待ち合わせには自宅を選ばずとにかく離れて | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は自宅前なんて送迎や待ち合わせの場所に使いたくない。当然自宅には人を呼ばない。

必ず自宅から若干離れた分かりやすい建物や公園を待ち合わせ場所に選ぶ。それも自宅が見えない程度に離れた場所に。

どこかの知事と同じようなことになっているが、誰かに自宅なんてばれたらろくな事にならないと考えるからである。

ぶっちゃけそこまで気を配るほど有名でもないし、何なら無名にも程があるが、個人情報を知られたくない人がいれば、

もれなく全員一律で家を目的地にしない。家の前なんて足が動かなくなって歩行もままならないくらいにならないと選ばない。

誰にも知られたくないから家について聞かれても明確に拒否するし、ふと口からヒントになる情報が漏れないように気を付ける。

住所なんて新しいポイントカードの申し込み手続きをするときか、福祉サービスの手続きに必要な書類にしか書かない。

流石に障害者という立場上、住所を書かないで福祉サービスを受けることは出来ないので役場や福祉施設ではきちんと個人情報を書くから、

正確に表現すれば、福祉職員や役場の人以外にプライバシーを知られたくない。むしろ福祉職員にはある程度知ってもらわないと困る。

それ以外のプライバシーが保障できないところでは書いているところすら見せたくもない。

プライバシー保護の原則が守られないような、話した内容は他人に流すし、勝手に人の家に行くような人と会ったときが私の運の尽きであろう。

「プライバシーを突き止められる=死」ではないけれどそれに近い感触、

刃を首筋に突きつけられるとか、背中に銃口を当てられて手を上げろと言われるような感触になる。

大体のことは恐怖心ということだけで説明出来るだろう。人間が、人間の悪意が怖い以外にプライバシーを隠す理由なんてほぼない。

あんまり知っている人に接近されたら、家に引きこもるか引っ越してしまうかのいずれかを選択肢に入れなければとても生きていられない。

教えてもないのに勝手に寄ってきたら恐ろしさ以外の何を理由に拒否すればいいんですか。ストーカーなんて恐れるに越したことはないだろう。

偶然はあるけれども誰かにたまたま自宅がばれて、あとで関係がこじれたときに家を知られているかいないかで安心感は天と地ほどに異なる。

まず家に人を呼んだり入れることを前提にしない生活を送りたいのに人を近づけるなんて矛盾にも程がある。

誰も呼びたくないのに勝手に来られたら、それは本当の、本物の招かれざる客である。

親がいる実家は親の知り合いが来るからどうにもならないが、一人暮らしのころに自宅を訪ねて来るような客なんて絶滅レベルで存在しなかった。

家賃、公共料金、その他必要経費は業者が家に来て払うのではなく口座引き落としかコンビニ払いにまとめて、あくまでも人が家に来ないようにした。

別に借金をして首が回らないので取り立てに来るようなことはしていないし、何かの訪問販売とか来られても確実に居留守を使う。

重要書類の宅配とか自力で後で取りに行きますからお願いですから不在票を突っ込んでおいてください、などと思っている。

自分が欲しいものは自力で買いに行く。通信販売も便利なのは知っているが何もやってない。

薬屋だけ例外で家に来ているが、昔からの付き合いだし、数ヶ月に一度来るような頻度なので必要な薬もそこで揃える。

これが週一とか月一ならもうちょっと間隔を開けるようお願いしていることだろう。

定期的な訪問でもごく稀なら一応何とかできるし、無いと緊急時に困る薬なので欠品は怖い。

何事も突然や不定期なのが一番耐えられない。家に来るのも電話も親戚や知り合いの誰かが危篤とか本当に急なの以外は応対したくない。

同じ仕事場に知りうる範囲内で自宅から近くにいると分かっている人にはうかつに住所とか繋がる情報とかを見せたくない。

本当にぼかしたレベルでは言うが明確な地名や目印になるものは言わない。

それは何かの弾みで不確定要素を増やして急に玄関に突撃されることを恐れるからである。

勝手に家に来るのは非通知で電話をかけるのと同じようなレベルの低い所業である。失礼極まりない。


ただし、家庭菜園で毎日積極的に自宅の庭を耕している以上、野外には定期的に出ているわけで、

それで人に見られないように、などと言うのは根本的に矛盾しているわけである。

誠に遺憾である。