私は、自分が望んでこの世界にやって来た。
肉体も両親も環境も、色々なものを自ら選んで。

・・・らしい(笑)


そして、幼い頃に、今回の人生ゲームに必要な「設定」を身に付けた。
孤独感、自己否定、自信の無さ、不安や恐れ、、、

自ら計画した通りに。


それらを持って、
どれだけ愛に還れるか、
自分自身が愛であることを思い出せるか。


そう考えると、この「設定」は必要なもの、なんだな。
だって、それがあってこそのゲームだから。
設定が無かったら、ゲームは成り立たないから。

でも、「ゲーム」だって分かったら。
必要無いものは、手放して行けばいいよね。


不安や恐れは、悪いものじゃなくて。
もともとは、自分を守るためだったんだよね。
辛かったから、怖かったから、これ以上、傷付かないように。


「不安や恐れも、愛。自分を愛しているから不安にもなるし、恐れも感じる。」

こんな文章を読んだ。
ドキッとした。

私はずっと、自分のことを愛せない、
愛したいのにどうしたら良いのかが分からない…
そう思っていた。

でも、不安や恐れが愛であるなら、
私は、求めなくても、愛そうと必死に頑張らなくても、
既に最初から、自分自身を愛しているということ…?

ただ、愛の表現が、「不安」や「恐れ」というだけ。


それらは、幼かった私が、私を守るために必要だったもの。
でも、もうその方法で自分を守らなくてもいい。

だから、ありがとうって感謝をして、解放してあげる…?


まだよく分かっていないけど、
不安や恐れが出て来たら、
「ありがとう」、そう言えるような気がした。

そして、「もう要らない」と切り捨てようとするんじゃない。
そのまんま、受け容れるっていうこと。
小さい頃の悲しみや恐怖が、いまだ自分の中にあるのを許すということ。

思い込みや悲しみに気付いて、
心からそれを自分のものとして受け容れることができたら、
いまの私に必要の無いものは、自然に昇華していくのかもしれない。



これからも、何が起こるか分からない。
自我は、未来を怖がるけど。
でも、起こってくることは、「怖いこと」じゃない。
起きたことを通して、「自分」を知ればいい。

そして、すべては「私ひとりの力」で動いてるんじゃない。
自分の心に正直に選択して、あとは流れに委ねるということ。

「神との二人三脚」。
先日、いしちゃんさんがコメントしてくれた言葉。
そうだよなあ、「自分」がどうにかしなきゃ、って、全てをコントロールしようとしてるけど、
それは無理な話。
それに、苦しいよね。

コントロールしなきゃ、という思いの根底にあるのは、恐れと不安。

自分には何の力も無い、
コントロールしないと大変なことになる。

そういう自分の恐れに気付くこと。



自分を、そして宇宙を信頼する。
深刻にならず、頑張り過ぎず、でも真剣に、楽しんで。


そう思うと、「これから何が起こるんだろう☆」って、ワクワクする。

こうしてワクワクする日もあれば、
「分かってるけどさ~(T∀T)」という気分の日もある。
でも、それでいいのだ☆



私は、フタを開けることは、
もしかしたら、ちょっと得意wかもしれないww
でも、出て来たものを受け容れるのが、
ちょっと苦手なのかもしれない。

自分に優しくなっていいんだなー。

どんな醜い感情だって、恥ずかしい感情だって、あるものは、ある。
それを「本当の私はこんな人間じゃない!」「こんな感情は人として駄目だ」・・・云々、
そういうことをやるから、ややこしくなっちゃう。

どうしてこんなにも、いまのありのままの自分を否定して、「素晴らしい自分」になろうとしちゃうんだろう?

