1979年、5月27日。第46回東京優駿競走(日本ダービー)。

歴史に残る名勝負といわれた。


年月とともに風化し、いつしか勝者のみがその歴史に残る。

歴史の重みのなかで、消え失せるか、記憶の馬。


いま、甦れ。



1番人気はカツラノハイセイコ。父は初代アイドルホース、『怪物』ハイセイコー。

ハイセイコーの初年度産駒で3歳(現表記2歳)時は6戦1勝と話題にも載らない存在だった。

明け4歳となってから3連勝。スプリングS2着、皐月賞2着でダービーへ進んできた。


地方・大井から通算10連勝で、皐月賞に続き2冠目を狙ったダービーで3着に敗れたハイセイコー。

その無念を・・・、ロマンに酔ったマスコミ。皐月賞馬ビンゴガルーも霞んだ。



話題に載ることもなく、数少ないファンから、その血の長距離の魅力だけで指示されていたのが、リンドプルバンだった。

父プルバン、母ムーンクローバ。母の父ハクリョウ。


北海道三石・米田牧場産。競馬会が一括して買い上げ希望馬主に抽選で譲渡する、抽選馬だったリンドプルバン。


長距離血統の父プルバン、菊花賞馬・天皇賞馬である母の父ハクリョウ。

距離延びてこその馬、その血統背景にもかかわらず3歳6月から早々とデビューした。

新馬戦、芝1000m。7頭立て4着。


短い距離中心の3歳戦、勝てるはずもなく負け続けた。

初勝利まで13戦。4歳2月だった。


15戦目、抽選馬のみが走れる抽選馬特別・ダート1700mを勝利。

17戦目、4歳中距離S(800万下)芝2000mを5馬身差圧勝。

ようやく、長距離の血の片鱗を見せた。と同時にダービー参戦を可能とした。



ハイセイコーの無念を…、カツラノハイセイコ。

朝日杯の覇者、皐月賞馬ビンゴガルー。

ダービー馬ロングエースの仔、NHK杯の覇者テルテンリュウ。

きさらぎ賞の覇者、皐月賞3着馬、ネーハイジェット。


リンドプルバン、8番人気。2400m、未知の距離への期待がそこにあった。



レースの焦点、すべては直線にあった。

東京競馬場の長い直線、半ばにある坂を駆け上がり、尚ある直線。


その先にある栄光のゴール。

数知れないドラマの集積路。


父の想いを、一身に包んで抜け出したカツラノハイセイコ。

ひたすらに、見つめるはゴール板。


負けじと追い込んできたのは、テルテンリュウ。

わが父こそ、ダービー馬! この脚を見よ!


そして、最内から満を持して追い上げるのが、

エリート集団からかけ離れた抽選馬、

適性よりも賞金のため、短い距離から、走らされ、走らされ、

負けず、めげず、自らでつかんだ走る権利、


勝って見せるッ! リンドプルバンだった。


必死のカツラノハイセイコ!

追うも必死のテルテンリュウ、リンドプルバン!


テルテンリュウが大きく内によれた。

ほぼ、立ち上がったリンドプルバン、鞍上・嶋田功。


真一文字に進むカツラノハイセイコ。

ドラマは終わらなかった。


あのダービーで、ハイセイコーに迫り、差し切ったタケホープ。

鞍上は嶋田功だった。


6年後、同じターフで、同じダービーで、

嶋田功は奇跡を念じた。


立て直したリンドプルバン。

その闘志に身震いした嶋田功は、力の限り追った。


見る見る詰まる距離。

カツラノハイセイコの尾が、背が、首が、迫るッ!


渾身一滴、リンドプルバンがターフを蹴り、跳ねた。


ハナ面をそろえて、ゴール。



長い長い写真判定。


3分が過ぎ、5分が過ぎ、10分が過ぎようかとする時、


ランプが灯った。




1着カツラノハイセイコ、ハナ差、2着リンドプルバン。


あまりにもわずかな差、とてつもなく大きな差、ハナ差。



リンドプルバンは7歳まで走り、天皇賞では1番人気にもなった。奇しくも、またカツラノハイセイコの後塵を浴び4着。冠なしのまま種牡馬の道は遠く、誘導馬として東京競馬場で第二の馬生を送った。晩年はJRA日高育成牧場で、同じ誘導馬として活躍したメジロファントムとともに余生を送り、28歳まで生きた。