父パーソロン、母の父スピードシンボリ。
北海道門別町・シンボリ牧場産。
7冠馬『皇帝』シンボリルドルフ。
シンボリルドルフが第1冠目・皐月賞を獲った1984年、4月15日。
その11日前、4月4日。シンボリ牧場で生まれた期待の星・マティリアル。
父パーソロン、母スイートアース。母の父スピードシンボリ。
シンボリルドルフと同じ血統構成。ばかりでなく、その均整のとれた馬体は早くから注目された。
調教師のなかで最も惚れ込んだのが美浦の田中和夫調教師だった。「サクラ」の総帥・全演稙氏に購入を勧めたが、価格面で折り合わず破談となった。
シンボリ牧場社長・和田共弘氏は自らが馬主となることを決め、田中師に管理を委託した。
「シンボリ」の冠を敢えて外し、将来、海外で雄飛することを念頭に置いた名、マティリアル。
『素材・逸材』をストレートに表現された。
1986年、10月。新馬デビュー戦を勝利。続く府中3歳(現表記2歳)Sをサクラロータリーの3着。
皮肉にも連勝を逃した勝ち馬が「サクラ」だった。
1987年クラシック戦線。
真っ先に異彩を放ったのがマティリアルだった。
寒梅賞を勝ったあと臨んだトライアル・スプリングS。
朝日杯3歳S覇者メリーナイス、阪神3歳S覇者ゴールドシチーを差し置いて1番人気となったのはマティリアル。
意外と最後方から行くマティリアル。
直線、まだ最後方。
とても届かない。
押し上げる。
あと100m、とてもムリ。
そこから、
弾けた!
一気にゴボウ抜き、勝利した。
鮮やか過ぎた切れ味。『皇帝』と同じ血統構成。オーナーの期待。調教師の惚れ込み。
すべてが重なり合って、溶け合って、マティリアルを怪物化したか?
人気だけを不動のものとしてしまった。
皐月賞1番人気。またしても後方から。鞍上・岡部幸雄にとっては不本意な戦いぶり、よく差したがサクラスターオーから0.4秒差の3着。ゴールドシチーにも遅れをとった。
ダービー1番人気。2着に6馬身差で圧勝したメリーナイスの18着。
折しも映画『優駿』の主役馬オラシオンのモデルをダービー勝ち馬で・・・と公表されたが、実際、撮影スタッフはこの日、マティリアルしか撮っていなかった。惨敗したマティリアル。とんだ道化にされてしまった。(後日、メリーナイスに似た栗毛馬で撮り直し)
体力的にも、精神的にも、華奢だったマティリアル。
過大な期待を糧に、より強くなれる馬、ではなかった。
セントライト記念7着。
菊花賞13着。
無惨。
クラシックをともに戦った87年代戦士。
悲運に見舞われた年代だった。
サクラロータリーは3戦3勝で3歳にして引退。
サクラスターオーは皐月賞、菊花賞を制覇も有馬記念で予後不良。
ゴールドシチーは引退、乗馬として放牧中に原因不明の骨折で予後不良。
メリーナイスは有馬記念でスタートと同時に落馬。5歳夏、その年3戦0勝のまま骨折引退。
勝てなくなったマティリアル。
世界の夢はいつしか消え、重賞でも掲示板を外す有り様。
それでも、ファンには人気があったマティリアル。
忘れられないスプリングSの直線、ゴボウ抜き。
あの豪脚を・・・、ひたすら待つファン。
世界など、どうでもいい。
小さな勲章でもいい。
伸びやかな君が、見たい。
スプリングSから2年6か月。
1989年、9月10日。京王杯オータムハンデ。
マティリアルは走った。
鞍上はセントライト記念以来、久々の岡部幸雄。
岡部は道中2番手でマティリアルを走らせた。
どよめく場内。
2番手から直線に向くや先頭、渾身のムチを振るった。
呼応したマティリアル。
先頭を譲らない。
負けられない。
見放さなかったファンのために、
勝ちたいッ!
闘争心、目いっぱいにマティリアルは躍った。
ターフを蹴った。
迫るアドバンスモア!
