気性の悪い荒くれ馬、
何にも負けない闘争心、
その境目は紙一重。
名馬といわれる馬には、気性の激しさを活力に変える馬が多い。
姉2頭は気性が激しすぎて競走馬として活躍できなかった。
「ポリシーの仔はこれが最後に願いますよ」とまで調教師に言わせた、激しい負の血統をもつヤマニンゼファー。
父ニホンピロウイナー、母ヤマニンポリシー。母の父ブラッシンググルーム。
美浦・栗田博憲厩舎に所属が決まった時点で、気性の激しさを懸念されていた。
1988年、5月27日。北海道新冠町・錦岡牧場で生まれたヤマニンゼファー。母父ブラッシンググルームの優れたスピードに、マイル路線を確立した先駆者ニホンピロウイナーのスピードを相乗効果として、スプリンター指向を全面に配合された。
期待通り前後躯の発達した胴詰まりの短距離馬特有の馬体をして生まれてきた。
問題は気性の激しさ。
まったく杞憂に終わった。
「とにかく素直で、飲み込みが早かった」
姉2頭の困らせぶりを知るかのように、大人しく利口な馬で厩舎の誰からも可愛がれれた。
ゼファーは「そよ風」「西風」「ギリシャ神話の西風神『ゼピュロス』の英語名」、実際は馬主・土井肇氏の自宅にあった化粧品の名前から、という。
利口なゼファーは良血でもない自分、走らなければ明日がないサラブレッドの運命を知っていたのかのように、調教を真面目に励む馬だった。
「根性のある勝負強い馬」という評価が聞かれた。
栗田厩舎に入厩後、骨膜炎のためデビューは遅れた。
1991年、3月。中山4歳(現表記3歳)新馬戦・ダート1200mで、ようやくデビュー。
12番人気という低評価、後方12番手を進み、直線、一気に追い上げて2馬身の差をつけて圧勝してみせた。2番目の上がりタイムを1.3秒も上回った。
続くダート戦を連勝し、初芝レースとしてクリスタルカップ・G3が選ばれた。カリスタグローリの0.4秒差3着。
芝でも十分に戦えることを示した、が、またも骨膜炎のため休養。
10月復帰、ダート戦7着、1着、いきなり暮れのG1、スプリンターズSに出走。10番人気7着。
1992年、ダート戦で2着、1着。オープンへ駆け上がったヤマニンゼファー。
4月、京王杯スプリングカップ、ダイナマイトダディの2着。
芝短距離に突き進むこととなった。
母ヤマニンポリシーにニホンピロウイナー。牧場がめざした配合、希望、夢。
ヤマニンゼファーは、ひた走った。
5月、安田記念。11番人気。少ない芝実績、1400mまでの距離経験、低評価。
低評価は常だったヤマニンゼファー。
4コーナーを3番手で回ると、一気に先頭に立った。
追い込むカミノクレッセ、ムービースター、マルマツエース。
大人しいが、並外れた根性と勝負強さ。
負けない!
秘めた闘志は、ハンパじゃない!
カミノクレッセを4分の3馬身、押さえ込んでG1制覇。
ニホンピロウイナーとの父仔安田記念制覇。鞍上・田中勝春、初G1制覇。
マイルチャンピオンシップはダイタクヘリオスの5着、スプリンターズSはニシノフラワーのクビ差2着。
G1・2勝目は近くて遠かった。
1993年、6歳のヤマニンゼファー。
将来の種牡馬入りを考えた栗田師。
このままでは、短距離血統のままのゼファー。幅広く交配相手がつくように、是が非でも中距離のG1を獲らせたい・・・、狙いは天皇賞秋2000m。
相馬眼高い田原成貴に騎乗を依頼した、3月、中山記念・芝1800m。
2番手につけて、ムービースターの0.3秒差4着。
「大丈夫ですよ」
田原のひと言が、栗田師に百倍の勇気を与えた。
最大目標は、天皇賞秋。
4月、京王杯スプリングカップ1着。田中勝春が自厩舎セキテイリュウオーに乗ることとなったため、鞍上は柴田善臣へとチェンジした。
5月、安田記念。イクノディクタス以下を退け、安田記念連覇。鞍上・柴田善臣は初のG1制覇だった。
10月、毎日王冠・芝1800m。シンコウラブリィの6着。
大目標・天皇賞秋へ向けて、もう後がない。
スタミナをつけるため、中距離仕様の調教を・・・、厳しさを増した。
へばらない、音を上げない、ヤマニンゼファーは耐えた。
黙々と、前を見据えて調教に集中するゼファー。
なんとしても、獲らせる!
