今日の瞑想中、久しぶりに、深い静寂を感じた。

その時に、
「自分が判断、ジャッジをしなければ、世界はこんなにも平和だ」という感覚が、ふと湧いてきた。

阿部さんの言う、「起きることがただ起きているだけ」というのが、分かったような気がした。

一方引いて観るということ。



私は瞑想中も、これまでずっと、「自分」から離れることができていなかったんだな。
常に思考のとりとめの無いおしゃべりが、ぐるぐると頭の中を周り、
それを眺めているつもりだったけれど、実際は、どっぷり浸かっていた。


「自分が消えた」ような感覚では無かったけれど、
でも、心の中は、とても静かで、穏やかだった。


心の中の状態が、つまりは自分の観る世界なのだろうか。





あと、「自分自身を信頼する」ということ。

誰かに分かってもらおうと必死で頑張らなくても、
自分が、自分のことを本当に分かっていれば、それでいい。


正解も不正解も無く、自分の感じていることや正直な気持ちがすべてだし、
それを疑う必要は無い。
そして、それは、自分が分かっていればいい。


でもすぐに自分自身を離れるて、外に、外に求めてしまう。

人と繋がることは、とても素敵な、幸せなギフト。
でも、まずは自分自身と繋がること。




こういったことを「理解」したわけじゃない。
瞑想中にふと湧いた感覚。

こういう感覚に触れるのに、1年以上もかかってしまった。
中には、瞑想を始めてすぐに理解する人も居るというのに。

でも、これが私のペースなんだな。

人と比較してしまう気持ちは、まだまだとっても強いワタクシ( ̄∀ ̄)ww




この頃、こういう、分かりそうで分からない、そんな感覚を覚えることが多い。

もどかしいのう…(∋_∈)





今日もありがとうございます。
心からの感謝をo(^-^)o









「いま」を感じるっていうこと。
「いま」しかない、っていうこと。


分かるようで、うーん、実は、いまいち分かっていない。


つい最近、「おおっ」と思う説明を聞いた。



では、ここで質問☆

あなたは、今日、朝食に何を食べましたか?

・・・思い出しましたか??


朝食を思い出している時、あなたは、
「今朝、朝食を食べているとき」に居ました。
肉体はここにあっても、あなたの意識は「今朝」に居た。


意識は、目には見えないけれど、意識もまたエネルギー。
確かに存在している。
だから、意識が「そこ」に行っているときは、実際に「そこ」に行っている、のだ。
肉体は「ここ」にあっても、意識は、「そこ」に行っている。

であれば、過去のあれこれを思い出したり、未来を心配したりしているその時、
やっぱり、「いまここ」に居ないんだ。
その時に私は、意識の行っている、過去や未来に居る。


「いま」に意識を合わせていることが、「いまここ」に居るということ。

意識は、時間も空間も無く、この世界を行き来する。
それが、「時間も空間も無い」ということ。


うーん、言葉にしようとすると難しい(T∀T)
でも私の場合、この説明を聞いて、
「いまここ」っていうことの輪郭が、少し明確になった気がしたのです。



改めてこんな風に書くまでもなく、

みなさんが教えてくれてることなんだけれど(;´▽`A``
やっぱりこういうのもタイミングで、

「お?分かったかも??」という時があるのかな~。




そして、前世について。


前世は、「私の魂」という固定したものが輪廻を繰り返すんじゃなくて、
大元の海に還って、経験してきたことを共有して、
そこからまた、ひとつの雫としてこの世界に返ってくる、ということ。

だから、歴史上の人物の前世を持つ人が、複数居てもおかしくない。
大元に混ざっちゃうんだもんね。
で、そこからまた出てくる。

これもまた、阿部さんやみんなが教えてくれてることだけど、
いまいちピンと来ていなかった。

最近、理解したわけじゃないけれど、
「そう考えるとラクだよなあ」って思うようになった。


私の経験は、私だけのものじゃない。
大元に還ったときには、「みんなの経験」になる。
それに、他の誰かの経験も、結局は、「私=ひとつ」の経験だ。

そう考えると、苦しくなるほど人に嫉妬したり、

「私の経験なんて・・・」と自分を卑下したり、

「もっと、もっと!!」と無理に頑張ったり、欲を出したり。
そういうことは必要無いのかも、って。



みーんな、ひとつ。
本当は、奪い合ったり、争ったりする必要は無い。
不足感や飢餓感を感じたりする必要は無い。


たまたま、普段は見ない黒斎さんのブログを見たら、
「魂が輪廻するのではなく、カルマが輪廻を望む」というようなことが書いてあった。

(黒斎さんのブログはコチラ
なるほど~、と思った。

(もしかしたら、解釈が間違っているかもしれませんm(_ _)m)



