1975年生まれ、父フォルティノ(芦毛)、その父グレイソブリン(芦毛)から続く芦毛馬シービークロス。

いつも吉永正人を鞍上に馬群から離れ、どんじりから追い込みのスペシャリストといわれた。

その芦毛の馬体から『白い稲妻』と呼ばれ、個性派として人気のある馬だった。

目黒記念、毎日王冠、金杯を制したが、天皇賞3着、冠はなかった。

種牡馬となるも冠なしが災いし、人気がなく種付け料はタダ同然だった。


新冠の弱小牧場、錦野牧場にいるグリーンシャトー。現役時代19戦6勝、そこそこの活躍をした牝馬だった。

経営の悪化する錦野牧場はグリーンシャトーにシービークロスをつけた。

生まれた仔は芦毛の仔だった。

わずか、500万円、その仔馬の価格。

その仔馬を高く評価していた錦野牧場の錦野昌章氏は拒んだ。が、牧場経営のためには、仕方なし。

それが事実だった。


その仔はタマモの冠をつけて走ることとなった。

父シービークロス、母グリーンシャトー。その仔馬の名は、タマモクロス。


体質上なかなか仕上がらないタマモクロス、デビューは4歳(現表記3歳)3月と遅かった。

新馬戦こそ芝で走ったが、以後、ダートを中心に走り、8戦1勝。


このままなら障害に・・・・・、と考えられた矢先の芝2200m、タマモクロスは2着馬を7馬身離して勝利した。

続く藤森特別2000mは8馬身。


馬が変わってしまった、と思えるような快進撃。その要因は、誰も解らなかった。

この頃、タマモクロスの生まれ育った錦野牧場は倒産し、母グリーンシャトーは売却先の牧場で他界したという。錦野氏は転々と流浪の生活をしながらタマモクロスを陰で応援していた。しかし、決して表に出ることはなかった。優勝の表彰台の生産者席は、つねに空席だった。

初重賞、鳴尾記念もあっさり6馬身差の圧勝。



5歳となっても快進撃に終わりはない。

いや、凄みを増してタマモクロスは頂点へ駆け上がった。

金杯、阪神大賞典、天皇賞春、宝塚記念、を連勝。

最下級条件から7連勝でG1、2つをぶっこ抜いた。



1988年、10月30日。天皇賞秋。

競馬史に残る芦毛頂上対決が実現した。


タマモクロスに挑む、1年下の芦毛馬。

それがオグリキャップだ。

地方笠松出身、中央に殴り込んで破竹の6連勝。これまた負けることを知らない野武士。

生まれた時、さして期待されない境遇は、タマモクロスと似通っていた。


1番人気はオグリキャップ。タマモクロスは2番人気。

紅一点牝馬ダイナアクトレス、ボールドノースマン、シリウスシンボリ、マティリアル、強豪たちがかすむ、2頭のマッチレースとなった。


逃げるレジェンドテイオーの2番手。タマモクロス鞍上・南井が取った戦法だった。

あのオグリの末脚を封じるには、先にスパートするしかない。


2番手を進むタマモクロスは直線、オグリキャップを待つことなく、早々と先頭に立ち、ゴールをめざした。

猛追するオグリキャップ。

1馬身4分の1届くことは叶わなかった。

3着とは3馬身。


歴史に残るマッチレースを制したのはタマモクロスだった。


飼い食いが悪く、いつも細身。見かけは強くも見えない。

何が変わったのか?



そのレースで魅せる強さは、まったく別馬といえたタマモクロス。

決して出すことのなかった、その潜在能力。


貯めに貯めていたのかもしれない。



我走る、走る心は、我にあり。


孤高の芦毛馬、その名は、タマモクロス。


〈追記〉
マンガ『みどりのマキバオー』のミドリマキバオーのモデルとなった馬は、タマモクロスです。