戦した。
450㌔台、いかにも牝馬の馬体。まだ小娘然としたブエナビスタ。
レースで計り知れぬ根性の強さを知った。
ブエナビスタの半馬身差2着に追い込んでは見せたジャガーメイルだったが、ゴール前のブエナの力には脱帽した。
これは本物だ。この強さ、ゴール前の迫力、小娘なんかじゃない。
自分に欠けているもの。
ジャガーメイルは6歳にして、4歳牝馬に教えられた。
5月2日、天皇賞春。
スローペース。人気薄ミッキーペトラが引っ張り、前年の覇者マイネルキッツが2番手につけた。
1番人気は菊花賞2着馬フォゲッタブル。後方に構える。
中団を行くジャガーメイル。
ペースはスロー、人気馬は後ろ、機に乗じてマイネルキッツが3コーナーすぎでスパートした。
直線に入って、何も来ない。
2馬身、3馬身、差は開いていく。
マイネルキッツ、鞍上・松岡は勝利を確信した。
その時、
ジャガーメイル、鞍上・ウイリアムズの剛腕が唸った!
呼応したジャガーメイルは、矢のような伸びを見せて、マイネルキッツに迫った。
ここからが勝負ッ!
善戦を超えるには、冠を獲るには、越えなければならない。
それは、自分自身。
何がなんでも、勝つッ! という心。
ジャガーメイルは、気の遠くなるほど全身を使った。
ゴールでは、マイネルキッツを4分の3馬身、抜き去っていた。
さらに、5馬身遅れてメイショウドンタクが3着でゴールした。
初の栄冠を得たジャガーメイル。
宝塚記念は疲れからか? 8着と惨敗。
天皇賞秋は、内で馬群を切り裂き鋭い脚で突き抜けようとするも、最後の壁に阻まれ追うこともできず後退、おまけに斜行降着18着となってしまった。
ジャパンカップ4着、3度目の香港ヴァーズ4着。
2011年。
調整が整って出走してきたのは10月、京都大賞典。
長期休養明けでローズキングダムの0.2秒差4着。
天皇賞秋は見せ場なく9着。
もはや、過去の馬扱い。ジャパンカップは16頭立て14番人気だった。
ゴール前、猛然と追い込んで3着。
香港ヴァーズにも行かず、初めて臨んだ有馬記念は11着。
2012年。
もう、8歳。
さすがに辛いか?
いやいや、
まだまだ。
気力に衰えは、ない。
ジャガーメイル。
伝説まだ半ば。
2004年産、もう8歳。
ジャガーメイル。
父ジャングルポケット、母ハヤベニコマチ。母の父サンデーサイレンス。
母母の父はノーザンテースト、母系の父には日本の種牡馬の歴史の王道が並ぶ。
父はトニービンの後継種牡馬、ダービー馬・ジャパンカップ優勝馬ジャングルポケット。
北海道のトレーニングセールで1575万円と決して高くはない価格で落札されたが、落札者はノーザンファーム。
ノーザンファーム代表の吉田勝巳氏の夫人、吉田和美さんを馬主として登録された。
2007年、デビュー勝ち。
いかにも順調なスタートのように見えるが、とんでもない。
崖っぷちからのスタートだった。
調整が遅れたジャガーメイルは同期がクラシックを戦っている3歳春、初出走すらできないでいた。
9月8日、3歳未勝利戦もこの月で終わる土壇場。ようやくゲートイン。
中央では未勝利戦に勝てない馬は500万下条件戦、1勝馬に混ざって走るしかないのだ。
2歳馬のレースも始まり、続々と入厩してくる2歳馬。馬房に限りのある厩舎、よほどの良血でない限り、勝てない馬は弾き出される。地方競馬へ転属。
阪神競馬場、芝2000m。18頭立て。2着、3着を繰り返しながら勝てない馬たちが、自らの未来を賭けた、まさに決戦。
ただ1頭、初出走のジャガーメイル。おっかなびっくりのゲートインだった。
スタートした時は、最後方だった。
完全に気後れしたジャガーメイルだが、徐々に行き足がつき3コーナーから捲り気味に上り、4コーナーでは5番手までに押し上げた。
あと4頭抜けばいい。
だが、簡単ではなかった。みんな、形相が変わっていた。
勝たなければ・・・・・・。
それはジャガーメイルも同じ。周りの気迫に圧倒されている場合じゃない。
遮二無二駆けた。
猛然と追い込んできた馬、敵は前だけではない。
追い込んできたタケデンシルヴァンは13戦目。いままで最高が4着、この日は違った。
身の軽さに驚き、最後のチャンスとばかり嬉々として迫ってきた。
逆境の中で、ジャガーメイルは不思議な力を感じた。
負けない気持ちが、推進力を与えてくれた。
調教では出せない力。レースで、競走馬としての秘められた資質が爆発した。
4分の3馬身、タケデンシルヴァンを押さえて勝利した。
