東日本大震災から4年が経ちました | いさおリンクのインターネット羅針盤

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東日本大震災が起こったのが今から4年前の3月11日。亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。

当時自分は神奈川県の藤沢市にいたんですけど、揺れの激しさ、そしてその後の電車不通、泊まる覚悟を決めてネットカフェの画面で観たあまりの被害の凄まじさは、現実に起きていることなんですけど、あり得なさすぎてどこか夢を見ているような気持ちでありました。

その後、日付が変わる頃になってようやく小田急線が動き始めたので、思い切って電車に乗って新宿を目指しました。幸いなことに電車は新宿駅まで運行してくれて、大江戸線に乗って当時住んでいた東長崎に辿り着いたのは翌日の午前3時半過ぎでありました。

途中の新宿駅にて、iPod touchで撮影しyoutubeにアップしたのがこちらの映像です。

それから3ヶ月ほど経った頃、縁あって南三陸町他を訪れる機会がありました。

現地に到着したのは夜遅くて周りの景色がよくわからかなったのですが、翌朝になって近くの港に行ってみたら、穏やかな波が打ち寄せる海面と荒涼としたまわりの風景との対比があまりにもアンバランス。

現実の風景を見ているにもかかわらず、何かの間違いであって欲しいと叶わぬ願いをしていました。そんな荒涼とした中にあって、たくましく生きている蜘蛛、花を見たときは何か救われたような思いがしたものです。






東日本大震災で忘れてはならないこととして、原子力発電所の事故があります。

自分にとって原発はとても身近なものでありました。中学を卒業して東京電力の企業内高校に行き、その後、東京電力福島第一原子力発電所1・2号機に2年半勤務して事故が起きた原子炉建屋は毎日のように出入りしていました。

後になって知ったのですが、事故当時の1・2号機の現場の最高責任者:当直長は、伊澤郁夫さんと言って、自分が福島第一原子力発電所で1年間の研修を受けていた時の指導員でありました。

伊澤郁夫さんはとても有能な方で、絵に描いたような真面目さと熱心さで自分他3人の研修生をぐいぐい引っ張ってくれました。

原発事故の被害は甚大でありましたが、現場を知り尽くした伊澤さんが取り仕切って対処してくださったからこそ、この被害で済んだと個人的には思っています。

また、伊澤さん以下、事故当時の現場の最前線で対応していた方達は、間違いなく自分達が最後の砦であると認識していたでしょうし、死を覚悟して作業にあたっていたでしょう。

その伊澤さんの活躍が、亡くなられた吉田所長の本に記されています。


本を買いました:死の淵を見た男 ~東京電力福島第一原子力発電所事故~ 
http://maruta.be/isaolink/568

原発の危険性は、自分が東電を辞めた30年前から言われていました。自分自身もそのことが東電を辞めた原因の一つになっています。ただ、原発と生きる道を選んだのは国民の民意であることも事実ですし、原発を完全に廃止するにはそれ相応の痛みも受け入れなければならないもの事実です。

なんか話が大きくなってしまいました。

この3月11日は、これからも沢山の人が様々な思いを込める日になるでしょう。今、この瞬間を生きていられる事に感謝です。