これでも診断前とか人並みに仕事をして世のため人のために貢献しようという意欲で動いていた。
実際社会に出て自分の実力が根本的に足りないことと向いている方向性が違うことが嫌でもわかり、
最終的に心療内科に行って広汎性発達障害の診断を受けることになった。
簡単に言えば人のためになる、と言っても人のためになる自力が、実力がなければ他人をどうすることも出来ない、むしろ悪化させると。
何より人と関わる上で最重要課題の会話が人とすれ違う、かみ合わないようではとても人のためにはなれない。
努力して、とは言っても人のために、というよりは自分だけ何とかして何とか走りきるようなことになるので、
診断を受容して発達障害の専門書を読んで出来ることと出来ないことを分けた辺りから、
微妙にやさぐれはじめて、人の役に立たないようにしようという意欲に変わっていった。
人の役に立たない、というのは私の中では人との間に波風立てないように必死に努力する、ということである。
誰かをいきなりハンマーで殴りにいったり、刃物を振り回したり、というのとは違う。
それも確かに役には立っていないが、でかいことを起こせばそれにつられて警察や司法の人々を動かしてしまう。
(人との接点を減らして)人の役に立たないようにする、しようという意志が一番大事な意志である。
事件を起こせば人々から直に感情をぶつけられる。自分の意志とは関係なく。肉体的に、精神的に石つぶてをぶつけられるのは、
人の怒りを動かしている、怒りをぶつけることを娯楽にする人を動かしているという意味で、かえって人のためになってしまう場合がある。
「でくの坊と言われ、楽にもされず苦にもされない、そういうものに私はなりたい」と『雨ニモマケズ』にあるが、
いてもいなくても大した扱いを受けないようにしたい、そのために努力するのが人の役に立たないことである。
人を頼りにもしたくなければ、頼りにもされたくない。他人を頼ったりするのは、人に依存しているということである。
人と関わるのに障害があるのに人との関わりを前提にした関係を築いても自力では維持出来ない。相手に強い負担を強いることになる。
自分自身なら何とか維持できる、のが現状である以上、自分が振り回されて壊れないように、誰かから余計な用事を請われないするのが最も大事である。
人との接点を増やせばそれだけ摩擦が増え、関係図が複雑になり人との感情が読めない人間の仕事ではなくなる。
一致団結、なんてとても言っていられるような状態ではないのに世の中は人との繋がりを求めてそれを前提にしたがる。
世の中には人間関係が負担になる人とならない人がいて、その間に断崖がある。
この崖があれば飛び越えて来ないだろうと思っていたら人を求める人が勝手に飛び越えてくる。
何のためにわざわざ崖の向こう側にいるのか、人が負担だからそれっぽい位置に立っているのに。
誠に遺憾である。