親のいぬ間の(心の)洗濯 | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は基本的に人がいる事に納得のいかない人間なので誰でもいたらいるだけ疲れる。

気楽になれるのは家族や親しい友人に囲まれている時ではなく天涯孤独を感じられる時である。

家族というものは大抵家にどしんと居座っているもので、それが存在するだけで納得がいかなくなる。

作業所でも同じ感じなのでやかましい人や説経くさい人とは可能な限り離れた場所を確保していないと落ち着かない。

何なら自分が勝手に演説を始めるからうるさくなるまであり得るので、本当に人は視界に入らない方がいい。

普通の仕事をしていた頃は人と会話の通じない厄介者、という立場にあったので、

それはもう孤独になるのもなれない。マーキングされている訳ではないけれど目が離せない、悪い意味でと言われた。

仕事が終わって一人暮らしの家に帰ったら本当に誰とも会わないんですけどね。

一人でいられる時が本当に気をどこかに置いてほっとできる時間である。

それ以外の時は何処かに気を配れない人間が気を配っているので、普通の人よりも疲れるし、気が次々起こる物事についていけない。

プライバシー権、というか人の生活に踏み込まない踏み込まれないのがモットーであるから、

たとえ家族としてもそんなに踏み込みたくない。介護とか考えただけで気が重くなる。

コミュニケーションがとれない奴がコミュニケーションが大半を占める介護なんてできますか、と、

介護従事者初心者研修を終えているだけの人間は言ってみる。

人の担ぎ方とか運び方とか食事介護の方法は講習で学んだが、人の心をどう担いで運んでいい方向に持っていくのかは知らない。

知ることが出来ない、とも言う。

感情や人の気持ちに鈍感というか大体の非言語的なアプローチを読めないのが私の発達障害である。

人といれば迷惑だの空気が読めないだの何だのとマイナスな事ばかり言われ続けて打開策もなければ、人間が嫌になっても仕方がないでしょう。

摩擦を常に起こして熱を発するなら傷もつくので、もう人との摩擦を可能な限り減らしたいと思うときがあるのも自然ではないでしょうか。

たとえ血が繋がっていたとしても。

誠に遺憾である。