『無事是名馬』、競馬をこよなく愛したという菊池寛の名言であるが、

有り余る素質、底知れぬ強さを持ちながら、

大成しなかった、否、できなかった馬は数多い。


400㌔から500㌔を超える馬体をか細い4本の脚で支え、スピードを生み出す。

その、かかる負担はどれほどのものか?


いかにも優雅に美しく、その躍動感。

美しさの陰には故障という悪魔が表裏一体となって潜んでいる。


1972年、11月、ビクトリアカップ(後にエリザベス女王杯となる)。1番人気、タカイホーマ。

父スパニッシュイクスプレス、母ホマレタカイ。

半兄に天皇賞馬ヒカルタカイをもつ。


3歳(現表記2歳)、4戦2勝。


4歳、クイーンカップを5馬身差で圧勝し、桜花賞候補として注目されたが、直前に体調不良を起こし断念。

復帰戦カーネーションカップを4馬身差で快勝。

オークス前哨戦、4歳牝馬特別を勝利。

オークスを堂々の1番人気で迎えたが、伏兵タケフブキ(1歳下にダービー、菊花賞、天皇賞を制したタケホープ=ハイセイコーの宿敵)に敗れ2着。


秋、4歳牝馬にとって最後の大舞台、ビクトリアカップを獲る!

それが、タカイホーマに課せられた大命題であった。

また、無事なら、それはタカイホーマにとって無理難題ではなかった。


懸念されたのは前哨戦の京都4歳特別の4着敗退。

調整途中のため、と思われたが、事実として脚部不安があった。

多少の脚部不安、女王の座、天秤にかけられ、タカイホーマは出走してきた。

無事に走れば勝てる。

厩舎は信じていた、タカイホーマの力を。


桜花賞馬アチーブスター、タイラップ、シンモエダケ、カンツォーネ、敵に不足はなかった。だが、臆することもなかった。

淡々とレースは流れ、その流れのなかで、タカイホーマは進出時を見定めていた。

余裕の走りだった。


悪夢は予期せぬ時に、突然に、襲いかかる。


向う正面、タカイホーマは他馬と接触、右後肢腱断絶。

失速。

だが、タカイホーマは走りを止めなかった。


3コーナーで左前脚を骨折。

鞍上・樋口弘は必至で止めようとした。

無駄だった。

タカイホーマは1頭、後方に置かれても、走るのを止めない。


4コーナーで右前脚を骨折、転倒。


転倒の弾みで


折れた骨が、心臓に突き刺さった。



とめどなく流れ出る鮮血がターフを染める。


出血死。




何を語る。何も、何も、言葉にできない。



ただ、タカイホーマよ、永遠に

その姿は忘れない。


私の胸のなかで、キミは走り続けている。