ブリージングのワークショップ
に行って来た。
今回が、えーと、5回目のブリージングかな?
『調和(ワンネス)・信頼』のワークでした。
今回は、何となく、前日から行きたくなくて。
気が重いなあ、と思いながら出かけたけれど、
ワークショップが始まってからも、なんだか気乗りしない。
今回は、ペアを組んでのワークだったんだけれど、
とにかくね、抵抗があるのですよ。
私は、人見知りもしないし、
人と合わせることに、それほど苦痛を感じないタイプなのだけど
(そう思ってる、けどww)
その日は、「合わせる」ということが、なーんかイヤで。
特にそのペアの相手というのが、
「自分が苦手だと感じる人」(そういう人とペアを組む)だから、
余計に抵抗が。。。
もちろん、相手がイヤとか嫌いとか、そういうことじゃなく、
自分の中の「何か」が反応して、モヤモヤしたり、重い気持ちになったり。
そういう自分が居心地が悪くて、「イヤだ」と思う訳ですが。
そういう意味で、「相手は居ない」んだよねえ。
面白いよねえ。
「何が」そんなにイヤなのか、自分に問いかけ続けたけれど、
ハッキリとは分からなかった。
でも、一緒にワークをやる中で、
パートナーに、すごく愛おしいような気持ちが湧いてきたりもして。
でもまた、エゴちゃんは、それが面白く無いのね。
「イヤな(と感じてる)相手に、気を許しちゃいかーん!!」ってww
これって、自分の中の、自分が「イヤだ」と思っている部分を許しちゃダメだ、
そう思ってるってことだよね。きっと。
あー、めんどくさ(w_-;
そうそう、名前のワークも、やっぱりすごく抵抗がある。
とにかくイヤでイヤで。
何か具体的な感情が湧き上がってくるわけじゃないけれど、
今回も、大泣きしてしまった。
どうしてそんなにイヤなんだろう?
自分の名前が嫌いなわけでも無いのに。
強いて言えば、「私は祝福されてない、ダメなんだ」っていう感覚、かな。
悲しみのような、絶望感のような・・・。
あはは、いつもの特別意識かww
りっちゃんには、
「産まれてきた時の何かがあるのかもね。
もしかしたら、産まれてきた喜びで泣いているのかもしれないし。」
と言われたけど、
少なくとも、「喜び」っていう感じじゃないんだよなー(T_T)
まあ、考えても分からないんだけどねー(;-ω-)
でも、そのうち分かるといいな。
ブリージングも、今回は、
パートナーと隣同士で寝て、呼吸を合わせる方法だったのだけれど、
なかなか呼吸が合わなくて。
りっちゃんに、「呼吸を合わせて!」と言われて、頑張るんだけど、
呼吸の音もよく聞こえないし、どうやっても合わない。(と、私は感じた。)
(後から聞いたら、パートナーは、
深く入り過ぎて、呼吸が止まっている時間が長かったらしい。
そりゃ聞こえんわ(><;))
だんだんイライラして来て、
「もういい、合わせるなんて面倒だ。
自分のペースでやってやるー!!ヾ(。`Д´。)ノ」
そう思って呼吸していたら、
突然、泣き叫び始めた。
最初はよく分からなかったけれど、
「合わせるなんてイヤだ!どうして私ばっかり!!」
という感情が爆発しているようだった。
(そういう感情を感じつつも、私自身は、それをどこか冷静に観ている感じもあり。)
泣き方はどんどん激しく、突き上げるような感じになって行き、
それとともに感情も、
「どいつもこいつも勝手なことばかり言いやがって!!!」と、
怒りと悲しみの入り混じったようなものになって行った。
私は、特に「怒り」を押し殺して来たという自覚はあるから、
(父親を見ていて、「怒り=悪いもの、表に出したら人を傷つける、嫌悪すべきもの」という図式が、強固に出来上がっている。)
「ああ、やっぱりそういう気持ちが私の中にあったんだ。」
「人に合わせることは苦では無いと思ってきたけれど、
我慢して合わせていた場面もあったんだな。」
そんな風に思っていた。
そして、「ああ、出て来てくれて良かったなあ」と思った。
ひとしきり泣き叫んで、落ち着いて来た頃、
突然、参加者のひとりが、大きな声で笑い始めた。
あまりにも無邪気に楽しそうにゲラゲラ笑っているから、
つい、つられて笑ってしまった。
そうしたら、結構本格的に笑えて来て。
笑いながら、「ああ、こうやってみんなで仲良く楽しく笑いたいなあ。」と、
幸せな気持ちになって行った。
そして、急に、また泣き声が出始めた。
「今度は何だ?」と思っていると、
どうやら、「甘えたい」という思いのようだった。
「私だって甘えたい、甘えたいのに」という感情が、バーっと出て来た。
最初の、叫ぶような激しい泣き方とは違って、
子どもが、悲しくて泣いているような泣き方だった。
子どものころに甘えた記憶が無いし(実際は不明)、
ずっと、「甘えるってどういうこと?」と思って生きて来た。
そして、「人は甘えても許されるけれど、私が甘えることは許されない」と。
だから、「甘えたい」という素直な感情に対して、
「やっと出て来てくれたねえ。」と思った。
「私は、『甘えちゃいけない』という思いを押し殺している」と、
アタマで理解するだけなのと、
こうやって、自分の中にそういう感情があることを実際に感じるのとでは、
だいぶ、違うように思う。
「これからは、いつでも出て来ていいよ。」
そう思いながら、好きなだけ泣かせてあげようと、
沸いてくるままに泣き続けた。
すると、しばらくして、ちっちゃな子どものイメージが出て来た。
とても無邪気で純粋で、
何も無いのに、楽しそうに幸せそうに、ケラケラ笑っている感じ。
そして、すごく素直に甘えているようなイメージで、
