私は、人の幸せを祝えない。

(いきなり身もフタも無いww)



そりゃね、祝ってる「フリ」はしますよ。いいオトナですし。

「うわ~、本当に良かったね!おめでとうo(^▽^)o」って。



でも心の中は、羨む気持ち、妬みとか焦りとか、

「なんでこの人が?」って、見下すような思いとか。

醜い気持ちでいっぱい、ぐっちゃぐちゃのドロドロなわけです。



本当に心から、人の幸せを喜んでいる人を見ると、まるで宇宙人を見るかのよう(笑)

「どうしてそんなに純粋に喜べるの?」って。


そういう人を見ると、自分と比べちゃって、

自分の醜い思いに呆然として、

「私は欠陥品なんだ、冷酷な、人としての温かさの無い、酷い人間なんだ」って自分を責めて。


どうしたら、心から人の幸せを祝えるんだろうって、ずっとずっと悩んでた。

苦しかった。


だって、やっぱり心から、心の底から、「おめでとう!」って言いたいもん。




この3年くらいで、自分と向き合って、ずいぶんと自分のことが分かってきたけれど、

未だに自分にとっての大きいテーマがいくつかある。


そのひとつが、「人の幸せを祝えない」だった。


「人は人、私は私。

 人が幸せになっても、私の幸せは脅かされない。

 人が幸せになっても、私が不幸になるわけじゃない。

 だいじょうぶ、だいじょうぶ。

 お祝いする気持ちの方が、自分にとっても心地良いよ。」


そんな風に自分に度々言い聞かせても、全然ダメww



そしたら、うみさんから、大きな気付きをいただいた。

ほんと、「うぎゃー」って叫ぶほど(笑)



自分は不幸な場所にずっと居る、

だからみんなも一緒にそこに居て!!って思ってた。

抜け駆けは許さない、って。

だってそしたら、私だけが不幸なままで取り残されちゃう。

不幸だって、みんなと一緒なら平気。

ひとりじゃないって安心できれば、それでいい。


私の中で、何故か私は、ずっと不幸なままなんだ。

自分が幸せになれる、っていう発想、

もっと言えば、自分はもう十分に幸せなんだ、っていう発想は、たぶん無かった。


それくらい、「幸せ」は、私にとって遠いものだった。


というよりも、たぶん私は、「幸せ」が怖いんだ。

何かが変わっちゃう気がするから。

変化を恐れてる。


「幸せになりたい!!」って叫びながら、実は、自分でそこから必死で遠ざかってる、みたいなww

(我ながら、起用なことしてるよなあ(TωT) )



あ、書いてて思い出したけど、かなり前、瞑想中に、この気付きはあったぞ( ̄ー ̄;

その時も、衝撃を受けて、そしてあまりのアホらしさに思わず笑った・・・気がするぞ。

「気付き」が全く身になってない。。。m(_ _;)m


いや、たぶん、また別の角度から来たんだな。うん。

そういうことにしようww




とまあ、そんなわけで。


「なるほどね~、そうだったんか。」と思ったのです。


うみさんが書いてくれた言葉。


「みんなが不幸でオッケーの世界から、みんなが幸せでハッピーの世界に移るには、まず、「私が幸せでオッケー」から始めないとならないのだと、痛感したのでした。」


本当に、心から同意する。

その通りだな~って思う。


私の選択する、選択したい方を示してくれたうみさん、

本当にありがとう☆


「私もハッピー、みんなもハッピー」、やっぱこれだよね(≧∀≦*)



私も、幸せになっていいんだ。

自分が、自分にそれを許してないだけ、怖がってるだけなんだ。


「幸せコワイ~((>д<))」なんて言ってないで、自分で選ぼう。

抵抗は、エゴちゃんの罠。

怖くないよ。

ちゃんと観よう。



あとは、日々これを忘れないようにね~( ̄▽ ̄)ノ

(ある意味、それが一番ムズカシイ。。。ww)






