マインドが反射的に反応していることに気付く。
…この気付く「私」は誰?
そして、マインドの反応を、ただ観ているような「私」。
さっき、ほんの一瞬、不思議な感覚になった。
「本当の自分は観察者である」
そんな表現、無かったっけ?
(自信無し~(^▽^;))
これが、そういうことなのかな。
最近、マインドとの間にちょっと距離ができたような、そんな気がする。
前にホクレっちのブログに
同じようなコメントをさせてもらったこともあるんだけど。
私は、「悟りたい」とか、「特別な力が欲しい」と思っていることは否定できない。
・・・というか、正直に言うと、欲しいっす。
ははは(〃 ̄ー ̄〃)
で、それって何故だろうと考えてみると。
「そういう経験をすれば、人生が圧倒的にラクになる」「救われる」
そう思っているのはもちろんなのだけど。
(でも最近はちょっと諦めて来たのだ~。
・・・というか、「悟り体験」が無くても、そのように生きようと思えば生きられるのだということを、たびたび目の当たりにして、
「体験」よりも、そちらを求めるというか、そちらの道を選択せざるを得なくなっているような状態(´▽`;))
悟り体験をして「愛」を知れば、
人に愛を与えられるようになる。
そうすれば、人の役に立てる。
役に立てれば、認めてもらえる。
感謝してもらえる。
人に感謝されるのは気分が良いのだヾ(´ε`*)ゞ
・・・おっと、つい本音がww
与えることができれば、
人に好きになってもらえる。
愛してもらえる。
好きになってもらいたい、
愛して欲しい。
でも、それと同じくらい、
人の役に立って、人から感謝されるようなことができて初めて、
私は、存在する意義がある。
存在を許される。
そんな風に思っている。
つまり、「何もできない自分には存在価値が無い、許されない」という思いを持ってるってこと。
「私には、差し出せるものは何も無い」、
大きな愛とか、優しさとか、人にあげられるものを私は持っていない。
そう思っているんだよね。
何も持っていない私は、愛される価値が無い、
愛を受け取る資格なんて無いと思う。
だから、受け取るのが怖いし、受け取ることができない。
「繋がり」を取引きにしちゃうから、
与えられるものが無い自分には、価値が無いと思ってしまう。
貰いっぱなしはダメだから。許されないから。
相手から貰ったものかそれ以上を返せなければならないから。
そうしないと、見捨てられる。見限られる。
無条件の愛なんて信じられない。
そういう思いがあるから、
「無い」と思っているものを自分の中から必死で搾り出さなきゃいけないと感じる。
だから、「愛」や「繋がり」に苦痛や恐れを抱く。
繋がりを求めながらも、面倒だ、怖い、と思ってしまう。
ところで。
自分がそれを与えなきゃって思ってるっていうことは、
相手にも、それをちょうだい!って期待しているということか?
・・・確かに、「大きな愛」を期待してるから、
だから、些細な(と見える)愛を、見過ごしちゃったりしてるかも。
。゜゜(´□`。)°゜。
そういう意味では、本当に、私は私の観る世界を生きて来たんだなあ。
「愛」や「繋がり」を感じられない世界。
それを生きて来た。
そして、そういう世界を創っておきながら、
それに気付きもせず、
「どうして?」って、「寂しい、寂しい」って泣いてた。
「愛」や「繋がり」といったものを、心の底から求めながらも、
そういったものと縁の無い自分にが悲しく、憤りを感じて、
「私には」手に入らないものとして諦め、
それらに対して、怒りのようなものさえ感じていた。
自分の中で、それらを、
「存在しないもの」「上辺だけのもの」「綺麗ごと」とすることで、
愛や繋がりといったものを、見下してもいた。
だから、それを実際に感じること、信じて身を委ねることに、
今の私は大きな抵抗と恐怖を感じる。
「信じてもまた失望するだけだよ」、
「他の人にはあっても、私には手に入らないよ」と怖がる自分も居る。
でも、最近は、
こんな私に「愛」や「繋がり」を感じさせてくれる人や場所に出会えて。
