1975年、4月24日。北海道静内町・三澤牧場で生まれた鹿毛の牡の仔馬。
父イエローゴッド、母ファラディバ。母の父ハロウェー。
父イエローゴッドは1974年輸入された新進気鋭の種牡馬。のちに2冠馬カツトップエース、桜花賞馬ブロケードを出す。
母ファラディバはオークス2着馬。祖母ソーダストリームからはミオソチス(オールカマーなど重賞2勝)、アローエクスプレス(新馬から6連勝、1970年、クラシックで2冠馬タニノムーティエの最大のライバル。種牡馬としてテイタニア、リーゼングロス、ノアノハコブネなどを輩出)、サンシャインボーイ(宝塚記念)が出ている。馬主・伊達秀和氏が心血を注いだの血脈。
昨年3月に81歳で他界した伊達氏は、長きにわたって馬主として、オーナーブリーダーとして競馬界に貢献した人。
「日本では将来、スピード血脈の馬が主流になる」を信念に、繁殖牝馬としてソーダストリームを輸入し、スピード系種牡馬スパニッシュイクスプレス(アローエクスプレスの父)、イエローゴッドの輸入に尽力した。
持ち馬に自分の冠をつける馬主が多いなかにあって、冠をつけることなく、一頭一頭の個性を大切にした名をつけた。
名づけられた鹿毛の牡の仔馬。名は『ファンタスト』(夢見る人の意)。
絶対、と思われたアローエクスプレスのクラシック載冠。タニノムーティエによって阻まれた。
夢の続きをアローの甥の仔馬に託したか?
夢追い人、ならぬ夢追い馬ファンタストは1977年、6月、新馬デビュー。
ダート1000mでコクサイタイムに7馬身差の圧勝。
続く函館3歳(現表記2歳)では1番人気も落馬。
京成杯3歳S、タケデンの2着。朝日杯3歳Sはギャラントダンサーの4着。
3歳を1勝のみに終わったが、トップクラスの力は見せた。
1978年、明け4歳。
1月、京成杯、タケデンの4着。
2月、東京4歳S、サクラショウリの2着。
3月、弥生賞、1着。初重賞勝利。
実力№1と目されたサクラショウリを破り、夢は現実に近づいた。
『皐月賞は速い馬が勝つ』言われ続けた言葉。
馬主・伊達氏の一番ほしいタイトル、それは皐月賞だった。
4月16日。快晴の空の下、精鋭14頭。中山競馬場、皐月賞。
ファンタスト、夢の舞台。
快速のメジロイーグル・伊藤清章の逃走で幕が上がった。
何が何でも、行く。メジロイーグルの逃走に駆け引きはない。
付いてくるなら、来るがいい。速いラップで駆け抜ける。
2番手につけたのはファンタスト。スピード自慢は伊達氏の望み。
受けて立つ。
鞍上・柴田政人も、伊達氏の夢のありかを知り尽くす男。
寡黙な中に、勝利への想いは満ちあふれていた。
ファンタストよ、ともに夢の扉を押し開けよう!
インターグシケン・武邦彦、タケデン・岡部幸雄が続く。
後方で満を持すサクラショウリ・小島太、最後方はおなじみシービークロス・吉永正人。
夢はすべての馬、すべての騎手の胸に。
否、すべての馬主、すべての関係者、否、否、馬券を託したすべてのファンの胸にある。
切り開け! 身を躍らせよ! 14頭の若駒たちよ!
夢が、希望が、大歓声となって場内に響き渡る4コーナー。
耳をつんざく直線!
逃走者メジロイーグルの脚色は衰えない。
あと100m、まだ先頭。
ファンタストは外に合わせにかかった。
インターグシケンが来る!
サクラショウリも後方から、猛然と追い込んでくる!
あと、50m。やっととらえたメジロイーグル。
だが、インターグシケンの鼻面が見える。襲いかかってくる。
負けはしない。
夢に、夢に、とどけぇーっ!