ボブっちが、「もしもあなたが今回『なお』を選ばなければ、他の魂が『なお』を選んでいたんだよ。」と言っていて、
私には「??」という感じだったけれど、
それも、なんとなーく、分かるような気もしなくもない。
(けど、やっぱりこれはよくワカランなぁ~Oo。。( ̄¬ ̄*)ww)



みーんな、ひとつ、かあ。


劇で、みんなが主役や「良い」役をやりたがったら、劇にならない。
色々な役を演じる人が居てこそ、劇は成り立って、
お互いさまで、みんながそれぞれの、様々な経験をしている。

そう考えると、この世界は、ほんとにゲームなんだろねww

「あっち」に還ったら、
「いや~、熱演だったね!演技だなんて全然気付かないよ~!!思わず、激しく憎んじゃったよ(≧▽≦)」
「うん、我ながらなかなかだったと思う。自分でもすっかりその気になってたもん(^ε^)」
「しかし不思議だよね。あの世界に居るときは、本当にすっかり忘れてるもんね。めっちゃリアルだよねえ。」
「でもおかげで、良い経験ができたわ~☆」
なーんてやってるんだろうかww
(もちろんこれは、そうだったら面白いなーという想像ですm(_ _;)m)


アタマで理解しても、大して役には立たないのかもだけど、
でも、ある意味、エゴちゃんを説得するには有効なわけで。

「イヤだよ~、怖いよぅ。゜゜(´□`。)°゜。」と抵抗するエゴちゃんに、
「いやいや、実は、みーんなひとつ、らしいよ?損も得も無いらしいよ??( ̄ー ̄)」と囁いてみることは、
なかなか有効なのではないか。(私の場合は、ですww)


でもこの「抵抗」が、まさにエゴ、なんだねえ。
「自分」にしがみつく力。
何がなんでも、「分離した自分」を、「外の脅威」から守ろうとする力。

「みんながひとつ、『自分』というのものは無い」って考えると、
「そんなわけないやろー!!!『私』はここに居るぞ~!!!ヾ(*`Д´*)ノ"」って(笑)


私はたぶん、我がすごく強いんだと思う。

だから損得にも敏感だし、不安感も強い。

我が強いっていうのは、分離感も強いということ。


「自分」を必死で守ろうとするから、苦しい。
「自分」が無くなっちゃえば、こんなにラクなことは無いだろうな。
自分が無くなるって、執着やこだわりが無くなるってことだもんね。

「みーんなひとつなんだよ♪」って、エゴちゃんが、何となくでも理解してくれたら、

安心感にも繋がると思うんだよね。




と、こんなことをつらつらと感じたり考えたりしてる日々。
深刻になりそうになったら、
リラックス~:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


人生は壮大な冗談♪



というわけで。


今日もありがとうございます☆
心からの感謝をo(^-^)o









「スピカちゃんの談話室」で、スピカちゃんとお話して来たo(^-^)o

スピカちゃんとは、これまでの経験がすごく似ている部分が多くて、
話してても「そうそうそう!!」っていう感じで、
とーっても楽しかったヾ(*´∀`*)ノ


時間があっという間に過ぎたなあ。
あと3時間はイケたww

スピカちゃん、本当にありがとうございました☆



話している中で、私は、「常に、私の中での最高の愛(と私が定義している状態)で在ろう」としているから、苦しいし、疲れるんだ、ということが、よく分かった。

愛は、無理して与えようとしなくてもいい。
もちろん、本人がそうしたければしてもいい、んだろうけど、
私は無理だ~。しんどいからww


自分が愛で満ちると、自然と溢れ出す。
それでいい。
余裕がある範囲でやればいい。

私にも、たまに余裕がある時もある。
気分が良くて、みんなが愛しく感じるようなとき。
たまに、だけど~ww
そういう時には、自然と優しくなってる。
そういうことでいいんじゃないかな、と思った。




まずは、自分の穴をふさぐこと。

今の私は、穴ぼこだらけの状態だから。

数年前にカウンセリングを受けていた時にも、カウンセラーの先生に、「私はザルなんです」って、泣きながら訴えたっけ。

愛が欲しくて欲しくて、人から必死で貰おう、奪おうとする。
それが手に入った時は、とても嬉しくて幸せだけど、
でも、その幸福感は、一瞬で消えてしまう。
穴からどんどんこぼれて行って、私の中に残らない。
私は空っぽのザルを抱えて、途方に暮れる。
「ああ、私は、愛を与えるどころか、受け取ることさえできない。」と絶望して、
やりきれない虚しさを抱えて。

ザルの穴をふさげばいい、自分を愛すればいい、って分かっても、
肝心な、その方法が分からなかった。

そんな時に、阿部さんの、
「自分を愛せないなら、自分を愛せない自分ごと愛しましょう。」
そんな言葉に出会った。
(私の記憶なので、表現は違うかもしれません。ごめんなさいm(_ _)m)