厩舎は一丸となった。
10月31日。天皇賞秋・芝2000m。
1番人気ライスシャワー、2番人気ナイスネイチャ、3番人気が稀代の逃げ馬、ツインターボ。
ホワイトストーンに続いて5番人気がヤマニンゼファーだった。
ヤマニンゼファーにとって、まったく未知の対戦相手たち。
戸惑った。
いや、面食らった。
ツインターボの大逃げ。
17頭立ての2番手につけたヤマニンゼファー。後ろに15頭の馬がいる。
なのに、なんなんだ! この前を行くツインターボは。
こんなのに、ついて行けない。
冷静だった。
どんどん離れていったツインターボの影が、どんどん近づいてくる。
4コーナー手前。
勝負は、これからだ。
未知の相手、未知の距離。
直線、ツインターボを交わしたヤマニンゼファーは、そのまま突っ走った。
鞍上・柴田善臣は覚悟を決めた。
差されたら、仕方がない。
ゼファーを信じるだけ。
迫る後続。だが、なかなかゼファーとの差は詰まらない。
行けるッ!
柴田善臣が思った瞬間、外から1頭の馬が突っ込んできた。
セキテイリュウオーだ!
鞍上は、ゼファーに乗っていた田中勝春。
ゼファーのすべてを知る男。
最も恐い男が迫ってきた。
ゴールまで200m、2頭は完全に馬体を接したッ!
リュウオーか!
ゼファーか!
勝春か! 善臣か!
死闘。
だが、
そこには田中勝春の知らないゼファーがいた。
1800m走って、なおも200mの競り合いを戦い抜けるゼファーがいることを、
勝春は知らなかった。
並べば、勝てる!
田中勝春の思いは吹っ飛んだ。
柴田善臣の渾身のムチに応えて、
ヤマニンゼファーはターフを蹴った。
写真判定。
ヤマニンゼファーはハナ差、セキテイリュウオーに勝った。
暮れのスプリンターズS2着を最後に引退したヤマニンゼファー。
北海道日高・レックススタッドで種牡馬となり、ジャパンカップダート2着のサンフォードシチーなどを輩出。サンフォードシチーは引退後、連続テレビ小説『ファイト』でタロウ役を演じた。
ヤマニンゼファーは2009年種牡馬を引退。いま、錦岡牧場で功労馬として、余生を送っている。
何にも負けない闘争心、
その境目は紙一重。
名馬といわれる馬には、気性の激しさを活力に変える馬が多い。
姉2頭は気性が激しすぎて競走馬として活躍できなかった。
「ポリシーの仔はこれが最後に願いますよ」とまで調教師に言わせた、激しい負の血統をもつヤマニンゼファー。
父ニホンピロウイナー、母ヤマニンポリシー。母の父ブラッシンググルーム。
美浦・栗田博憲厩舎に所属が決まった時点で、気性の激しさを懸念されていた。
1988年、5月27日。北海道新冠町・錦岡牧場で生まれたヤマニンゼファー。母父ブラッシンググルームの優れたスピードに、マイル路線を確立した先駆者ニホンピロウイナーのスピードを相乗効果として、スプリンター指向を全面に配合された。
期待通り前後躯の発達した胴詰まりの短距離馬特有の馬体をして生まれてきた。
問題は気性の激しさ。
まったく杞憂に終わった。
「とにかく素直で、飲み込みが早かった」
姉2頭の困らせぶりを知るかのように、大人しく利口な馬で厩舎の誰からも可愛がれれた。
ゼファーは「そよ風」「西風」「ギリシャ神話の西風神『ゼピュロス』の英語名」、実際は馬主・土井肇氏の自宅にあった化粧品の名前から、という。
利口なゼファーは良血でもない自分、走らなければ明日がないサラブレッドの運命を知っていたのかのように、調教を真面目に励む馬だった。
「根性のある勝負強い馬」という評価が聞かれた。
栗田厩舎に入厩後、骨膜炎のためデビューは遅れた。
1991年、3月。中山4歳(現表記3歳)新馬戦・ダート1200mで、ようやくデビュー。
12番人気という低評価、後方12番手を進み、直線、一気に追い上げて2馬身の差をつけて圧勝してみせた。2番目の上がりタイムを1.3秒も上回った。
続くダート戦を連勝し、初芝レースとしてクリスタルカップ・G3が選ばれた。カリスタグローリの0.4秒差3着。
芝でも十分に戦えることを示した、が、またも骨膜炎のため休養。
10月復帰、ダート戦7着、1着、いきなり暮れのG1、スプリンターズSに出走。10番人気7着。
1992年、ダート戦で2着、1着。オープンへ駆け上がったヤマニンゼファー。
4月、京王杯スプリングカップ、ダイナマイトダディの2着。
芝短距離に突き進むこととなった。
母ヤマニンポリシーにニホンピロウイナー。牧場がめざした配合、希望、夢。
ヤマニンゼファーは、ひた走った。
5月、安田記念。11番人気。少ない芝実績、1400mまでの距離経験、低評価。
低評価は常だったヤマニンゼファー。
4コーナーを3番手で回ると、一気に先頭に立った。
追い込むカミノクレッセ、ムービースター、マルマツエース。
大人しいが、並外れた根性と勝負強さ。
負けない!
