1969年、3歳(現表記2歳)時、東と西にわかれ圧倒的な強さを見せた2強。

東のアローエクスプレス(朝日杯3歳S、京成杯3歳Sを含め6戦全勝)。

西のタニノムーティエ(阪神3歳S、デイリー杯3歳Sを含め9戦7勝、2着1回、4着1回)。


1970年、大阪万博の年。クラシックを戦い抜いた2強、AT対決。


2011年のいまとなっては、もはや、セピア色の世界。

記憶の扉を開けると色鮮やかに甦るのは、胸震わせてくれた馬のなすところか?


良血アローエクスプレス、野武士タニノムーティエ。

先行抜け出しアローエクスプレス。後方から大外捲り、追い込みタニノムーティエ。

すべてに対照的だった2頭。


スプリングS、皐月賞、ダービーをタニノムーティエが勝ち、アローエクスプレスが勝ったのはNHK杯のみ。

競走馬としてはタニノムーティエの圧勝となった。



ともに種牡馬となり、AT対決の第二幕は完全にアローエクスプレスに凱歌が上がった。

初年度から活躍を見せたアローエクスプレス産駒。

その代表となったのがテイタニヤだった。


1973年、4月24日。北海道静内町・池田牧場に生まれたテイタニヤ。

父アローエクスプレス、母ダイニトモコ。母の父シプリアニ。


母に棄てられた仔だった。

テイタニヤの母ダイニトモコは乳を飲ませないばかりか、近づくことさえ許さなかったという。

池田牧場は乳牛を主とした牧場であり、牛の体を拭いたタオルでテイタニヤを拭いたのが原因ともいわれている。牛の臭いのついたテイタニヤを、わが仔と思えなかったのか? 

タカエノカオリ、サクラスターオー、スペシャルウィーク・・・幼くして母を失い、代理母に育てられた仔は多い。

だが、テイタニヤは代理母候補もいず、しかたなく人間に育てられた。

様々な疾病の免疫をつけるためにも母乳は不可欠ではあったが、その心配も危惧に終わるほどスクスクと育ったテイタニヤ。

静内の品評会で総合3位に入るほど、素晴らしい馬体に成長した。

ただ、母のいないテイタニヤは人にはなつくが他の馬に溶け込めず、いつも1頭で牧場を駆け回っていたという。

幼くして、言い知れぬ孤独と闘っていたテイタニヤ。

やがてくる競走馬としての戦いの辛さなど、比ではなかった、かもしれない。



シェークスピアの『夏の夜の夢』に登場する妖精の女王の名からとられたテイタニヤ。

牝馬育てには定評のある関東の稲葉幸夫厩舎に入厩。ナスノカオリ、タケフブキ、ナスノチグサ、トウコウエルザで牝馬クラシックを制覇し、「牝馬の嶋田」といわれた嶋田功を鞍上にクラシックをめざすこととなった。

桜の女王、樫の女王(オークス)、母を知らない少女は人の夢を実現しようとしていたのかもしれない。

自分を世話してくれた、人が喜ぶならば。



1975年、7月。新潟で新馬デビュー。2着も、2戦目で勝利。

スタート難をもち、4着、3着と勝てない戦いも、秋から3連勝、3歳牝馬S勝利から最優秀3歳牝馬に選ばれる。

最有力女王候補となった。



1976年、クラシック戦線。

牡馬はトウショウボーイ、テンポイント、クライムカイザーが話題を独占するなか、牝馬はテイタニヤをはじめ、スカッシュソロン、クインリマンド、ベロナスポートが話題の中心にいた。

新春4歳牝馬Sを出遅れて7着と初の惨敗を喫したテイタニヤだったが、クイーンカップで1着となり、桜の女王をめざして西下した。



4月11日、桜花賞。

曇り空。花霞みのなか、22頭の乙女の祭典。

テイタニヤは、なぜかワクワクしていた。


競う相手とはいえ、多くの仲間の中にいる。いつも一頭だった牧場時代、遠くで仲間たちを眺めていた。

闘志をまき散らしているとはいえ、いま、そばでその息遣いを聴ける。

一面の薄桃色の向こうにはスタンドが見える。大観衆が見ている、待っていてくれる。


私の躍動を。


さまざまな想い、ゲートが開いた。テイタニヤは出遅れた。

キミノダービー、ホクザンラッキーが飛び出す。

好位につけるクインリマンド、スカッシュソロン。中団にベロナスポート。

テイタニヤはなんとか14番手まで上がった。が、ライバルたちは、みんな前にいる。


3コーナーからベロナスポートが一気に捲り気味に上がる。

クインリマンドも合わせて進出。3番手に下がったキミノダービーが再び先頭を奪う。


4コーナーへ。桜の女王めざして、熾烈な戦い!

直線、粘りに粘るキミノダービー! 並びかけるベロナスポート、クインリマンド!

まだ、テイタニヤは後方、11番手だった。


テイタニヤは弾けた! 

桜の女王、それは私を支えてくれたみんなの夢、ならば、それは私の夢。

獲ります! 私の全力で!


疾風の差し脚が、場内をどよめかした。

直線で先頭に立ったクインリマンドを、さらに1馬身半退けて、テイタニヤは桜花賞馬となった。



父アローエクスプレスが泣いた距離の壁も乗り越えてテイタニヤはオークスも制し、樫の女王となり、牝馬2冠を獲得。


だが、以後14戦、3着に入ることもなく競走生活を終えた。


妖精の女王テイタニヤ、幼き心の悲しみを人への愛で埋め、仲間との戦いで埋め、燃え尽きた、か。




母となり、10頭の仔を育み、活躍馬こそだせなかったが、愛情を注いだ。

26歳でこの世を去った妖精。


しあわせだったか、野暮は聞かない。

ただ、君が伝説の名牝であることは、私の胸に深く刻まれている。

いつまでもセピア色にならない、艶やかな均整のとれた君の姿とともに。