追記。


以前、「人の幸せ」っていう話の流れで、

私の大好きな、尊敬する人が、

「そうなのよねぇ、人の幸せって、何故か、自分が損したみたいな気分になっちゃうのよねえ。」って言ったの。


それがもう、もんのすごく衝撃だった。

「その人でも、そんな風に思うんだ!」って。


そして、涙が出た。

その人が言ったのは、まるっきり、私の気持ちだったから。


ずっと、人の幸せを祝えない、こんなに醜い思いを持つのは私だけだ、

そんな風に思ってたから、

そういう気持ちを持ってもいいんだよ、そういう気持ちは誰にでもあるんだよ、

その人にそう言ってもらえたような気がして。

泣けたなあ。


心から祝えなくても、そういう自分を否定せずに。

「あ~、まだ、そこまで自分への愛が溜まってないんだねぇ。

 それだけずっと、悲しい、寂しい思いをしてきたんだねぇ。

 怖くないよ、だいじょうぶだよ」って、

自分にそう言ってあげよう( ´ー`)














今日、スピカちゃんのブログ でお話をさせてもらって、

それで気付いたことがあるんだけど。


私は、自分のこと、結構分かってると思う。

特にマイナス面、悪い部分についてはww


うつ状態になって、カウンセリングに2年近く通って。

いま思えば、そこでもだいぶ、色々なものを解放したなぁ。

鼻水と涙でぐちゃぐちゃ、なんてこと、たくさんあったもんな。


でも、最終的には「自分を愛しましょう」で。


「どうやって!?どうやったらこんな自分を愛せるっていうの!!

 私には無理、愛せない。

 自分を愛せない人間は、何をやっても駄目なんだ。」


そうやって、八方塞になって。


そんな時に、不思議な流れで、阿部さんのブログに辿り着いた。


(相変わらず長い前置きだ。。。この辺は、また改めて書こうww)





で、何かと言うと。


私は昔から、自分のことを、

「人でなし」、「冷酷で身勝手で、上辺だけの薄っぺらい、心の無い人間」だと思ってて。


だから、自分のそういう面を見るのは、怖くなかった。

当たり前だったから。


そういう面をじーっと見ては、

「うわ~やっぱりね。こんなこと考えるなんて、本当に最低の人間だよ。

みんな、こんな汚い、醜い感情は持たないよね。だって、絶対にそうは見えないもん。」


そうやって、自分のダメさを確認して納得して、さらに確信を強めて行ってた。



たまに、「誰にだって、そういう醜い感情はあるよ」って言ってくれる人もいた。


「心からの感謝なんて、誰だってそうそういつもできるものじゃない。

 でもみんな、そんなこと考えてないだけ。感じてないだけ。

 なおちゃん(私の本名)は、そこを見ちゃうから、考えちゃうから、そう思うんだよ。」


そんな風に言ってくれた人もいた。

すごくありがたかった。


でも、そう言ってもらって、気が楽になっても、それは一瞬のこと。


人の優しさに触れては、感動しつつも、自分と比較して打ちのめされて、

人の幸せを祝えない自分を軽蔑して、

心からの感謝ができない自分が苦しくて。



でもさ~、「私は人よりもずっと酷い人間だ」っていうウラには、こんな思いもあるの。


「私は他の人よりも、人の痛みが分かる」

「私は何も考えない、鈍感な人間とは違う」

「私が愛を知ったときには、逆に、人一倍、愛情の深い人間になれる」

「私は他の人とは違う」


もっともっと、色々ある。


劣等感が強いってことは、それだけ、優越感も強いってこと。




で、私の場合、更に、「人よりも酷い自分、ダメな自分」ていうやつに、

アイデンティティを持ってる?そこに優越感を持ってる??

かもしれない。


そこが私の拠り所でもあるのかも??ってこと。


ってことに、今日のスピカちゃんとのお話で、気付いたのです。

(だから前置きが長いってwww)



うーん、なんていうか、

「こんなにダメな自分は、蝶になった暁には、すっごいに違いない」って、

「未来」に「希望」を抱いて、

「いま」から逃げる。必死で。


そういう感じもある。


拠り所であり、逃げ場なのか。




だから、これから、そんな時には。


「ちょっとちょっとーww

 えー、ナニ?自分がすごいとか思っちゃってるワケ?