秘めた闘志は、ハンパじゃない!
カミノクレッセを4分の3馬身、押さえ込んでG1制覇。
ニホンピロウイナーとの父仔安田記念制覇。鞍上・田中勝春、初G1制覇。
マイルチャンピオンシップはダイタクヘリオスの5着、スプリンターズSはニシノフラワーのクビ差2着。
G1・2勝目は近くて遠かった。
1993年、6歳のヤマニンゼファー。
将来の種牡馬入りを考えた栗田師。
このままでは、短距離血統のままのゼファー。幅広く交配相手がつくように、是が非でも中距離のG1を獲らせたい・・・、狙いは天皇賞秋2000m。
相馬眼高い田原成貴に騎乗を依頼した、3月、中山記念・芝1800m。
2番手につけて、ムービースターの0.3秒差4着。
「大丈夫ですよ」
田原のひと言が、栗田師に百倍の勇気を与えた。
最大目標は、天皇賞秋。
4月、京王杯スプリングカップ1着。田中勝春が自厩舎セキテイリュウオーに乗ることとなったため、鞍上は柴田善臣へとチェンジした。
5月、安田記念。イクノディクタス以下を退け、安田記念連覇。鞍上・柴田善臣は初のG1制覇だった。
10月、毎日王冠・芝1800m。シンコウラブリィの6着。
大目標・天皇賞秋へ向けて、もう後がない。
スタミナをつけるため、中距離仕様の調教を・・・、厳しさを増した。
へばらない、音を上げない、ヤマニンゼファーは耐えた。
黙々と、前を見据えて調教に集中するゼファー。
なんとしても、獲らせる!
厩舎は一丸となった。
10月31日。天皇賞秋・芝2000m。
1番人気ライスシャワー、2番人気ナイスネイチャ、3番人気が稀代の逃げ馬、ツインターボ。
ホワイトストーンに続いて5番人気がヤマニンゼファーだった。
ヤマニンゼファーにとって、まったく未知の対戦相手たち。
戸惑った。
いや、面食らった。
ツインターボの大逃げ。
17頭立ての2番手につけたヤマニンゼファー。後ろに15頭の馬がいる。
なのに、なんなんだ! この前を行くツインターボは。
こんなのに、ついて行けない。
冷静だった。
どんどん離れていったツインターボの影が、どんどん近づいてくる。
4コーナー手前。
勝負は、これからだ。
未知の相手、未知の距離。
直線、ツインターボを交わしたヤマニンゼファーは、そのまま突っ走った。
鞍上・柴田善臣は覚悟を決めた。
差されたら、仕方がない。
ゼファーを信じるだけ。
迫る後続。だが、なかなかゼファーとの差は詰まらない。
行けるッ!
柴田善臣が思った瞬間、外から1頭の馬が突っ込んできた。
セキテイリュウオーだ!
鞍上は、ゼファーに乗っていた田中勝春。
ゼファーのすべてを知る男。
最も恐い男が迫ってきた。
ゴールまで200m、2頭は完全に馬体を接したッ!
リュウオーか!
ゼファーか!
勝春か! 善臣か!
死闘。
だが、
そこには田中勝春の知らないゼファーがいた。
1800m走って、なおも200mの競り合いを戦い抜けるゼファーがいることを、
勝春は知らなかった。
並べば、勝てる!
田中勝春の思いは吹っ飛んだ。
柴田善臣の渾身のムチに応えて、
ヤマニンゼファーはターフを蹴った。
写真判定。
ヤマニンゼファーはハナ差、セキテイリュウオーに勝った。
暮れのスプリンターズS2着を最後に引退したヤマニンゼファー。
北海道日高・レックススタッドで種牡馬となり、ジャパンカップダート2着のサンフォードシチーなどを輩出。サンフォードシチーは引退後、連続テレビ小説『ファイト』でタロウ役を演じた。
ヤマニンゼファーは2009年種牡馬を引退。いま、錦岡牧場で功労馬として、余生を送っている。