日本脳炎、かつては深刻な状況も生んだ伝染病だ。
ワクチンの普及、環境整備によっていまでは、その名を聞くこともなくなった。
人間だけではなく動物にも日本脳炎はあり、家畜伝染病に指定されている。
馬においては昭和23年に大流行し、何千頭の馬が日本脳炎にかかったという。
1985年、3頭の発病を最後に、日本では見られていない。
1988年、3月16日。アメリカ・ケンタッキー州、Tsukao Farmで生まれた鹿毛の牡馬は生まれつき日本脳炎にかかっていた。
父シュトゥッツブラックホーク、母レディベンドフェイジャー。母の父ネヴァーベンド。
競走馬としてはもちろん、生命さえも危ぶまれた。
奇跡的に克服した仔馬は、海を越え日本へとやって来た。
ケイエスの冠で知られる馬主・高田喜嘉氏は『ミラクル』と名付けた。
日本脳炎ばかりか、脚元の重大な故障をも克服した2度の奇跡。
この名以外にはない、ケイエスミラクル。
父の競走成績はアメリカで40戦3勝。重賞勝ちもなく、ミスタープロスペクターの直仔という他、特筆すべきことは何もなかった。
ましてや、ミスタープロスペクターの名がまだ日本に浸透していない時代、注目されることもなかったケイエスミラクル。
馬主・高田氏も重賞勝ち馬を出すこともなかった馬主。
1991年。4歳(現表記3歳)にしてようやくデビューしたケイエスミラクル。
その走りはミラクルとして、関係者を驚喜させた。
4月20日、新潟・未勝利戦(芝1600m)こそダッシュがつかず、追い込んで2着だったが、
5月4日の未勝利戦(芝1400m)は2番手から直線抜け出し、2着馬を8馬身ぶっちぎった。
わらび賞(芝1600m)2着のあと、札幌に移り、石狩特別(500万下)芝1200m、藻岩山特別(900万下)芝1200mを連勝。
石狩特別では4馬身差のレコード勝ち。藻岩山特別出走にあたり、条件戦では珍しい単枠指定された。(当時、枠連中心の馬券で、過度人気馬が直前に取り消す混乱を避けるため、その馬だけを1頭1枠指定した)
そのプレッシャーもなんのその、藻岩山特別では9馬身差の圧勝を見せた。
9月に入り、セントウルS(芝1200m)を唯一の惨敗、13着に敗れた。
クラスの壁か?
悩む暇はない。
ケイエスミラクルは走った。
10月、オパールS(芝1200m)を差し切り勝ち。
走って、勝つことによって、不安を一掃して見せた。
競走馬として危ぶまれ、命さえ危ぶまれ、
育まれた強靭すぎる精神力。
すべてを覆す力を、心でつくり出してきた。
『ミラクル』、それは起こったのではない。
『ミラクル』、自らの精神力で、ケイエスミラクルは起こしてきた。
10月26日。スワンS芝1400m。
ダイイチルビー(安田記念)、バンブーメモリー(スプリンターズS)、ダイタクヘリオス(のちにマイルチャンピオンCを連覇)、ダイユウサク(のちに有馬記念制覇)、強豪ぞろい。
中団から一気に差し切り、ダイイチルビーにクビ差勝利。
初重賞をレコード勝ちで飾った。
11月17日。マイルチャンピオンC。芝1600m。
ついにたどり着いた最高峰、G1レース。
後方から進め過ぎたか、ダイタクヘリオスに逃げ切りを許し、ダイイチルビーもとらえ切れず、3着。
涙を飲んだ。
12月15日。当時、有馬記念の1週前に行われていたスプリンターズS。
芝1200m。最も得意とする距離。
1番人気はケイエスミラクルだった。
4戦目から手綱を取った南井克己は、阪神牝馬特別のメインキャスターに騎乗のために阪神競馬場へ。
鞍上には、仕事人・岡部幸雄がいた。
デビュー当時、482㌔あった馬体重は徐々に減り、464㌔。
歴戦の疲れはのしかかる。
強靭すぎる精神力で『ミラクル』を起こしてきたケイエスミラクル。
これで、これが最後の『ミラクル』完成。
G1制覇、やって見せよう。
トモエリージェントが行く。負けじとハスキーハニー。
3ハロン・32秒2、ハイペース。
7番手につけたケイエスミラクル。
宿敵ダイイチルビーは中団より後ろ。
ヨシッ、鞍上・岡部は手応えを感じた。
パドックでは、まるで大人しかったケイエスミラクル。
岡部は小首を傾げた。
しかし、この走りっぷり。
大丈夫だ!
岡部はケイエスミラクルの強靭すぎる精神力を知らなかった。
3コーナーから進出開始、直線、先頭に躍り出たケイエスミラクル。
あと、少し。もう、少しのガマン。
めざすは、冠だけだッ!
走るケイエス、耐えるミラクルッ!
後ろから、ダイイチルビー。
やっぱり来た。
なんのォーッ!