若駒が希望に胸ふくらませる新馬戦じゃない。
むしろ、勝てずに、勝てずに、それでも生き残りをかけて各馬が必死で戦う、底辺の戦い。
とにかく、勝った。
夢よりも、生き残るために。
2戦目500万下を2着、3戦目勝利。
12月、グッドラックH(1000万下)を8着と敗れ、3歳戦を終えたジャガーメイル。
2008年。
1000万下条件を4着のあと、陣馬特別(1000万下)、ジューンS(1600万下)、オクトーバーS(1600万下)を3連勝。
オクトーバーSでは、ラジオNIKKEI賞2着、セントライト記念3着という実績をもつ隠れた逸材スクリーンヒーローを2番人気に従え、ハナ差勝利。
オープンへ駆け上がるとともに、G1への夢が大きく膨らんだ。
11月、初重賞、アルゼンチン共和国杯。
同期、菊花賞2着馬アルナスラインが1番人気。
後方から進め、ゴール前ではアルナスラインをとらえたが、1馬身半先にスクリーンヒーローがゴールしていた。
陣営は海外に目を向け、香港ヴァーズ(G1)への挑戦となった。
2001年にステイゴールドがラストランで念願のG1を制したレースだ。
12月14日、香港ヴァーズ。
2週間前、日本ではスクリーンヒーローがジャパンカップを勝った。
期するものがあった。
ゴール前では1番人気、前年の覇者ドクターディーノ、3番人気パープルムーンと壮絶な争いを繰り広げたが、アタマ、クビ差3着と敗れた。
決して落ち込むレースぶりではなかった。実力は示した。
だが、言いようのないモヤモヤが残った。
モヤモヤの先には、ジャパンカップ優勝馬の称号を得たスクリーンヒーローの姿があった。
2009年。
香港ヴァーズ参戦の影響は尾を引いて、調整ははかどらず天皇賞春をぶっつけで臨むしかなかったジャガーメイル。
天皇賞春は5着。
目黒記念2着、京都大賞典4着、アルゼンチン共和国杯5着。
充実期の5歳、期するものがありながら何か消化不良が続いた。
初出走の未勝利戦、ゴール前で内面から湧き起った得も言われぬ力が、ジャガーメイルに来なくなった。
年末、再び飛んだ香港。
香港ヴァーズ出走も4着だった。
2010年。
2月、京都記念。
有馬記念2着。4歳牝馬、男勝りと言われたブエナビスタと対戦した。
450㌔台、いかにも牝馬の馬体。まだ小娘然としたブエナビスタ。
レースで計り知れぬ根性の強さを知った。
ブエナビスタの半馬身差2着に追い込んでは見せたジャガーメイルだったが、ゴール前のブエナの力には脱帽した。
これは本物だ。この強さ、ゴール前の迫力、小娘なんかじゃない。
自分に欠けているもの。
ジャガーメイルは6歳にして、4歳牝馬に教えられた。
5月2日、天皇賞春。
スローペース。人気薄ミッキーペトラが引っ張り、前年の覇者マイネルキッツが2番手につけた。
1番人気は菊花賞2着馬フォゲッタブル。後方に構える。
中団を行くジャガーメイル。
ペースはスロー、人気馬は後ろ、機に乗じてマイネルキッツが3コーナーすぎでスパートした。
直線に入って、何も来ない。
2馬身、3馬身、差は開いていく。
マイネルキッツ、鞍上・松岡は勝利を確信した。
その時、
ジャガーメイル、鞍上・ウイリアムズの剛腕が唸った!
呼応したジャガーメイルは、矢のような伸びを見せて、マイネルキッツに迫った。
ここからが勝負ッ!
善戦を超えるには、冠を獲るには、越えなければならない。
それは、自分自身。
何がなんでも、勝つッ! という心。
ジャガーメイルは、気の遠くなるほど全身を使った。
ゴールでは、マイネルキッツを4分の3馬身、抜き去っていた。
さらに、5馬身遅れてメイショウドンタクが3着でゴールした。
初の栄冠を得たジャガーメイル。
宝塚記念は疲れからか? 8着と惨敗。
天皇賞秋は、内で馬群を切り裂き鋭い脚で突き抜けようとするも、最後の壁に阻まれ追うこともできず後退、おまけに斜行降着18着となってしまった。
ジャパンカップ4着、3度目の香港ヴァーズ4着。
2011年。
調整が整って出走してきたのは10月、京都大賞典。
長期休養明けでローズキングダムの0.2秒差4着。
天皇賞秋は見せ場なく9着。
もはや、過去の馬扱い。ジャパンカップは16頭立て14番人気だった。
ゴール前、猛然と追い込んで3着。
香港ヴァーズにも行かず、初めて臨んだ有馬記念は11着。
2012年。
もう、8歳。
さすがに辛いか?
いやいや、
まだまだ。
気力に衰えは、ない。
ジャガーメイル。
伝説まだ半ば。