その言葉を読んで、びっくりした。
だって、そんな発想は全く無かったから。



そしていま。
その頃から、たいして進歩の無い私が居る(笑)

なんだかんだと言いつつ、自分から逃げようとしていたんだと思う。
でも、自分のことは、自分にしか分からない、変えられない、っていうこと。
逃げ続けて、ようやく分かってきたみたい。


昨日の瞑想中に、
「わたしは、ここにいる」という感覚があった。
言葉で表現できないけれど、
ずっとずっと、私は、ここに居た、っていう感覚。
自分自信と繋がる、というか。
私はきっと、本当の私、を、外に探そうとしていたんだな。
それが、なんとなく分かった。

あと、「自信」て、単純に、文字通り、「自分を信じる」、
自分を頼みにする、っていうこと。

(でもこういうのって、その時は「分かった」ような気になっても、
ほんっとに、あっという間に消えて行っちゃう(T∀T)
今も思い出しながら書いてるけど、もうほぼ消えてる~。
なかなか、腑に落ちた!と行かないところがもどかしい(ノД`))



私の中に、まだまだある、悲しみや寂しさ。
孤独感、孤立感、無価値感。
私しか、感じることも、受け止めることもできない。
消えないものなら、もう、諦めて、一生お付き合いする覚悟をした方が良いのかも(笑)

「もうそういうものを味わいたくない!」って、やっぱりどこかで思ってるんだな。
でも、どうやら、そうは行かないみたいだしww(私の場合、です。)

出て来た時に、「イヤだ~、感じたくない!」と思うから、余計にしんどいわけで。
これは消すことの出来ない私の一部なんだ、これからもお付き合いして行くんだ、と思えば、少しは抵抗も減るかもしれない。

イヤなものでも、悪いものでも無いんだもんね。
(むしろ本当は、それを味わいたい可能性の方が高いというww)
仲良くやっていく方がいいよね(^~^)b

私の得意技の「イジケ虫」も、
確かにイジケ虫なんだけど、それは、「悲しみ」とか「寂しさ」なんだよね。
あと、みんなが好き、っていう気持ち。
「イジケ虫」なんて呼んだら可哀相かなあ、って。




あと、スピカちゃんと話してて「なるほど」と思ったのは、
「全体を信頼する」ということ。

私は、ぜんぶをひとりでやろうとしていた。

人が素晴らしい経験をしていれば、「私もそれが欲しい!」と思うし、
逆に、私は何もできない、と思うことで自分を責めたりもする。

まあ、ひとことで言えば。とっても貪欲なんですねww



私には、私の役割がある、っていうこと。
いつかホクレっちは、「全宇宙を代表して『私』をやっている」、みたいに表現してたかな?
すごく「おお!」と思う言葉だった。
(ホクレっち、違ったらごめん~(T_T))



私にできなくても、全体が、宇宙がバランスを取って、
「他のわたし」がやってくれる。
それを信頼する、っていうこと。




麻美ちゃんが、よく、「おかげさま」という話をしてくれるけど、
それも、こういうことかな、って思う。
「私の願いは、私が叶えているんじゃない。全体が叶えてくれる。おかげさま」って。

これまで、その感じが良く分かっていなかったけれど、
なんとなく、言わんとしていることが感じられた。

ついつい、「私が自分の力で実現した」と、

当たり前のようにそう思ってしまうけれど、
実は、気付かないところで、私たちは、いっぱい影響し合ってるんだな。




あれもこれも、って欲張らなくていい。
それが楽しいなら、それで全然OKだけど、
私みたいにしんどくなるなら、ちょっとボリュームを落とした方がいい(笑)

まあ、これも、根っこは、自己否定感なんだけどね。
「いまの私じゃダメ」だと思うから、
もっと素晴らしいものが欲しい!そうしたら変われるはず!!となるわけで。

得意じゃないところで無理して頑張ろうとするよりも、
まずは自分を知って、自分の土俵で自分らしく生きる方がラクだよね。



「自分の性質を知る」、かあ・・・と思っていたら、
ご縁があったのか、受けたセッションでこんな話になった。



クローバー私の魂の本質が発揮されているとき

・落ち着いている

・ものごとに動じない

・優しさを感じられる(自分の優しさも、相手の優しさも)

・穏やか

・包容力がある

・ものごとを楽しめる

・一体感を感じる

・精神的に自立している



クローバー私の魂の性質から離れているとき

・時間に追われる

・振り回される

・想像と実際の出来事が混ざる

・思い込みが激しい

・被害者意識が強い

・言い訳、正当化をする

・人からよく思われたいという思いが強い

・人の話を聞かない



あくまでも外からの情報だから、鵜呑みにするわけじゃないけど、
でも、納得できる部分が多い。
特に「魂の本質から離れているとき」の状態なんて、
すべて「あるあるある」の大合唱ww