クビ差。
ファンタストは勝利した。
ファンタストは、信念のスピード馬づくりの伊達氏にも、鞍上・柴田政人にとっても、初のクラシックの夢をかなえた。
ダービーでは、距離の壁か、サクラショウリの10着に敗退。
秋へのステップ前に臨んだ函館記念ではバンブトンコートの3着に敗れた。10日後。
函館競馬場の厩舎で腸捻転を発症。
獣医たちの懸命の治療もおよばず、ファンタストは悶絶しながら倒れ、帰らぬ馬となった。
壮絶な最後を看取った柴田政人は「倒れる瞬間に、俺の方に顔を寄せてきたんだよ。きっと誰かに助けてもらいたかったんだろうな」そう言って、涙にくれた。
1988年、北海道日高町に、伊達氏などが中心となって競走馬の育成・トレーニング施設として「ファンタストクラブ」が設立された。
競走馬はみな、育成・トレーニングされて、競走馬としての資質を身につけ、厩舎へと巣立っていく。
血統の違い、馬格の違い、それぞれあっても、
みな、平等に夢をもって競走馬となる。
その夢の預かり所、ファンタストの名は生きている。
「ファンタストクラブ」で育成された重賞馬第1号ホワイトストーンをはじめ、
レオダーバン、タケノベルベット、エルウェーウイン、ホクトベガ、グルメフロンティア、シンコウキング、タイキブリザード、タイキシャトル、ダイタクヤマト、アドマイヤコジーン、シンボリインディ、トウカイポイント、ゼンノエルシド、テイエムオーシャン、レディパステル、シンボリクリスエス、ウインクリューガー、ゼンノロブロイ、エスポワールシチー、ダノンシャンティ、キラ星と輝くG1馬たち。重賞勝ち馬も数多くここを巣立ち、ターフを駆け巡っている。
星となったファンタストよ。
空の上から、幼い競走馬たちの夢を見守っておくれ。
夜の闇に怯え、泣く仔がいたら、
そっと、やさしい光を与えておくれ。
夢をありがとう、ファンタスト。
でも、おまえの夢は、
ただ、ただ、故郷の牧場に帰ることだったかもしれない。
無事で、生きて、帰っておいで。
それが、母ファラディバのせつない想いだったのだから。
合掌。
父イエローゴッド、母ファラディバ。母の父ハロウェー。
父イエローゴッドは1974年輸入された新進気鋭の種牡馬。のちに2冠馬カツトップエース、桜花賞馬ブロケードを出す。
母ファラディバはオークス2着馬。祖母ソーダストリームからはミオソチス(オールカマーなど重賞2勝)、アローエクスプレス(新馬から6連勝、1970年、クラシックで2冠馬タニノムーティエの最大のライバル。種牡馬としてテイタニア、リーゼングロス、ノアノハコブネなどを輩出)、サンシャインボーイ(宝塚記念)が出ている。馬主・伊達秀和氏が心血を注いだの血脈。
昨年3月に81歳で他界した伊達氏は、長きにわたって馬主として、オーナーブリーダーとして競馬界に貢献した人。
「日本では将来、スピード血脈の馬が主流になる」を信念に、繁殖牝馬としてソーダストリームを輸入し、スピード系種牡馬スパニッシュイクスプレス(アローエクスプレスの父)、イエローゴッドの輸入に尽力した。
持ち馬に自分の冠をつける馬主が多いなかにあって、冠をつけることなく、一頭一頭の個性を大切にした名をつけた。
名づけられた鹿毛の牡の仔馬。名は『ファンタスト』(夢見る人の意)。
絶対、と思われたアローエクスプレスのクラシック載冠。タニノムーティエによって阻まれた。
夢の続きをアローの甥の仔馬に託したか?