そんな疑問を持ってたら、ある人が、こんなことを言ってた。

「いまの時代、こういうことに興味を持つ人は、過去生で、ストイックな宗教生活を送っていたことがある人が多い。
ありのままの自分を否定して、創り上げられた素晴らしい神を崇め、それに近付こうと努力奮闘するのが、これまでの宗教。
だから、ありのままの自分では駄目だ、というのは、過去生からの観念として染み付いている場合がある。
でも、今は統合の時代だから、『修行』は、むしろ逆効果になる。
どれだけありのままの自分自身に気付いて受け容れて行くか、それが神に近付くことだ。」

大枠は、良く言われていること。
私も知識としては知ってる。
でも、「過去生からの観念」っていうのが新しかった。私にとっては。

なんていうか、過去生のせいにするんじゃなくて、そこに逃げるんじゃなくて、
単に、そういうクセがある、って観ることができるというか。
「どうして私はありのままの自分を否定しちゃうんだろー(T∀T)」じゃなくて、
「あ、私、もしかしたらそういうクセを持ってるのねー」っていう感じ?

その方が、「あ、またやってた。えへ( ̄▽+ ̄*)」って、
深刻にならずに流せるような気がする。

・・・私にとっては、ですww


ワンネス体験もね。

自分そのものが愛、すべてが愛だってこと。

ワンネス体験が無くても、日々の生活で、経験を通して、自分に沁みこませて行くことはできる。

一朝一夕で分からなくてもいい。


ほら、ワンネス体験はハプニングなんでしょ?

起こそうと思ったって無理なんだったら、

地道な努力(っていう言い方はアレかもだけど)の方が確実じゃないの。

ワンネス体験だけ追い求めたって、それが起きなかったらどうするのさ( ̄▽ ̄)ノ


水が石に穴を穿つように。


・・・自我ちゃんは、損得には敏感だから、

こうやって、「こっちの方が得だよん♪」って理解すれば、協力してくれるハズww





今日も長々と、つらつらと書きました
読んでくださった方、心からありがとう☆







「お・・・重いm(_ _;)m そしてイライラ」 の記事を書いた翌日。


ホクレっちのブログを読んでいたら、
「あぁ~、またややこしく考えてドップリだったなあ(w_-;
とりあえずリラックスだ~。」と思えて。

ちょっと我に返って。
ホクレっちの手の差し伸べてくれっぷりに感謝して。


その後、昼ごはんを食べている時に、ふと、
「ドコへ行きたいんだ私??」という疑問が浮かんだ。

自分をまるごと認めて大好きになって、ラクになって、
穏やかに、幸せに生きて行きたい。
自分のことも人のことも愛したい。

行きたいのは、
ありのまま、そのまんまの自分を認める、そっちの方向。

そのために、
「頑張らなきゃ。今の自分じゃダメだ、もっと違う自分にならなきゃ」って。
必死で(というほどでも無いけどw)、色々と試行錯誤して。

で、疲れちゃった(笑)



・・・私、ドコへ行きたいんだっけ?

「ありのままの自分に寛ぎたい」、
それなのに、「今の自分じゃダメだ」って。

「ありのまま」じゃ「ダメ」ってこと?

・・・おかしくないか??

そう思ったら、ちょっと笑えた。


そして、その夜。

paoさんのブログ、「もうちょっとの壁」 を読ませていただいて、
一言一句に、思わず「うわ~!!」と声が出てしまうほど感動して。
私が昼間感じたようなことや、躓いていることが、
本当に深い、深い理解と愛をもって書かれていて、
優しく語りかけてくれているようで。

きっと、何度も読みます。
paoさん、本当にありがとうo(^-^)o


そして、自分のブログに戻ったら、
私のブログに、スピカちゃんがコメントをくれてた。


そのコメントを読んだ途端に、すんごい怒りが沸いて来て。

「それは分かってるよ!
神様が許してくれてたって、私は私を許せない。
私が私を許してないだけだって、分かってるけど、
どうしたら許せるのかが分からないんだよ!!
私だって苦しいのに。

どうしろっていうの!!!」って。

泣いた。

泣いてるうちに、
「ありのままの私でいいわけない!ありのままじゃ誰にも愛されない!!
私は悪い子なんだから。人に好かれないんだから。
だから頑張って演技するんだ、嫌われないようにするんだ!!