これを見ると、長所と短所のように見えてしまうけれど、
実際は、どちらもあるからこそ、自分を知ることが出来る、と。
だから、性質から離れている時が悪いんじゃない。
そういう時は、ただ、そういう自分に気付いていればいい、と。
そう言われた。


スピカちゃんも、こんな話をしてくれた。

魂の性質は、中立。

だから、ポジティブにもネガティブにもなり得る。
ネガティブだと思う性質も、必ず、ポジティブにもなり得る。
自分でそれがよく分かると、自分で選べるようになる。感情さえも。
(あ~、上手く表現できなくてごめんねスピカちゃん(ρ_;))

私は、ずっとネガティブ寄りにフォーカスし過ぎて来たから、
ポジティブな解釈を心がけてみたら?
そうしたら中立も分かるかも、というアドバイスを貰った。





話は全く変わるけど、
少し前にネットサーフィンをしていた時に、
「逆ホ・オポノポノ」というものを知った。
ヒュー・レン博士の提唱する正式なものではないようだし、
どういうものかは分からないのだけれど。
(興味がある方は、「逆ホ・オポノポノ」、「逆ポノ」で検索してみてください。)

ちょっと惹かれるものがあって、瞑想前に、逆ポノの4つの言葉を唱えてみた。

4つの言葉というのは。。。(正式には検索してくださいね!)
「愛されています」
「許されています」
「愛しています」
「ありがとうございます」


言葉を唱えるたびに、ずーんとエネルギーを感じる、みたいな感覚があって、
「許されています」という言葉では、私の中の何かが刺激されて、涙が出た。

「神様はなおちゃんのことを許しているんだよ」って、前にスピカちゃんに言ってもらったことがあるけれど、
その時は、「神様が許してくれてたって、私は私がどんな人間かを知ってる。私は私を許せない!」と思った。

「許されています」という言葉を胸の中で唱えたとき、
「ああ、私は私を本当に許していなかったんだなあ」と、

ふっと、理解したような感覚になった。
だからそう言ってるじゃんww、って感じだけど、
なんていうか、改めて、「ああ、そうだったんだなあ」と、しみじみと感じたの。

「私が私を許していないだけだった。」

そう思った。
(これも言葉にするのは難しい。。。)

そして、私も、世の中のすべても、最初から全部許されているんだ、と。
そう思ったら(完全にここは思考だけどさ)、もっと涙が出た。
静かな幸福感があった。




と、色々と書いてきたけれど、

これが、ここ1週間(数日かも?)の間に起こったことですからねえ。
いや~、目まぐるしい( ̄ー ̄;




そして、今日。

「もーヤダ。疲れた。こんなことしても何も変わらない。どうせ私の人生なんて、ちょっと良くなったと思っても、それは一瞬で、結局、虚しくて寂しい人生が続くんだ。いつまでこんなこと続くんだろう。もうウンザリ。エネルギーとか魂とか、やっぱりそんなの幻なんじゃないの?なんだか仕組みが分かったような気になって、時々は幸福感も安心感もあったりするけど、すぐ消えちゃうじゃん。そうしたら、また、それを追い求めてさ。頑張っちゃって、苦しくなって。分かる人には分かるんだろうけど、私にはやっぱり全然分からない。あーもうヤダヤダ!!。゜゜(´□`。)°゜。」

私の中は、こんなんなっとりますww

だから、「そうかそうかー。うん、しんどいよね。進んだ感じも、自分が進歩してるっていう証拠も無いもんね。・・・じゃ、止める?」

そう問いかけると、
「・・・やめない(ノд・。) 」という感じなので。


まあ、こんな日もあるだろ、ってことで。
人間には、バイオリズムというものもあるしねえ。

この状態をイヤがらず、でもじーっと観て。

いつもよりも更に、

ちょっとしたことで被害者意識に陥りやすくなってる自分を自覚して。


まあ、何でもアリってことです(・∀・)☆
(これだけ書いておいてそれか、っていうww)

だってさー。
全部必要なプロセスなんでしょ?
だったら、何でもいいよねえヽ( ̄ー ̄ )ノ



「自分はどうしたいのか」、これが全てなんだろうな。
「どうしたいのか、なんて言われても分からない」、「私には無理、理解なんてできっこない」と思ってるし、
自分のことは信じられない、誰か助けて、答えを、「正解」を教えて!!と、根っこの方で思ってるから、すごく難しくて怖いことに感じてしまうけれど。
ただ、ここに居る自分自身と、一体となること。

「いつか」のためじゃなく、いま、なんだな。

ほんとうに。

・・・そんな風に感じる。




今日も、心からの感謝を(^ー^)
ありがとうございます☆



(しかし長いぜ~(^▽^;))