本当に、本当に感謝です。
(でもすぐに忘れて逆戻りしちゃうんだけど~(T∀T))
微かであっても、「愛」や「信頼」、「繋がり」を信じられるような時は、
「私は、自分自身で居てもいいのかもしれない」という安心感に包まれる。
本当に欲しいもの。
それが分かったら、選ぶだけ。
だって、自分で選べば良いんだもん。
こんなに素晴らしい、すごいことは無いよね。
「できない」とか「無理だ」とか、そういう思いは、
ちょっと脇にどいてもらって。
あはは、自分を信じる道のりもまた一歩ずつ、ですなあ~(^~^)
根気も根性も無くて、地道な努力ができない、
「継続は力なり」とは間逆の経験ばかりの私だけど、
でも、これだけは、諦められないと思う。
津留晃一さんのメッセージ集。
以前にも読んだけれど、改めて読み返してみると、
以前とは違う理解があるように思う。
心に響く言葉がいっぱいあるなあ。
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/sub3.htm
今日も、読んでくださってありがとうございます。
いつも、ありがとうo(^-^)o
心からの感謝を☆
私は、
優しくないし、思いやりが無い。
狡いし、冷酷だし、自分のことしか考えてないし、
真面目でもなければ、誠実でも無い。
計算高くて腹黒くて偽善者で、
いかにも相手のため、という顔をして、実は自分の欲を満たそうとしてる。
卑怯で、自分を守るために体裁を取り繕う。
面倒臭がりでだらしがなくて、
意思なんてコンニャク並みにぐにゃぐにゃで。
「私なんか」と思う一方で、
「どこかで私は人とは違う」と優越感を持って、人を見下したりもして。
・・・まだまだあるけどww
(ああ、みんなが後ずさって行くのが見える~(/TДT)/)
でも、そんな私でも、許されてるんだって。
しかも、なんと、このまんまで。
・・・すごいねえ(笑)
以前、スピカちゃんに、
「神さまに許されてるんだよ」って言ってもらったことがある。
その時は、
「神さまが私を許してくれたって、私が私を許せない!」と思った。
でもさ、
最初の最初から完全に許されてるんだったら、いいんじゃない?
それを感じてみても、いいんじゃない??
ちょっと、そんな風に思い始めてる。
と、ここで気付いた。
私、本当に、自分のことを許して無かったんだなあ、って。
「私が私を許せない!」って言ってた時は、
そのことに気付いて無かった。
・・・ヘンだよね?
自分でそう言ってるのにね。
でも、気付いてなかったの(笑)
思い込みって、本当にすごいよねえ( ̄ー ̄;
誰かから、何かから、許されてないって感じていたし、
「こんなに醜い、汚い人間である自分が許される訳が無い」って。
そんな自分を、許しちゃいけないって思ってた。
でもそれは、私が私を許してないからなんだ。
でも、許されてるんだって。
神さまは、太っ腹だなあ。
だったら、「それでOK」って言ってみようか?
私は、弱っちい癖に虚勢を張るし、
したり顔で分かったようなことを言うけど、全然分かってないし、
怠け者で努力が嫌いで、タナボタばっかり期待していて、
・・・って、もういい?( ̄ー ̄)ww
そんな自分でも、「それでOK」って。
「許されてる」っていうことが、
私にとっては、結構大きなキーみたい。
どうやら今まで、私が私であることが許せなかったみたいだけど、
もう、いいよね。
ぐちゃぐちゃでも、ドロドロでも、弱々でも、
まずは、許しちゃえ。
それに胡坐をかく、っていう意味じゃなくて、
許されてるなら、許されてるって感じてみようかな・・・って。
考えてみたら、すごいことだよねえ。
それを実感した時には、
こんな私でも、感謝せずには居られないと思う。
自分を許すことに、人の承認は要らない。
もちろん、人にそう言ってもらえたら、
すごくすごく嬉しいし、心強いし、ありがたい。
でも、私がそれを「選ぶ」だけでいいんだ。
今日も、読んでくださってありがとうございますo(^▽^)o
心からの感謝を☆