5冠馬シンザン、天皇賞馬ホクトボーイが種牡馬として繋養されていた名門牧場、北海道浦河町・谷川牧場。
1991年、3月26日。1頭の栗毛牝馬が生を受けた。
その栗毛の綺麗な輝きは、黄金色に煌めいた。
それは、自らばかりでなく、携わる人、その人生をも煌めき、輝かせた。
その名はチョウカイキャロル。
父ブライアンズタイム、母ウイットワタースランド。母の父ミスタープロスペクター。
父、母、母父、すべてアメリカ血統の日本馬。ブライアンタイムズ初年度産駒で、3冠馬ナリタブライアンとともに父の名を高めた1頭だ。
同じ日、海を越えたアメリカの牧場で黒鹿毛の牝馬が生まれていたことは、奇しき因縁か。
「生まれた時から違っていた。光るものをもっていた」
といわれたチョウカイキャロルだったが、体質が弱く、化骨も遅れ、牧場時代にほとんど調教ができない状態だった。
栗東・鶴留明雄厩舎に入厩も、他の馬にまったく付いていけない。素質を引き出すのは調教、だが、ムリをすれば壊れる。
かつてハード・トレで知られる戸山為夫厩舎に所属していた鶴留師。
馬を強くする。思いは同じだが、馬に合わせた調教でじっくりと育てる。その方針は違っていた。ただ、人に対する思いは戸山師と同じものがある。
1992年、2冠馬ミホノブルボンで4歳(現表記3歳)クラシックの話題を独占した戸山厩舎。
1993年、戸山師の死去とともに解散。番頭格だった森秀行調教師が厩舎を継いだ。
調教師、助手、厩務員、騎手すべてファミリー、一丸となって馬を育てる。馬を一番よく知る騎手が乗るのが、当然。頑として所属騎手を乗せてきた戸山師。
先進的な合理主義者として知られる森師は違った。レースは一流ジョッキー志向、戸山厩舎専属だった小島貞博の騎乗機会は皆無となった。
「人気より腕が上」小島を評価していた戸山師と違い、森師の評価は低いのか、調教さえ乗る機会が無くなった小島は「引退」を口にするようになった。ミホノブルボンでダービージョッキーとなって、わずか1年余り、あまりにも悲惨だった。
伝え聞いた鶴留師は「おまえ、バカなことは言うな。それより、うちの3歳に乗ってみろ」手を差しのべた。
チョウカイキャロルと騎手・小島との出会いだった。
「涙が出るほど、嬉しかった」小島は精魂込めて調教をつけた。
来る日も、来る日も、辛抱強く。
チョウカイキャロルは体質の強化とともに、才能を見せ始めた。
1994年、1月。4歳デビューとなったチョウカイキャロルは、ダート1800m新馬戦を2着エミネントバイオに2.0秒差。大差圧勝した。
もちろん、鞍上は小島貞博。
セントポーリア賞2着、フラワーカップ3着と惜しくも桜花賞出走は叶わず、目標をオークスに切り替えた。
断念桜花賞といわれる忘れな草賞を4馬身差で圧勝するとともに、オークス出走に十分な賞金を獲得。
勇躍東上した。
オークス直前、馬主サイドから要望が出た。
「乗り役をリーディング上位の騎手に・・・」
鶴留師は逆に要望した。
「小島で行かせてください。彼はキャロルのことは一番よくわかっていますから」
このあと、乗り変わりの話は一切出なかったという。
1994年、5月22日。オークス。
1番人気はオグリキャップの半妹、桜花賞馬オグリローマン。
2番人気がチョウカイキャロルだった。
メローフルーツ、ナガラフラッシュがつくり出したハイペースにかかわらず、いつになく前につけたチョウカイキャロルは5番手。
「自分の馬が一番強いんだ」
信じていた鞍上・小島は落ち着き払っていた。
夢は、思いが強いほど、叶う。
4コーナー手前から、一気に行ったメモリージャスパー。
一緒に行ったチョウカイキャロル。
直線、早々と先頭に立った。
長かった。
ゴールデンジャック、アグネスパレードの猛追!
追い詰める。
負けない、負けられないッ!
小島、チョウカイキャロル、
最後の力を振り絞った!
