雪のように白い馬、白毛。
父母に遺伝子を持たない場合、それは突然変異による。
確率は1万頭に1頭とも2万頭に1頭ともいわれる。
日本で最初に生まれたのがハクタイユー。1979年生まれ。
父ロングエース黒鹿毛、母ホマレブル栗毛。
競走成績は4戦0勝だったが、種牡馬となり、その白毛の遺伝子をつないだ。
だが、産駒に活躍馬は見い出せなかった。
現在までに日本での白毛馬は突然変異6頭。遺伝子によるもの14頭。
合わせてわずか20頭の白毛馬。
その希少さからも、活躍馬を期待するのは酷な話。
1頭の白毛牝馬の出現を見るまでは。
1996年、4月4日。
父サンデーサイレンス青鹿毛、母ウェイブウインド鹿毛。
突如として生まれた白毛馬。
偉大なサンデーサイレンスがただ1頭残した白毛馬、
それが、シラユキヒメだった。
9戦0勝。白毛馬による中央初勝利を期待されたが、なせぬままに引退。
繁殖生活に入った。
2003年、第1子、ブラックホークとの間に白毛馬誕生。5戦0勝。
2004年、第2子、クロフネとの間に白毛馬誕生。名はホワイトベッセル。
現在16戦3勝。2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、白毛馬の中央初勝利馬となった。
2005年、第3子、ユキチャン。父クロフネ。
兄と同じく2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、3歳時、ミモザ賞を快勝。白毛馬の芝レース初勝利に加えて、特別戦初勝利をつかんだ。
オークス出走を狙いフローラカップに出走も7着と敗れ、路線をダートに変更。川崎競馬場の関東オークスで2着に8馬身差の圧勝。
白毛馬初の重賞レースの覇者となる。
4歳12月・クイーン賞、5歳1月・TCK女王盃と重賞2勝。
現在、休養中。
2008年、2009年、2010年とクロフネとの白毛馬を出産したシラユキヒメ。
白毛馬の初の記録を次々と塗り替える仔たち。
それはシラユキヒメの希望であり、偉大な種牡馬サンデーサイレンスの野望なのかもしれない。
いつの日か、白毛馬がG1の栄冠を。
シラユキヒメは、その白き姿に誇りと希望を持って、産み続ける。
わが仔がだめでも、その仔の仔が……。
果てしなき想いを、その血に託して。
舞い散る雪の大地に、大いなる嘶(いなな)きは響き渡る。
父母に遺伝子を持たない場合、それは突然変異による。
確率は1万頭に1頭とも2万頭に1頭ともいわれる。
日本で最初に生まれたのがハクタイユー。1979年生まれ。
父ロングエース黒鹿毛、母ホマレブル栗毛。
競走成績は4戦0勝だったが、種牡馬となり、その白毛の遺伝子をつないだ。
だが、産駒に活躍馬は見い出せなかった。
現在までに日本での白毛馬は突然変異6頭。遺伝子によるもの14頭。
合わせてわずか20頭の白毛馬。
その希少さからも、活躍馬を期待するのは酷な話。
1頭の白毛牝馬の出現を見るまでは。
1996年、4月4日。
父サンデーサイレンス青鹿毛、母ウェイブウインド鹿毛。
突如として生まれた白毛馬。
偉大なサンデーサイレンスがただ1頭残した白毛馬、
それが、シラユキヒメだった。
9戦0勝。白毛馬による中央初勝利を期待されたが、なせぬままに引退。
繁殖生活に入った。
2003年、第1子、ブラックホークとの間に白毛馬誕生。5戦0勝。
2004年、第2子、クロフネとの間に白毛馬誕生。名はホワイトベッセル。
現在16戦3勝。2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、白毛馬の中央初勝利馬となった。
2005年、第3子、ユキチャン。父クロフネ。
兄と同じく2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、3歳時、ミモザ賞を快勝。白毛馬の芝レース初勝利に加えて、特別戦初勝利をつかんだ。
オークス出走を狙いフローラカップに出走も7着と敗れ、路線をダートに変更。川崎競馬場の関東オークスで2着に8馬身差の圧勝。
白毛馬初の重賞レースの覇者となる。
4歳12月・クイーン賞、5歳1月・TCK女王盃と重賞2勝。
現在、休養中。
2008年、2009年、2010年とクロフネとの白毛馬を出産したシラユキヒメ。
白毛馬の初の記録を次々と塗り替える仔たち。
それはシラユキヒメの希望であり、偉大な種牡馬サンデーサイレンスの野望なのかもしれない。
いつの日か、白毛馬がG1の栄冠を。
シラユキヒメは、その白き姿に誇りと希望を持って、産み続ける。
わが仔がだめでも、その仔の仔が……。
果てしなき想いを、その血に託して。
舞い散る雪の大地に、大いなる嘶(いなな)きは響き渡る。