父はサンデーサイレンスの良血ダンスインザダーク。

その母ダンシングキーからはエアダブリン(ステイヤーズS、ダイヤモンドS)、

ダンスパートナー(オークス、エリザベス女王杯)、

ダンスインザムード(桜花賞、ヴィクトリアマイル)が出ている。


ダンスインザダーク自身、8戦5勝、2着2回、3着1回(菊花賞制覇、ダービー2着)、素晴らしい戦績をもつ。


そのダンスインザダークの初年度産駒。一番星。

最初に勝利を挙げたのが、ツルマルボーイだった。

父ダンスインザダーク、母ツルマルガール。母の父サッカーボーイ。



2000年、7月。小倉新馬戦、芝1200mを中団から差し切った、

まではよかった。


その後、10着、5着、4着、5着。勝てないまま新年を迎えた。


2001年。3歳。6着、7着、1着、2着、9着、3着。オープンさえ遠かった。

母ツルマルガールはオークス6着、朝日チャレンジC制覇など中央で5勝。

故郷で知らせを聞いて、嘆くかもしれない、歯がゆい成績だった。

後方一気、その不器用さゆえに勝ちきれない。


2002年。競走馬として最も強くなる年。

ツルマルボーイは成長を見せていった。


1月、1000万下条件戦を勝ち、1600万下飛鳥Sを3着。

3月、中京記念に格上挑戦。53㌔の恵量ではあったが、後方から3コーナーから捲り気味に進出。

直線、先頭に立つと一気に差を広げ、2着アンクルスーパーを5馬身引き離した。


5月、金鯱賞では皐月賞馬・菊花賞馬のエアシャカールを1馬身半、切って捨てた。

不器用なりに、唯一の武器、末脚の切れ味に磨きをかけた。

不器用だからこそ、それしかできなかった。


6月、初G1宝塚記念。頂点、てっぺん獲りだ。

策などない。切れ味鋭く、直線、突き抜けるだけ。


前半3ハロン35秒3、後半3ハロン34秒9。差しペースではない。

それでも、突き抜け、追い込んだ。

ダンツフレームのクビ差2着。


切れ味は、見せた。



重賞の常連となり、ワンパターンと揶揄されようと、自分の道を貫いた。

惜敗、惨敗、勝てなくても、切れ味の輝きだけは失わなかった。


2003年、5歳。天皇賞春4着、宝塚記念2着、天皇賞秋2着、有馬記念4着。

てっぺん獲りはあと少し。あと少しが、果てしなく遠かった。



2004年、6月。安田記念、芝1600m。


父ダンスインザダークから、つねに中・長距離を使われていたツルマルボーイ。

後方一気、不器用な切れ味は凄みを増しても、いつも誰か前にいた。

ダンツフレーム、ヒシミラクル、シンボリクリスエス。2着善戦マン、ツルマルボーイ。


いつしか6歳、もう後はない。

母父はサッカーボーイ、マイルG1・2勝。ツルマルボーイに走れぬワケがない。



レースはメジロマイヤーの逃げで始まった。2番手に外国馬、セルフフリット。

ローエングリン、ユートピアが3番手。すぐ後をバランスオブゲーム。

中団にウインラィデウス、ファインモーション。

後方に定位置ツルマルボーイ、テレグノシス。


前半3ハロン33秒7、ハイペース。

これ以上ないペース、あとは、馴れない短距離で切れ味が発揮できるか。


東京の長い直線、ひしめき合う先行馬。

抜け出してくるのは、ローエングリンか!

ユートピアか!

バランスオブゲームか!



外を突いて、追い込んでくる馬。



切れ味自慢では、負けてたまるかッ!



テレグノシスだァ!



そして、




真一文字、





不器用こそ、





一途の力、





ツルマルボーイ!





忘れちゃいない、父の一番星。



見せよ! 豪脚。




2頭が一気に前をとらえ、突き抜けたッ!


クビ差、


ツルマルボーイが抜けていた。




精魂尽き果てたか、G1・3走を完敗のあとツルマルボーイは引退した。

2005年より種牡馬。だが、2008年繁殖終了ももって種牡馬を引退。現在、ノーザンホースパークに乗馬として移動、元気な姿を見せている。

5月14日、産駒シャアが上賀茂S(1600万下)ダート1800mを勝利、オープン入りを果たした。