4分の3馬身、
2着ゴールデンジャックを振り切った。
オークス制覇。
鶴留師はチョウカイキャロルの、ジョーキー小島の勝利を喜んだ。
そして、小島は、鶴留師への恩返しができたことが、何よりも嬉しかった。
騎手は乗れるだけでしあわせ。
勝ちはキャロルのためにある。勝ちは鶴留師のためにある。
思いは果たせた。
オークス馬となったチョウカイキャロル。
世代の頂点へ。
打ち破るべき壁があった。
同じ1991年、3月26日生まれ、アメリカからやってきた女傑。
外国馬ゆえにクラシックに出ることのない、世代№1牝馬。
ヒシアマゾンだった。
外国馬も出走可能なG1、エリザベス女王杯。
新女王チョウカイキャロル、真女王と呼ばれるヒシアマゾン。
日本とアメリカ、同じ日に生まれた牝馬2頭。
黒鹿毛の女王・ヒシアマゾン、栗毛の女王チョウカイキャロル。
10戦7勝、2着3回、ヒシアマゾン。
6戦3勝、2着2回、3着1回、チョウカイキャロル。
11月13日。激突。
単勝1.8倍、断然人気はヒシアマゾンだった。
好位6番手から行くチョウカイキャロル。
後方16番手から行くヒシアマゾン。
勝てないかもしれない。でも、勝機はある。
鞍上・小島は女傑相手に臆することはなかった。
2400m、 得意距離でチョウカイキャロルは真っ向勝負を挑んだ。
早め抜け出し、粘るチョウカイキャロル。
内から差してくるアグネスパレード、
外から差す、ヒシアマゾン。
3頭が、ゴール前、死闘を演じた。
続く、続く真っ向勝負。
やや、アグネスパレードが脱落気味。
そこが、ゴールだった。
2頭の勝負はつかない。
長い、長い、写真判定。
わずか、3㎝。
ヒシアマゾンに凱歌が上がった。
小島にも、鶴留師にも、悔しさはなかった。
史上最強牝馬と呼び声が高いヒシアマゾン。
食い下がった、互角に戦った。
チョウカイキャロル。
その栗毛の馬体に、黄金の輝きがあった。
1995年、ダービーを制したタヤスツヨシ。
鞍上・小島貞博。鶴留厩舎。
小島は史上10人目のダービー2勝ジョッキーとなった。
チョウカイキャロルからもらった輝き。
騎手・小島貞博は、大切に、大切に。
調教師となっても、
忘れずに、日々に取り組んでいる。
馬と人と、結ぶ心。
1991年、3月26日。1頭の栗毛牝馬が生を受けた。
その栗毛の綺麗な輝きは、黄金色に煌めいた。
それは、自らばかりでなく、携わる人、その人生をも煌めき、輝かせた。
その名はチョウカイキャロル。
父ブライアンズタイム、母ウイットワタースランド。母の父ミスタープロスペクター。
父、母、母父、すべてアメリカ血統の日本馬。ブライアンタイムズ初年度産駒で、3冠馬ナリタブライアンとともに父の名を高めた1頭だ。
同じ日、海を越えたアメリカの牧場で黒鹿毛の牝馬が生まれていたことは、奇しき因縁か。
「生まれた時から違っていた。光るものをもっていた」
といわれたチョウカイキャロルだったが、体質が弱く、化骨も遅れ、牧場時代にほとんど調教ができない状態だった。
栗東・鶴留明雄厩舎に入厩も、他の馬にまったく付いていけない。素質を引き出すのは調教、だが、ムリをすれば壊れる。
かつてハード・トレで知られる戸山為夫厩舎に所属していた鶴留師。
馬を強くする。思いは同じだが、馬に合わせた調教でじっくりと育てる。その方針は違っていた。ただ、人に対する思いは戸山師と同じものがある。
1992年、2冠馬ミホノブルボンで4歳(現表記3歳)クラシックの話題を独占した戸山厩舎。
1993年、戸山師の死去とともに解散。番頭格だった森秀行調教師が厩舎を継いだ。
調教師、助手、厩務員、騎手すべてファミリー、一丸となって馬を育てる。馬を一番よく知る騎手が乗るのが、当然。頑として所属騎手を乗せてきた戸山師。
先進的な合理主義者として知られる森師は違った。レースは一流ジョッキー志向、戸山厩舎専属だった小島貞博の騎乗機会は皆無となった。
「人気より腕が上」小島を評価していた戸山師と違い、森師の評価は低いのか、調教さえ乗る機会が無くなった小島は「引退」を口にするようになった。ミホノブルボンでダービージョッキーとなって、わずか1年余り、あまりにも悲惨だった。
