さすがに人の居るところで本人の批判を本人の目の前でやるような命知らずは、本格的にパワハラ気味の奴しか遭遇したことはないが、
本人の居ないところでその人の噂や批判を日常的に聞かされる場合でも、その人と無関係であったとしても私は無傷ではいられない。
批判を聞き流すだけでもメンタルがやられるからである。
たとえその人を自分もあまり好ましく思っていなかったにしても、堂々と批判の論陣に参加するのは気が引けるし、
何かの弾みで聞こえてしまい、ついその場に加わったから共謀していると連座で処分されるのも困る。
なので私は腹に一物抱えていても立場は明らかにしないまま聞いたふりをしている。自分から発言することは滅多にない。
聞き流すが話の内容は読んでおく。誰が誰のことをどう言っているかは、空気が読めなくても掴んでおかなければならないので。
それを秘密裏にその噂にされている人に密告するためではない。何かあったときに何も知らないと問題が一層ひどくなるからである。
あと、感情移入して話に乗っかるとついでに自分のメンタルが揺れ動いてしまい、ただでは済まされなくなってしまうからである。
火に薪をくべてその上にガソリンをぶっかけるような惨事だけは避けておきたい。
あとであれを言ったこれを言ったと尋問されるのも疲れる。自分から火種に飛び込む必要はない。
かといってそのまま毎日愚痴大会を開催されても精神に堪えるのであまりに続くようであれば後で上役に相談する。
静かに暮らしたいからである。
できれば不満なんて抱えずに、なんて無理な相談ですが、あいつはダメだ、こいつはクソだと毎日のように聞こえるのは正常ではない。
誰かの文句をいう気持ちは本当にその人の行状がひどい場合分からないでもない時はあるし、
私などは障害自体がとても人とぶつかる性質で、賞賛などに値する人物ではないから聞こえないところでは何かしら言われてるだろう。
だからと言って反撃したり口喧嘩したり、誹謗中傷をして、さらに問題をややこしくすることをする必要も無い。
でも四六時中愚痴を言う人とそもそも一緒にいたいと思いますか。何かの否定から入る人と話を盛り上げようと思いますか。
いくら自分の障害が場の空気が読めないものだとはいえ、そのくらいは読んでおきたいものである。あまり思い煩うと本当に気に病むし。
暗いオーラが充満して息苦しいような場所なら、もう薄暗くてカビが生えそうな端でもいいから一人にしてくれと。
あまりに辛いから何も聞かないのは耳を塞いでいるだけで問題と向き合ってないのかもしれないが、聞き過ぎると胃に効き過ぎる。
あんまり騒ぐな、わかったな、として済ましてしまいたいが、本当に騒がれると自力で収拾を付けてまとめることは非常に困難である。
空気が読めたらまず起きない問題が簡単に起きるのが発達障害の私の問題である。
何をやっても問題が起きるなら人の間に挟むな、と言ってもいいだろうと思う。
自信も実力も自己肯定感もない人を挟んで一体何をしたいのかと問うことになってしまうだろう。
誠に遺憾である。