ひとりぼっちはイヤだよ。。。」
そんな激しい気持ちが、バーっと出て来た。

以前に比べると、だいぶ軽くなって来てたように思っていたけれど、
まだまだあったんだなあ。

そして、子どもの頃の、
「私を愛してくれる人は誰も居ない」っていう気持ちや、寂しさ、悲しみ、
そして、「私は何も持ってない、だから誰も好きになってくれない」っていう思い、
ひとりぼっちだという思い。

そんなものも出て来て。
さらに涙が溢れて。

こういう風に泣くのは、久しぶりだった。


泣きながら、「この感情を抱きしめよう」とか、
「インナーチャイルドに寄り添わなきゃ」とか考えたけど、
もういいや、って。
泣きたいから泣いてる。
子どもの頃の自分が、可哀相でいじらしくて、泣けて。
それでいいやって。

そうしたら、一瞬、すごくすごく微かにだけれど。
すべてを優しく見つめるような温かいものが、自分の中にあるように・・・感じた。



30分くらい泣いたかなー。
おかげで翌日は、一日中、目が腫れハレww

お岩さんのようになっていた( ̄▽ ̄)ノ



スピカちゃんの愛が、私が誤魔化してた部分を炙り出してくれたんだと思う。

スピカちゃんの言葉だから、私は、「自分の中のこと」として観られんだと思う。
本当にありがとう☆



話は変わるけど、私は自分のインナーチャイルド?と、ご対面??というか、
ちゃんと意思疎通??したことは無いけど、
なーんか、感じとして、大人っぽいんだよね。
ちっちゃい子なのに、なんかすごく大人っぽくて温かい感じ。
私よりも、よっぽど大人で愛があるような。

そういうイメージがあるんだなあ。




「ありのままの自分を認める」って、本当に文字通り、
「そんまんまの自分でOK」ってことだよね。

イライラしたらい、嫉妬したり、余裕が無くて人に優しくできなかったり。
それもOKってこと。
だって、そういう反応をしちゃうんだもん。

・・・ここで自我ちゃんは、
「そんなのOKなわけないじゃん!!」って言うけど。


でもさ、そこなんだよ。
「そんなのOKなわけない!」じゃなくて、「それもOK」なんだよ。
「OK」って思えなかったら、無理にそう思わなくていい。
ただ、「あ~、私ってこうなんだな。」って。
否定しない。

あ、書いてて気がついた。
「嫉妬したり人に優しくできなかったり、こんなの『本当の私』じゃない。
本当の私はもっと優しくて穏やかであるべきなんだ。」
っていう思いがあるんだなー。

思いっきり「本当の私」を否定しているじゃんm(_ _;)m

ざーんねんでした♪
「本当の私」は、嫉妬もイライラも意地悪もするんだなーヽ( ̄ー ̄ )ノ


そして、paoさんが書いてくれているように、
愛や感謝は、後から自然についてくるものなんだ。
頑張って「獲得」しようとするものじゃなくて。
心から、本当に自分を受け容れた時にやってくるもの。

思いっきり「獲得」しようとしてたよーん( ̄ー ̄;



傷ついてる自分、
目を向けて欲しい、こんな私でもいい?って言ってる自分を置き去りにして、
「邪魔なもの」として目を逸らして。
「これがある限りは幸せになれない」とでも言うように。
そして、「もっと素晴らしい自分」になろうとしてた。


なーんかね、すこし、分かりかけて来たような気がする。
「ありのままの自分」ってことが。

あれこれ思考で意味を付けたり分析したりせずに、
「ただそう感じてる、そう反応してる」って気付いて、それを否定しない。
かと言って、自分を正当化するのでもなく。
「どんな自分も受け容れよう!」って、力むのでもなく。


そして、「ありのままの自分はドコだ!?」って、

常に四六時中、監視をするんでもなく。


寛ぐ、っていうことだよね。

リラックス。


「悪いこと(と思うこと)」の反対側が、必ずあるってこと。
「表裏一体」
それはまだちょっとよく分からない。
だから今は放置しとく。(ホクレっち譲りのワザ(* ̄▽ ̄)ww)