その時だ。
ズルズルと下がっていくケイエスミラクル。
ダイイチルビーに交わされ、
ナルシスノワールに交わされ、
馬群に置いてけぼりにされた。
ミラクルを止め、鞍を外す岡部。
蒼白な面持ち。
静まり返る場内。
左第一趾骨粉砕骨折。
予後不良。
3本脚のケイエスミラクルは涙にぬれた。
あまりにも、
あまりにも、
我慢強すぎたミラクル。
骨折。
精神力では防ぎきれない、事故。
ケイエスミラクルの、
心も粉砕してしまった。
ケイエスミラクル、
君のミラクル、
決して、忘れない。
ケイエスミラクル号、1991年12月15日、スプリンターズSレース中、左第一趾骨粉砕骨折発症・予後不良、安楽死処分。
合掌。
ワクチンの普及、環境整備によっていまでは、その名を聞くこともなくなった。
人間だけではなく動物にも日本脳炎はあり、家畜伝染病に指定されている。
馬においては昭和23年に大流行し、何千頭の馬が日本脳炎にかかったという。
1985年、3頭の発病を最後に、日本では見られていない。
1988年、3月16日。アメリカ・ケンタッキー州、Tsukao Farmで生まれた鹿毛の牡馬は生まれつき日本脳炎にかかっていた。
父シュトゥッツブラックホーク、母レディベンドフェイジャー。母の父ネヴァーベンド。
競走馬としてはもちろん、生命さえも危ぶまれた。
奇跡的に克服した仔馬は、海を越え日本へとやって来た。
ケイエスの冠で知られる馬主・高田喜嘉氏は『ミラクル』と名付けた。
日本脳炎ばかりか、脚元の重大な故障をも克服した2度の奇跡。
この名以外にはない、ケイエスミラクル。
父の競走成績はアメリカで40戦3勝。重賞勝ちもなく、ミスタープロスペクターの直仔という他、特筆すべきことは何もなかった。
ましてや、ミスタープロスペクターの名がまだ日本に浸透していない時代、注目されることもなかったケイエスミラクル。
馬主・高田氏も重賞勝ち馬を出すこともなかった馬主。
1991年。4歳(現表記3歳)にしてようやくデビューしたケイエスミラクル。
その走りはミラクルとして、関係者を驚喜させた。
4月20日、新潟・未勝利戦(芝1600m)こそダッシュがつかず、追い込んで2着だったが、
5月4日の未勝利戦(芝1400m)は2番手から直線抜け出し、2着馬を8馬身ぶっちぎった。
わらび賞(芝1600m)2着のあと、札幌に移り、石狩特別(500万下)芝1200m、藻岩山特別(900万下)芝1200mを連勝。
石狩特別では4馬身差のレコード勝ち。藻岩山特別出走にあたり、条件戦では珍しい単枠指定された。(当時、枠連中心の馬券で、過度人気馬が直前に取り消す混乱を避けるため、その馬だけを1頭1枠指定した)
そのプレッシャーもなんのその、藻岩山特別では9馬身差の圧勝を見せた。
9月に入り、セントウルS(芝1200m)を唯一の惨敗、13着に敗れた。
クラスの壁か?
悩む暇はない。
ケイエスミラクルは走った。
10月、オパールS(芝1200m)を差し切り勝ち。
走って、勝つことによって、不安を一掃して見せた。
競走馬として危ぶまれ、命さえ危ぶまれ、
育まれた強靭すぎる精神力。
すべてを覆す力を、心でつくり出してきた。
『ミラクル』、それは起こったのではない。
『ミラクル』、自らの精神力で、ケイエスミラクルは起こしてきた。
10月26日。スワンS芝1400m。
ダイイチルビー(安田記念)、バンブーメモリー(スプリンターズS)、ダイタクヘリオス(のちにマイルチャンピオンCを連覇)、ダイユウサク(のちに有馬記念制覇)、強豪ぞろい。
中団から一気に差し切り、ダイイチルビーにクビ差勝利。
初重賞をレコード勝ちで飾った。
11月17日。マイルチャンピオンC。芝1600m。
ついにたどり着いた最高峰、G1レース。
後方から進め過ぎたか、ダイタクヘリオスに逃げ切りを許し、ダイイチルビーもとらえ切れず、3着。
涙を飲んだ。
12月15日。当時、有馬記念の1週前に行われていたスプリンターズS。
芝1200m。最も得意とする距離。
1番人気はケイエスミラクルだった。
4戦目から手綱を取った南井克己は、阪神牝馬特別のメインキャスターに騎乗のために阪神競馬場へ。
鞍上には、仕事人・岡部幸雄がいた。
デビュー当時、482㌔あった馬体重は徐々に減り、464㌔。
歴戦の疲れはのしかかる。
強靭すぎる精神力で『ミラクル』を起こしてきたケイエスミラクル。
これで、これが最後の『ミラクル』完成。
G1制覇、やって見せよう。
トモエリージェントが行く。負けじとハスキーハニー。
3ハロン・32秒2、ハイペース。
7番手につけたケイエスミラクル。
宿敵ダイイチルビーは中団より後ろ。
ヨシッ、鞍上・岡部は手応えを感じた。
パドックでは、まるで大人しかったケイエスミラクル。
岡部は小首を傾げた。
しかし、この走りっぷり。
大丈夫だ!
岡部はケイエスミラクルの強靭すぎる精神力を知らなかった。
3コーナーから進出開始、直線、先頭に躍り出たケイエスミラクル。
あと、少し。もう、少しのガマン。
めざすは、冠だけだッ!
走るケイエス、耐えるミラクルッ!
後ろから、ダイイチルビー。
やっぱり来た。
なんのォーッ!
その時だ。
ズルズルと下がっていくケイエスミラクル。
ダイイチルビーに交わされ、
ナルシスノワールに交わされ、
馬群に置いてけぼりにされた。
ミラクルを止め、鞍を外す岡部。
蒼白な面持ち。
静まり返る場内。
左第一趾骨粉砕骨折。
予後不良。
3本脚のケイエスミラクルは涙にぬれた。
あまりにも、
あまりにも、
我慢強すぎたミラクル。
骨折。
精神力では防ぎきれない、事故。
ケイエスミラクルの、
心も粉砕してしまった。
ケイエスミラクル、
君のミラクル、
決して、忘れない。
ケイエスミラクル号、1991年12月15日、スプリンターズSレース中、左第一趾骨粉砕骨折発症・予後不良、安楽死処分。
合掌。