夢追い人、ならぬ夢追い馬ファンタストは1977年、6月、新馬デビュー。
ダート1000mでコクサイタイムに7馬身差の圧勝。
続く函館3歳(現表記2歳)では1番人気も落馬。
京成杯3歳S、タケデンの2着。朝日杯3歳Sはギャラントダンサーの4着。
3歳を1勝のみに終わったが、トップクラスの力は見せた。
1978年、明け4歳。
1月、京成杯、タケデンの4着。
2月、東京4歳S、サクラショウリの2着。
3月、弥生賞、1着。初重賞勝利。
実力№1と目されたサクラショウリを破り、夢は現実に近づいた。
『皐月賞は速い馬が勝つ』言われ続けた言葉。
馬主・伊達氏の一番ほしいタイトル、それは皐月賞だった。
4月16日。快晴の空の下、精鋭14頭。中山競馬場、皐月賞。
ファンタスト、夢の舞台。
快速のメジロイーグル・伊藤清章の逃走で幕が上がった。
何が何でも、行く。メジロイーグルの逃走に駆け引きはない。
付いてくるなら、来るがいい。速いラップで駆け抜ける。
2番手につけたのはファンタスト。スピード自慢は伊達氏の望み。
受けて立つ。
鞍上・柴田政人も、伊達氏の夢のありかを知り尽くす男。
寡黙な中に、勝利への想いは満ちあふれていた。
ファンタストよ、ともに夢の扉を押し開けよう!
インターグシケン・武邦彦、タケデン・岡部幸雄が続く。
後方で満を持すサクラショウリ・小島太、最後方はおなじみシービークロス・吉永正人。
夢はすべての馬、すべての騎手の胸に。
否、すべての馬主、すべての関係者、否、否、馬券を託したすべてのファンの胸にある。
切り開け! 身を躍らせよ! 14頭の若駒たちよ!
夢が、希望が、大歓声となって場内に響き渡る4コーナー。
耳をつんざく直線!
逃走者メジロイーグルの脚色は衰えない。
あと100m、まだ先頭。
ファンタストは外に合わせにかかった。
インターグシケンが来る!
サクラショウリも後方から、猛然と追い込んでくる!
あと、50m。やっととらえたメジロイーグル。
だが、インターグシケンの鼻面が見える。襲いかかってくる。
負けはしない。
夢に、夢に、とどけぇーっ!
クビ差。
ファンタストは勝利した。
ファンタストは、信念のスピード馬づくりの伊達氏にも、鞍上・柴田政人にとっても、初のクラシックの夢をかなえた。
ダービーでは、距離の壁か、サクラショウリの10着に敗退。
秋へのステップ前に臨んだ函館記念ではバンブトンコートの3着に敗れた。10日後。
函館競馬場の厩舎で腸捻転を発症。
獣医たちの懸命の治療もおよばず、ファンタストは悶絶しながら倒れ、帰らぬ馬となった。
壮絶な最後を看取った柴田政人は「倒れる瞬間に、俺の方に顔を寄せてきたんだよ。きっと誰かに助けてもらいたかったんだろうな」そう言って、涙にくれた。
1988年、北海道日高町に、伊達氏などが中心となって競走馬の育成・トレーニング施設として「ファンタストクラブ」が設立された。
競走馬はみな、育成・トレーニングされて、競走馬としての資質を身につけ、厩舎へと巣立っていく。
血統の違い、馬格の違い、それぞれあっても、
みな、平等に夢をもって競走馬となる。
その夢の預かり所、ファンタストの名は生きている。
「ファンタストクラブ」で育成された重賞馬第1号ホワイトストーンをはじめ、
レオダーバン、タケノベルベット、エルウェーウイン、ホクトベガ、グルメフロンティア、シンコウキング、タイキブリザード、タイキシャトル、ダイタクヤマト、アドマイヤコジーン、シンボリインディ、トウカイポイント、ゼンノエルシド、テイエムオーシャン、レディパステル、シンボリクリスエス、ウインクリューガー、ゼンノロブロイ、エスポワールシチー、ダノンシャンティ、キラ星と輝くG1馬たち。重賞勝ち馬も数多くここを巣立ち、ターフを駆け巡っている。
星となったファンタストよ。
空の上から、幼い競走馬たちの夢を見守っておくれ。
夜の闇に怯え、泣く仔がいたら、
そっと、やさしい光を与えておくれ。
夢をありがとう、ファンタスト。
でも、おまえの夢は、
ただ、ただ、故郷の牧場に帰ることだったかもしれない。
無事で、生きて、帰っておいで。
それが、母ファラディバのせつない想いだったのだから。
合掌。