2006年、12月10日。朝日杯フューチュリティS。

直線ではドースミダイドウ、ローレルゲレイロ、フライングアップルの熾烈な先頭争いが繰り広げられていた。

出遅れ最後方を走っていた小さな馬が、


大外から、


唸りを挙げてすっ飛んできた。


ウソだよっ! なんだありゃー!


416㌔、ドリームジャーニーだった。

父ステイゴールド、母オリエンタルアート。母の父メジロマックイーン。


新馬以来、3戦2勝、3着1回。2番人気ではあったが、痛恨の出遅れ。直線の攻防では、みなが存在を忘れていた。


父ステイゴールドは生涯50戦。その最後の最後、海外・香港ヴァーズで初のG1をつかみとった馬。


その父に初の産駒G1をプレゼントしたのは、2歳初のG1レースをもぎとってしまったドリームジャーニーだ。


いぶし銀ステイゴールドが種牡馬として、いい肌馬と巡り合えるかは産駒次第。


ドリームジャーニーは父のために、大きな勲章を手に入れた。

厩舎では、『チビ』と呼ばれたやんちゃ坊主が・・・。


3歳、これからは自分のための勝負の始まり。

夢は、競走馬なら当然、『血を残す』こと。

父ステイゴールドの血を、母父メジロマックイーンの血を、種牡馬となって後世へつなぐ。

それが、サラブレッドの夢の運命(さだめ)。


『立派になって、牧場へ帰っておいで』

母オリエントアートの願い。


近親にもさしたる名馬はいない。『チビ』にとって、種牡馬の道は、自らの走りしかない。



弥生賞3着、皐月賞8着、ダービー5着。


秋、神戸新聞杯1着も、菊花賞5着。鳴尾記念8着。


3歳クラシックはすべて走った。ヴィクトリーが、牝馬ウオッカが、アサクサキングスが栄冠を手にした。

2歳王者の名は霞んだ。



ドリームジャーニー、『夢のような旅路』は、ない。

苦難と屈辱の連続。長い、長い旅路となりそうだった。




2008年、4歳。

重賞こそ2つ獲ったが、安田記念10着、天皇賞10着、有馬記念4着。

2歳王者は過去のものか?



2009年、5歳。

何かが変わった。

ほんの少しだけど馬体重が増えた。常時、420㌔台で走れるようになった。

ほんの少しだけど、「後がない」、チビの目に執念の光が宿った。


天皇賞では、追い込んで、追い込んで、マイネルキッツの3着。


6月、宝塚記念。敵は一歳下のディープスカイ。

好位から差すサクラメガワンダー、中団から差すディープスカイ。


後方から、鬼脚。


ドリームジャーニーは、すべてを切って捨てた。


復活、疾風の差し脚。古馬G1制覇だ。



天皇賞秋6着のあと、暮れのグランプリ。

12月27日、有馬記念。


前年の覇者・マツリダゴッホ。そして、新女王ブエナビスタ。


宝塚記念に続いてグランプリ連覇は、わずか5頭。

負けられないドリームジャーニー。


忘れられぬ中山の馬場で、最後方からレースを進めた。


3コーナー、マツリダゴッホが一気に上がる。

好位にいるブエナビスタ。


ジャーニーは静かに、徐々に、中団へ。


一気に行ったマツリダゴッホが、失速。

ブエナビスタが万全の態勢で先頭に躍り出たッ!


セーフティリードか?

思われた矢先、


来た来た来た、来たぁぁぁぁあああー!


小柄なドリームジャーニーが四肢をフル回転。


ブエナに迫り、


追い抜いた半馬身、


そこが、ゴールだった。



長い、長い、旅路の果てにやっとつかんだ『夢のような旅路』。

打ち建てた金字塔。



ドリームジャーニーの旅は続いた。



2010年、2011年、故障にも悩まされた。



2011年、宝塚記念10着。

これを最後にドリームジャーニーは競走馬としての旅路を終えた。



夢の旅路を終えて、種牡馬となり牧場に帰る。

ふるさと北海道で、新たな夢をつなぐ。



奇しくも、全弟オルフェーヴルが皐月賞、ダービーを獲った、この春。

競走馬としての『夢のような旅路』は弟に任せ、



ドリームジャーニーに、残す想いはない。


軽やかに、


牧場でトロットを踏むことだろう。




待ってるよ!


いつか、君に似た仔の雄姿を。