間違ってるかもしれないけど、今の私の理解。
だから、そうしてみる。

(でも、前にも同じような結論に達したことがあったような・・・(-д-;)
ま、いいか~=3)



そして、こんなことも思った。

「私は愛されない」って、思い込み、だよなー、って。
思い込みが強過ぎて、思い込みだと思ってなかったフシがある( ̄Д ̄;;

少し前の「事実と経験の違い」で言えば、
私にとって、「私は愛されない」は、「事実」になってた。

でもそうじゃないんだ。

「私は愛されない」というのが自分の思い込みだと思うと、
なんだかアホらしくなってくる。
「私は愛されない」って頑なに言い張ってたのは、私だけだったんだ。
「事実」じゃないのに、事実かのように思い込んで。

もちろん、幼い頃の経験から、その思い込みはできた。
「愛されない」と思ってしまうような経験があった。
でも、それはその時のこと。

思い込み、って分かれば、我に返った時に、

「ありゃー、またやっちゃった(^▽^;)

なおちゃーん、だからそれ、思い込みだってば☆」って思える。


ただ、私の場合、逆に振れ過ぎちゃって、
「私は愛されてない」→「私は愛されてる!」って、
今度は頑張って「愛されてる」証拠を探す・・・ってことをやりかねない(T∀T)

それはちょっと気をつけよう。。。(^_^;)


反応したときに、ただ一歩引いて観る、ということ。



「悟り」も、それが無ければ幸せになれない訳じゃない。
でもいつの間にか、「悟らなきゃ幸せになれない」って思い込んでた。

「悟りがすべてじゃない、どっちでもいい」って思えば、
悟りを追い求めて、悟るために色々と頑張って・・・ってしなくてもいい。

(頑張っちゃってたからww)
その方が気楽だよね~ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ




そんなことを考えながら歩いていたら(イマドコ状態ww)、
押さえつけられるような重さが・・・増したwww
重いというか、上から圧力がかかってるような感じなんだよねえ。

瞑想中に、たまに似たような感覚になるかも?
でも、もういいのだ。


そして、会社に着いたら、同僚が、私が飲みたがっていたジュースをくれた。
それが、ものすごくありがたかった。
「自分のを買ったついでですから~」と言ってたけど、
買う時に、私のことを考えてくれたんだなあ、って。
そう思うと、すごく幸せだった。



そんな私の8月18日~19日でありました。

(でもその後、母とのバトルが勃発するのだけれどねww)




とりとめの無いひとりごとを読んでくださった方、

心から、ありがとうo(^▽^)o















私の母親は、被害妄想がもんっっっのすごく強い。

それは、母の生い立ちから来ているのだろうけれど。


そしてもちろんその被害妄想の強さは、私の中にもあるww


でも、自分の被害妄想に気付いたことで、

前よりは、それをコントロールできるようになってきたと思う。


でも、母の被害妄想には、ダメ。

巻き込まれる。



さっきも、母の被害妄想が大爆発した。

お決まりの「どうせ私のことなんてどうでもいいんでしょう!」って。


始まりは、ほんの些細なこと。

ちょっとした言葉を、勝手に「責められた」と解釈して、

一度そうなってしまうと、もうダメ。

何を言っても聞く耳を持たず、「もういい!もういい、分かった!!」「どうせ私なんて」を繰り返す。



さっきは、母の中の被害妄想がハッキリ見えた。

どうしてああいう言い方しかできないのかな、って。


普段はそこまで冷静でいられず、私も応戦してしまって、

本当にドロドロの争いになる(笑)


