さて今日の本題です。
インターネット上を流れていく様々な記事、タイトルだけで惹きつけられるものもたくさんあります。自分自身も常日頃から人を惹きつけるタイトル&文章を考えて四苦八苦している1人なので、引きつけられるタイトルには思わず”うまいっ”と拍手をしたくなったりもします。
今日はそんな惹きつけられたタイトルについて書いてみようと思います。
スマホ依存の子供は日常生活に不満 見知らぬ相手との交流「楽しい」 警視庁調査
http://www.sankei.com/affairs/news/150130/afr1501300036-n1.html
ふーん、スマホに依存している子どもは日常生活に不満を感じているのか・・・
このタイトルを見た瞬間、頭の中にはこんな感じのイメージが浮かびました。
※↓この写真はフリー素材を使用しています
スマホを相手に遊ぶしか無い子どもの気持ちを考えると切なくなってきます。画面の向こうに誰かがいて遊び相手/話し相手がいれば気が紛れるので肯定的にもなるでしょう。
この記事を読んで改めて自分の過去を振り返ってみると・・・ まだ子どもが幼い頃、部屋の中、あるいは移動中の車内でおとなしくしているよう(当時はスマホが無かったので)まんが日本昔ばなしのビデオをせっせと観せていたことを思い出します。
当時は大人しくていてくれるのですごく助かる、ということしか思っていません。今となれば、大変でも子どもと向き合っていれば良かったと後悔しきりです。
時は流れ、自分自身に様々なことがあって苦境に立たされたりもしました。そんな時に慰めになったのがパソコン通信の仲間たち(当時はインターネットが始まる前)でした。
顔も声も年齢もわからないけど画面の向こうに誰かがいて、目に見えない糸でつながっている。画面を通じて共に泣き、共に笑い、共に考える。そのつながっている安心感は、心の落ち着きとして自分自身に反映されていきました。
あの時の自分を客観的に見たら、まさにパソコン通信に依存している状態でした。ただ、それは自分にとって必要なことだったのは間違いありません。いわばウォーミングアップの期間でありました。
そんな時を経て、今を考えてみるとあいかわらずネットに依存している自分が。大人だって立派に?スマホ&ネット依存していますが何か、って感じです(・・;)。
ただそれは依存というよりは共存と言った方が正しいような気がします。ネットの良さも悪さも危険さも面倒臭さも、そして便利さと力も知った上での親しいお付き合いになっている、と自分では思っているんだけど違うかな?? 自分がご飯を食べられるのもネットがあるからこそ。
なんだかんだで20年以上もネットと付き合っていると、それなりに経験を積むと同時に何となくわかってくる部分もあります。
そんなオジサンになってようやくこの記事にあるような、スマホ依存の子ども達と向き合い方が何となく見えてきたような気がします。
この回答している子たちが感じている、見知らぬ相手との交流が楽しい感覚は自分自身が経験しているからすごく共感できます。実際、自分自身もネット上における見知らぬ人たちとの交流はあいかわらず楽しいですしワクワクします。
この楽しさをそのまま保ってもらいつつ、スマホを通じて日常生活の不満を解消していく術を身に付ける、あるいは学ぶことが出来れば、スマホは彼ら彼女らの今後の人生における財産になっていくことでしょう。
自分が子供の頃には無かった、スマホという頼もしい相棒が生まれた時から傍で支えてくれるなんて羨ましい。
この辺り、うまく言えないのがもどかしいけど・・・ まあ時間も遅いのでこの続きはまた後日にしましょう。