キリスト教について考えていたら、スガシカオを思い出しました | Isarimaのブログ―日々コツコツ

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香港在住のワーキングマザーの日常生活を書いています。

新書コーナーで思わず手に取ったこの本。

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)/池上 彰

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この本を読んでなるほどと思ったのが、

宗教は「よく死ぬ」ための予習であるということ。

そして、日本人は自分のことをよく「無宗教」だと思っている人が多いがそうではなく。
実際は、「八百万(やおよろず)の神」というように、神道も仏教も同時に認め、
さらに、キリスト教やイスラム教など他の宗教に関しても
敬意を示すことができる宗教観を持っている、という所です。


私は、小さいころプロテスタントの日曜学校に通っていましたし、
カトリックの大学にも通っていました。

私は、キリスト教の考え方自体は嫌いではなく、むしろ哲学や思想として学ぶのは好きです。
でも、洗礼を受けたいかかと言われたら「NO」です。

何故だろうか、前述の「八百万の神」以外にもなにか理由はあるだろうかと考えた所
ふと思いついたものがあります。

それは、芸能人の「ファンクラブ」です。
(実際の信者の方にはとても失礼ですよね。申し訳ありません・・・)


実は、私はミュージシャンの「スガシカオ」の曲の大ファンです。
CDはほとんど持っています。
本当に昔からよく聴いていて、
彼の曲が無かったら今の私は無かったと断言できるくらいです。

実は、スガシカオには先日までファンクラブがありました。
(今は、彼自身の事務所からの独立により無くなっています)

私はファンではありますが、このファンクラブには所属していませんでした。
何故かというと、私はあくまでも「彼の音楽」のファンであって、
芸能人としての彼自身のファンでは無かったからです。
そしてそれだけであったら、CDだけ買って聴けば済むことだったからです。


今の私にとって、特定の宗派に属する事は、
この「ファンクラブ」に入会するようなものであるような気がします。
私は、今後も「スガシカオの曲を独りで聴く」のと同じように、
心の中で「自分だけの宗教観を持つ」事を続けるつもりです。



ただ、この考え方が変わる可能性もあります。

例えば将来子供が独立して、
夫が先に旅立ったら(勝手に死なせてるし(^_^;))
将来自分が死ぬための準備として、
どこかの宗派に所属する可能性もあるだろうなと思っています。