母親に負けたくないから。

母親が「それみたことか」「私の方が正しい」と思うことは、

私にとって、ものすごく屈辱的なことだから。


今日も、少し反応してしまった。やっぱり。

でも、途中で「ああ、これじゃあ激しくなるばかりだ」と思って、止めた。


母が何を言い募っても、「ふーん」とか、生返事しかしなかった。

母はずっとひとりで文句を言いながら、自分の部屋に入って行った。

きっと、今夜もずっと、不平不満と、自分がどれだけ不幸かを考えながら眠るんだろう。


やりきれない気分になる。


母に適当な対応をしたことに対して、すごい罪悪感があった。

母を見捨てたようで。

母に歩み寄って、優しい言葉をかけて安心させてあげられない自分が、

とても薄情で冷酷な人間に思えて。



しばらくして、ちょっと待てよ、と思った。


この母の状態が、「相手からエネルギーを奪おうとしてる」っていうこと?

自分は被害者だと信じて疑わず、

「アンタのせいで私はこんなに不幸だ」と、相手に罪悪感を抱かせようとする。


てことは、私はそれをストップしたのかな?


・・・そうなのかな??( ̄ー ̄;

〔自信が無いww)



もしそうだとしたら、ストップする方も、こりゃあエネルギー使うなあ(=◇=;)



でも、ストップするにしても、もっと愛のある方法を選べるようになりたいな。

今日のじゃ、ストップというよりも、やっぱり見捨てたみたいだもん。


でも、これが今の私の精一杯。

それを認めよう。






あ~、でも本当は、本当のほんとは、

コトの発端は、私なんだよなあ。


その言葉には、ほんの僅かだけど、

でも、母に意地悪してやろう、っていう気持ちが、確かにあった。

たぶん私の中に、未だに母に復讐してやりたい、思い知らせてやりたいっていう思いがある。


・・・そして、もうひとつ、甘え。

こんなこと言っても受け容れてくれる?という、歪んだ形の甘え。

でも、それが受け容れられたことは無い。


最初に被害者として奪おうとしたのは私だよー。分かってるよー・゚・(ノД`;)・゚・



うん、ごめんなさい(T_T)

明日、謝ろう。


そして、優しくされたがってる私を、

「どんなこと言っても、どんなことやっても好きだよ」って言ってもらいたがってる私を、

抱き締めよう。







【追記】

この後、瞑想して内観したら、

「私が突っかかって行っても、優しく受け止めて欲しいのに。」っていう気持ちが出て来た。


そして、

「お母さんは、自分の辛さばっかり私に言うけど、私の辛さや寂しさは全然分かってくれない。感じ取ってくれない。」

これは初めて出て来た感情かも。

小学校1~2年の頃の気持ちみたい。


あとは、こんなのも。

「お父さんを怒らせるお母さんはキライ!」

「お母さんはバカだ、最低だ。」


涙が出た。

ちょっとスッキリした気がした。




その後、急に、「人に意地悪してやりたい」っていう気持ちが出て来た。


意地悪して、相手がカチンと来るのを喜んでるような、

後ろ暗い喜び?みたいな??

「わーい、怒った。カチンと来た。イヒヒγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ」っていう感じ(笑)


友達に対しても、会社の同僚に対しても、

わざと、相手を挑発するような、「意地悪してやろう」みたいな時がある。


それ、経験として楽しんでたらしい。。。(。-人-。)

その「イヒヒ」っていう意地悪な喜びを感じ続けてる間、左胸がずっと、じんじん痛かった。


で、そういう変な喜びを感じる一方で、

「そんなこと言ったらダメだよ!相手がどう思ってるか分かってるのに、なんでそんなこと言おうとするの!止めなよ~!!」っていう自分も居て、


どうやら、その自分の中の「天使と悪魔の戦い」みたいな状態も、

実は深いところでは楽しんでたような・・・?



いや、瞑想中に浮かんだことだから、それが本当かどうかは分からない。

(良い子は、瞑想中の体験や浮かんだことにはこだわらないように~( ̄▽ ̄)ノ)


でも、妙に納得する感覚があったんだよね( ̄ー ̄;

あ~、経験したかったのかもなあ、って。



「意地悪」とかに限らず、

経験しに来てるのかもね~。善悪関係なく。


と思った出来事でした。