 自分は特別だー、って??

 『人よりもダメなんだ、劣ってるんだ』って言いつつ、実は必死で自分を守ってるんだよね~。

 ヤダ~、わ・ら・え・るーwww

 もう認めちゃいなさいよ~( ̄m ̄* )」


(何故かちょっとオネエ調ww)


そんなんやってみようかと。


場合によっては、自分に寄り添うことも必要だろうけど、

私には、このオネエも有効かもしれん(笑)



無条件にただ寄り添ったり、(愛を持って)突き放したり。


やってみよーっと(* ̄▽ ̄)






前に、こんな言葉をもらった。


「誰の中にも、マリアさまも居れば、ヒトラーも居る。」


理屈じゃなく、それはきっと真実だと感じたから。

深く心に響いたから。


だから、上も下も無い。

「人よりも」なんて無い。


私の中にあるものは、みんなの中にあるもの。



自分の闇も弱さも、すべて受け容れて。

都合良く利用しないで。


そして、自分がどう在るか。

何を選ぶか。


「何が正解か」じゃない。

「何を選択するか」。



考えすぎずにね、リラ~ックスで( ̄▽ ̄)ノ











昨日の夜、急に、

「『手放す』というのは、『消そうとする』ことじゃない」っていうのが湧いて?降って?来て。


ええっ(((゜д゜;)))!?



あくえりあんさんのブログ にコメントさせてもらって、しっかり温かいお答えもいただいちゃったんだけど。


私、ずっと、「手放す」って、自分の中から「消す」っていうイメージを持ってた。


だから、ずっとずっと、「消えない消えない」ってもがいて、

「私には『手放す』っていうことが分からない」、「やっぱり私にはできないんだ、無理なんだ」って。



もちろん、結果的に「消える」ってことはあるかもしれない。

でも消えるのはたぶん、自分のこだわりとか、それに囚われる気持ちなんじゃないかな。


しかし、考えてみれば、「消える」ってナニがだよwwって感じだけど( ̄ー ̄;

でも一生懸命「消そう」としてたんだよねー。


それって、受け容れるのとは逆、

こだわって、「なかったことにしよう」って、無理矢理に追いやろうとすること。


そりゃー消えないわなww




最近、強い感情が湧いたとき、

特にマイナスと言われる感情が湧いたときに、

「あ、反応してるな」って思う自分が居る。

もちろん、反応は反射的で、考えて反応してるわけじゃないけど、

その反応に対して、「あ、いま不快だな」とか、「あ、いまイラっと来た」みたいに、

反応してるのとは「別の自分」が居る。


いま気付いたんだけど、そうすると、後からそれを無意識に思い出して、後悔したり自分を責めたり、

牛の反芻をすることが少ない・・・ような気がする。


「どうしてあんな反応をしたんだろう」って、敢えて思い出して、自分の中を見てみることはあるけど、

前みたいに、無自覚に思い出して、ぐるぐるそこに囚われる・・・ってことが少なくなった・・・ような。


うーん、自信無いけど。

ちょっと観察してみよう♪




「無自覚に牛の反芻をしてる」ってこと、それが「握り締めてることだ」ってこと。

教えてくれたのは麻美ちゃん。


それを聞いたときはびっくりしたっけ(笑)

「そんなん、常に無意識に、いっつもやってる!」ってww


「イヤな記憶」とか「苦しいこと」ほど、大切に、しかも結構手前にwしまってあって、

自分で時々取り出しては、何度も大事に大事に磨いて、

「イヤ~な感じ」とか「死ぬほどの恥ずかしさ」とか「後悔」とかを、目一杯味わってw、

そしてまた大切にしまっておく、みたいな。

実はそういうことをやってた、ってこと。


いや~、びっくりしたよなぁww




「本来流れるものを、流れるままにする。」


もう、握ってるものいっぱいで、腕も疲れたし、これ以上は持てないしww

どんどん流して行きましょう~( ̄▽ ̄)ノ