自分のことが自分でこなせなくなれば適宜施設か何処かの監視下に入らなければならない、と思いました。
少なくとも炊事洗濯清拭が行えなくなったなら。
プライバシーは守らなければならないが、それは人に不快をおすそ分けしない限りの話であり、
或る人がそこに存在するだけで人が引いたり具合が悪くなったり苦情を訴えるようであれば、
四の五の言っていられる場合ではない。今そこにある危機をどうにかしないで何をどうしようというのか。
ついでに自己反省も踏まえられたら最高である。人の振り見て我が振り直せ、とはよく言ったものである。
酷い人が文字通り酷いことになっている間に、自分もそうなっていないか、批判をするときほど自己反省を忘れやすい時期はない。
批判することにかまけて突撃すれば、もし自分も何かをやらかしていれば巻き添えにされるし、連帯責任ではないけどついでに事情を聞かれたりする。
人のことを言う資格はあるのか。言うときに傲慢な本性が現れていないか。
言葉も行動も習慣も清潔にしてようやく本当の清潔感を保てるのである。
そもそも清潔感が乱れるというのは急に乱れるのではない。
突然誰かが亡くなってケアする人がいなくなる、それに伴って残された人のメンタルが大打撃を受けて立ち直れなくなる、なら別の話だが、
大体は集団でも一人でも生活できる能力が少しずつ衰えていって最終的にダメになる。
生活のリズムや習慣、または自分の感覚に対する衰え、かつそれに気づくだけの精神、
連携して全てが乱れることで今までちゃんと結ばれていた物がほどけていくのである。
タバコは心底嫌いだが、喫煙者自身でもタバコのもたらす影響を自覚しているものと、そんなの関係ねぇと言うように煙を撒き散らすのと、
前者であればまだ何とかしようとしている意志があるからそんなに言う気はないが、
大体周囲に混乱や嫌悪感をもたらすのは後者であり嫌な奴の傾向も後者になる。そしてそういう人は自分のにおい、という概念をもたない。
もっていれば自粛したり踏みとどまったり何らかの制止が入るからである。さすがにこれはまずい、という認識のない人は制止が効かない。
終いには何もかもを垂れ流しながら悪態をついて何処かに運ばれていくことであろう。
当然自分も何かのきっかけでそうならないとは限らない。
少なくともタバコは吸わないが、無頓着になれば風呂とかもあやふやになるから、
そうなってしまえば然るべき処置を経て然るべき場所に運ばれなければならない。自分を反省出来なくなったときが死に時である。
誠に遺憾である。