馬体は合ったが、
クビ差、凌ぎ切った。
ゴールの瞬間。
仕事人岡部が、小さく、小さくガッツポーズ。
これ以来、封印したガッツポーズ。
ゴール後、しばらくして、
岡部は下馬することとなった。
マティリアルの歩様が乱れたのだ。
右前第一指節種子骨複雑骨折。
マティリアルは馬運車で運ばれ、岡部は泣いた。
なんとか種牡馬に、
手術が行われ、
無事成功。
も、
ストレス性大腸炎を発症。
9月14日、
安楽死処置がとられた。
マティリアル。
明日への糧となるべき2年6か月ぶりの勝利。
明日は、なかった。
北海道門別町・シンボリ牧場産。
7冠馬『皇帝』シンボリルドルフ。
シンボリルドルフが第1冠目・皐月賞を獲った1984年、4月15日。
その11日前、4月4日。シンボリ牧場で生まれた期待の星・マティリアル。
父パーソロン、母スイートアース。母の父スピードシンボリ。
シンボリルドルフと同じ血統構成。ばかりでなく、その均整のとれた馬体は早くから注目された。
調教師のなかで最も惚れ込んだのが美浦の田中和夫調教師だった。「サクラ」の総帥・全演稙氏に購入を勧めたが、価格面で折り合わず破談となった。
シンボリ牧場社長・和田共弘氏は自らが馬主となることを決め、田中師に管理を委託した。
「シンボリ」の冠を敢えて外し、将来、海外で雄飛することを念頭に置いた名、マティリアル。
『素材・逸材』をストレートに表現された。
1986年、10月。新馬デビュー戦を勝利。続く府中3歳(現表記2歳)Sをサクラロータリーの3着。
皮肉にも連勝を逃した勝ち馬が「サクラ」だった。
1987年クラシック戦線。
真っ先に異彩を放ったのがマティリアルだった。
寒梅賞を勝ったあと臨んだトライアル・スプリングS。
朝日杯3歳S覇者メリーナイス、阪神3歳S覇者ゴールドシチーを差し置いて1番人気となったのはマティリアル。
意外と最後方から行くマティリアル。
直線、まだ最後方。
とても届かない。
押し上げる。
あと100m、とてもムリ。
そこから、
弾けた!
一気にゴボウ抜き、勝利した。
鮮やか過ぎた切れ味。『皇帝』と同じ血統構成。オーナーの期待。調教師の惚れ込み。
すべてが重なり合って、溶け合って、マティリアルを怪物化したか?
人気だけを不動のものとしてしまった。
皐月賞1番人気。またしても後方から。鞍上・岡部幸雄にとっては不本意な戦いぶり、よく差したがサクラスターオーから0.4秒差の3着。ゴールドシチーにも遅れをとった。
ダービー1番人気。2着に6馬身差で圧勝したメリーナイスの18着。
折しも映画『優駿』の主役馬オラシオンのモデルをダービー勝ち馬で・・・と公表されたが、実際、撮影スタッフはこの日、マティリアルしか撮っていなかった。惨敗したマティリアル。とんだ道化にされてしまった。(後日、メリーナイスに似た栗毛馬で撮り直し)
体力的にも、精神的にも、華奢だったマティリアル。
過大な期待を糧に、より強くなれる馬、ではなかった。
セントライト記念7着。
菊花賞13着。
無惨。
クラシックをともに戦った87年代戦士。
悲運に見舞われた年代だった。
サクラロータリーは3戦3勝で3歳にして引退。
サクラスターオーは皐月賞、菊花賞を制覇も有馬記念で予後不良。
ゴールドシチーは引退、乗馬として放牧中に原因不明の骨折で予後不良。
メリーナイスは有馬記念でスタートと同時に落馬。5歳夏、その年3戦0勝のまま骨折引退。
勝てなくなったマティリアル。
世界の夢はいつしか消え、重賞でも掲示板を外す有り様。
それでも、ファンには人気があったマティリアル。
忘れられないスプリングSの直線、ゴボウ抜き。
あの豪脚を・・・、ひたすら待つファン。
世界など、どうでもいい。
小さな勲章でもいい。
伸びやかな君が、見たい。
スプリングSから2年6か月。
1989年、9月10日。京王杯オータムハンデ。
マティリアルは走った。
鞍上はセントライト記念以来、久々の岡部幸雄。
岡部は道中2番手でマティリアルを走らせた。
どよめく場内。
2番手から直線に向くや先頭、渾身のムチを振るった。
呼応したマティリアル。
先頭を譲らない。
負けられない。
見放さなかったファンのために、
勝ちたいッ!
闘争心、目いっぱいにマティリアルは躍った。
ターフを蹴った。
迫るアドバンスモア!
馬体は合ったが、
クビ差、凌ぎ切った。
ゴールの瞬間。
仕事人岡部が、小さく、小さくガッツポーズ。
これ以来、封印したガッツポーズ。
ゴール後、しばらくして、
岡部は下馬することとなった。
マティリアルの歩様が乱れたのだ。
右前第一指節種子骨複雑骨折。
マティリアルは馬運車で運ばれ、岡部は泣いた。
なんとか種牡馬に、
手術が行われ、
無事成功。
も、
ストレス性大腸炎を発症。
9月14日、
安楽死処置がとられた。
マティリアル。
明日への糧となるべき2年6か月ぶりの勝利。
明日は、なかった。