とにかく可愛いのだ。
この子がどういう存在かは分からないけれど、
(「私自身」という感じはしなかった。残念ながら(笑))
「ああ、こうやって素直に甘えていいんだなあ。
それにしても、なんて可愛いんだろう。」
そう思いながら、その子の存在を感じていた。
すごく、穏やかで幸せな気持ちだった。
ブリージングで、具体的な感情、
しかも、押し込めて来た自覚のある私自身の感情が出たのは初めてだったから、
なんだか嬉しかった。
けれども、
終わって、あースッキリ♪となるはずが、
シェアの時間が始まると、何故かどんどん、
どんよーり、 やさぐれた気持ちww になって行った。
「え?嘘でしょう??あんなに感情も出たのに、
あの子の存在で幸せな気持ちにもなったのに、
どうしてモヤモヤするんだろう。」
そう思ったけれど、どうやら、
「注目されたい、構ってもらいたい、気にかけてもらいたい」
そういう感情が出ているようだった。
かなり強い感情で、黙って座っているのもしんどいほど。
でも、いつもりっちゃんに言われる通り、
押さえつけず、呼吸をしながら、ただ、それを感じていた。
シェアが終わると、パートナーが呼ばれて、
再誕生の儀式?をすることになった。
その時に、私の中のイライラ・モヤモヤが限界に達した。
「やりたくない!」という気持ちと、
そして、こんな気持ちで参加するのも申し訳無い、という思いで、
「イヤだ」と言ってしまった。
それを言うことに、かなり抵抗も葛藤もあった。
「こういう場だし、自分のこの感情は殺して参加しなきゃ」、そういう思いもあった。
私がそういう発言をすることについて、その方に対して申し訳無い気持ちもあった。
でも、押さえ切れなかった。
そして、ワーク中は、なるべく自分の感情に正直で居たいという思いもあった。
それが身勝手で自己中心的なことだと分かっていても。
りっちゃんに、
「なおちゃん、そこを超えないと変われないよ。嫉妬は置いといて。」と言われた。
本当にその通りだ。分かってる。
けど、イヤだ。やりたくない。
・・・でも、いつもこうだ。こんなのイヤだ、変わりたい。
それに、私は本当に「やりたくない」のか?
・・・やろう。
やるからには、私のこの感情は関係無く、本当に相手のために呼吸をしよう。
せめて無心になろう。
そう思った。
私は、いつもこの「妬み、嫉妬」という気持ちで躓いているように思う。
りっちゃんが、その人の感情を肩代わりして泣いていた間、
とにかく、「辛かったね。良かったね。頑張れ。」そんな思いだった。
その人が愛おしいような気持ちになった。
そして、自然と涙が流れた。
終わった後は、あの激しい抵抗感が嘘のようにスッキリしていた。
よく、「自分から与えること」と言われるけれど、
私には、それが本当に難しい。
そんな自分を恥じて、情けなく思って。
そこを超えるには、
まず、 自分で自分を心から抱きしめてあげること、
自分を満たすこと、なのだろうか。。。
そして、グダグダ言わずに、思い切ってやってみる、ということ。
引き摺られない覚悟も、必要かもしれない。
ブリージングは、毎回、起きることが違う。
今回は、まさに私にとって「調和」がテーマだった。
あと、ワーク後のりっちゃんのお話で印象に残っていたこと。
私が、「上下に振れるのが大きくて疲れる」と言った時だったかな。
「上とか下とか無いんだよ、『いま』しか無い。
私はいま、ここでこうやって座って話してるでしょう?
この表現しか無い。
『いつか』は無い、いまできる表現しか無いんだよ。」
上手く言葉にできないけれど、すごく伝わって来た。
「いま」、どういう自分で在るか、それがすべて。
「いつか、今よりも良い自分になるための『いま』」じゃない。
色々な人が伝えてくれるけれど、このタイミングで、りっちゃんの言葉で、
何となく、感覚として分かった気がする。
継続して、今も何となく凹み中だけど、
ゆみさんが、そこにはお宝がある、って言ってくれた。
「愛されたい!」って叫ぶ私を「待っててね」と置いといて、
外に求めようとするのは、
きっと、方向が違うんだろうね。
でもさ、何故か、そこは後回しにしちゃうんだよねーm(; _ _)m
そこが一番肝心なのに。
・・・肝心だから逃げるのか?
「誰かに満たしてもらいたい」って外に求めていれば、
自分の責任で頑張らなくてもいいもんね。
でも、自分のことは自分でしか受け止められないという、
至極当たり前のこの仕組みww
愛や優しさを外に求めて、
人からいただいたり、時には奪うことさえしても、
自分が穴だらけだと、どんどんこぼれて行ってしまう。
そして、虚しさ、空虚感、悲しみだけが残って。
それはもう、散々経験して来たし、自分でも分かってることなのにね。
自分の穴をふさげるのは、自分だけだ。
でも実はね、「自分を愛する」っていうことが、
いまひとつ、分かっていなかったりするのですよ・・・(T∀T)
以前、ちょっとご紹介した「逆ポノ」は、
その受身な感じが、私には合っている気がするので、
しばらく、それをやってみる。
(「私は私が大好き!」という感じは、
白々しい感じがしてしまって、抵抗があってダメなのだ(><;))
(ともちゃん、まさに「受身」だよね!
なんか、ともちゃんの言葉でピンと来たことがあるの。ありがとう☆)
あとは、ゆみさんやみんなが教えてくれるように、
自分の中の寂しさや惨めさ、悲しみと、 しっかり向き合うこと。
「逃げずに受け止めるよ、大丈夫だよ」って、安心させてあげること。
今日も、読んでくださってありがとうございます☆彡
心からの感謝をo(^-^)o