伝え聞いた鶴留師は「おまえ、バカなことは言うな。それより、うちの3歳に乗ってみろ」手を差しのべた。
チョウカイキャロルと騎手・小島との出会いだった。
「涙が出るほど、嬉しかった」小島は精魂込めて調教をつけた。
来る日も、来る日も、辛抱強く。
チョウカイキャロルは体質の強化とともに、才能を見せ始めた。
1994年、1月。4歳デビューとなったチョウカイキャロルは、ダート1800m新馬戦を2着エミネントバイオに2.0秒差。大差圧勝した。
もちろん、鞍上は小島貞博。
セントポーリア賞2着、フラワーカップ3着と惜しくも桜花賞出走は叶わず、目標をオークスに切り替えた。
断念桜花賞といわれる忘れな草賞を4馬身差で圧勝するとともに、オークス出走に十分な賞金を獲得。
勇躍東上した。
オークス直前、馬主サイドから要望が出た。
「乗り役をリーディング上位の騎手に・・・」
鶴留師は逆に要望した。
「小島で行かせてください。彼はキャロルのことは一番よくわかっていますから」
このあと、乗り変わりの話は一切出なかったという。
1994年、5月22日。オークス。
1番人気はオグリキャップの半妹、桜花賞馬オグリローマン。
2番人気がチョウカイキャロルだった。
メローフルーツ、ナガラフラッシュがつくり出したハイペースにかかわらず、いつになく前につけたチョウカイキャロルは5番手。
「自分の馬が一番強いんだ」
信じていた鞍上・小島は落ち着き払っていた。
夢は、思いが強いほど、叶う。
4コーナー手前から、一気に行ったメモリージャスパー。
一緒に行ったチョウカイキャロル。
直線、早々と先頭に立った。
長かった。
ゴールデンジャック、アグネスパレードの猛追!
追い詰める。
負けない、負けられないッ!
小島、チョウカイキャロル、
最後の力を振り絞った!
4分の3馬身、
2着ゴールデンジャックを振り切った。
オークス制覇。
鶴留師はチョウカイキャロルの、ジョーキー小島の勝利を喜んだ。
そして、小島は、鶴留師への恩返しができたことが、何よりも嬉しかった。
騎手は乗れるだけでしあわせ。
勝ちはキャロルのためにある。勝ちは鶴留師のためにある。
思いは果たせた。
オークス馬となったチョウカイキャロル。
世代の頂点へ。
打ち破るべき壁があった。
同じ1991年、3月26日生まれ、アメリカからやってきた女傑。
外国馬ゆえにクラシックに出ることのない、世代№1牝馬。
ヒシアマゾンだった。
外国馬も出走可能なG1、エリザベス女王杯。
新女王チョウカイキャロル、真女王と呼ばれるヒシアマゾン。
日本とアメリカ、同じ日に生まれた牝馬2頭。
黒鹿毛の女王・ヒシアマゾン、栗毛の女王チョウカイキャロル。
10戦7勝、2着3回、ヒシアマゾン。
6戦3勝、2着2回、3着1回、チョウカイキャロル。
11月13日。激突。
単勝1.8倍、断然人気はヒシアマゾンだった。
好位6番手から行くチョウカイキャロル。
後方16番手から行くヒシアマゾン。
勝てないかもしれない。でも、勝機はある。
鞍上・小島は女傑相手に臆することはなかった。
2400m、 得意距離でチョウカイキャロルは真っ向勝負を挑んだ。
早め抜け出し、粘るチョウカイキャロル。
内から差してくるアグネスパレード、
外から差す、ヒシアマゾン。
3頭が、ゴール前、死闘を演じた。
続く、続く真っ向勝負。
やや、アグネスパレードが脱落気味。
そこが、ゴールだった。
2頭の勝負はつかない。
長い、長い、写真判定。
わずか、3㎝。
ヒシアマゾンに凱歌が上がった。
小島にも、鶴留師にも、悔しさはなかった。
史上最強牝馬と呼び声が高いヒシアマゾン。
食い下がった、互角に戦った。
チョウカイキャロル。
その栗毛の馬体に、黄金の輝きがあった。
1995年、ダービーを制したタヤスツヨシ。
鞍上・小島貞博。鶴留厩舎。
小島は史上10人目のダービー2勝ジョッキーとなった。
チョウカイキャロルからもらった輝き。
騎手・小島貞博は、大切に、大切に。
調教師となっても、
忘れずに、日々に取り組んでいる。
馬と人と、結ぶ心。