将来何もなければ何もないでいいが、とても何もないでは済まされないのが自分である。
常に誰かに負担を強いているように思ったら本格的に一人になり始める。まるで家庭が邪魔者であるかのように。
邪魔なのは私の方だと思いますが。自分で自分を時折邪魔だというから間違いない。
生き恥って辛いんですよ。このまま本当に何もないのならいいがまず面倒な何かは起こる。
どうあがいても避けられない自分を含めた誰かの死とか嫌でも意識する。
そこから逃れようとして突然訳のわからないことを叫びだしたらとても正常とは言えない。
札幌の一年くらい前にあった凄惨なバラバラ事件の発言の資料がニュースに出ていたが、
録音を文字に起こしただけなのにとても正視できるようなものではない。
何よりも精神科医であるはずの親ですらおかしな発言をしている子を止められないのである。
自分ならそんな姿を人には見せたくない。どうせ狂うなら一人で狂いたい。被害は最小限に留めなければ。
かつては何か事件が起きて精神鑑定の結果で異常が見つかれば、そのまま精神病院に行き、大体そのままになる。
この間四十年間精神病院に入院させられたのは人権の侵害だと入院患者が裁判を起こし、賠償を否定する判決がでて何だかんだと言っているが、
主観的に見て正常であっても客観的に正常でなければどうしようもない。
退院したことで服薬管理が出来なくなったり、周囲との軋轢が生じたりして、
症状が再発して表に出て事件を起こしたら、その医師の判断とか福祉ケアがどうだと騒がれる。
まさに正常でない精神状態で起きたのが先述した札幌の事件であり、鑑定の結果によっては急に被告の名前すら消されるかもしれない。
健常者でも突然統合失調症やうつ病などの精神面でのトラブルは起こりうる。
ましてや発達障害者である自分などこれから無事である保証なんてない。何か訳のわからないことを言っているのが(今でも言ってますが)
余計に訳がわからなくなったり、病識がなくなったり、せん妄的な発言をしたり、
支離滅裂になったり話の整合性がまるでとれなくなったりしたら本当に死に時なのだろうと思う。
そんな世迷い言は医者や福祉スタッフ、他人だから、極論そういう仕事や契約だからこそ言えるのであり、
昔からの付き合いとか血縁関係の人々におめおめと見せられるものでははない。ましてや親の前で醜態など晒したくない。
ただ歳を取ると外の刺激に弱くなったり感情が脆くなったりするので、今まで何とかなったのが何とかならない可能性は否定出来ない。
そうなったら病院に入って、その中から下手に出ない方がいいかもしれない。
病院で畑を耕して、ある程度創作活動ができて、収入とか最早生活保護で入院費を賄えれば、
病院でなくても何処か遠くに一人で暮らせたら、もう親や親戚に顔なんて見せなくても済む、と思ったことは一度や二度ではない。
こんな空間にいれば気が狂いそうだ、という発言が全く冗談にならないのは本当にどうかと思う。
自分が根本的に狂う前に一人世帯になればギリギリセーフ(何がギリギリなのだろう)とか変なことを言い始めるが、
人前に顔を晒すことに疲れれば暴れてでも一人になりたくなるような時はある。なるべく暴れたくはないがいつまで我慢できるかはわからない。
私には誰にも構われないことが一番平和であり、私事で人と関わることが戦争である。
仕事は仕事だと割り切る。割り切らないで仕事の人間が私生活に踏み込んできたら何処か遠くに行きたくなる。
誰だってそうであるから一切の差別はない。プライベートの孤独が守られない限り、すべて平等に価値はない。
誠に遺憾である。