発達障害が本物か偽物かで言えば、ちゃんと医者に相談を持ち掛けて、医師の診察、生育歴や過去の聞き取り(親などの周囲の人も含む)
福祉施設での面談、それから然るべき知能検査、WAISなどの公的な検査手段を用いて、
などの正規の方法で引っ掛かってようやく発達障害なら発達障害、本物と診断されるのである。
医者に言われるのが嫌であればその人はたとえ本物の発達障害であったとしても発達障害ではない。
あくまでも医者にきちんと診断されることが発達障害と認められる、診断名を名乗る上での関門、必須条件である。
それをしないで自分は発達障害だというのは、もう何も公的に認められるものはないですから勝手にしてくれとも言いたくなるが、
問題は自分以外の人間について医者でもないのに勝手にあいつは発達障害だの何だのと言いふらすことである。
それはたとえ本物だとしても名誉毀損であり中傷である。
無資格者が何人集まって勝手に診断名をつけたとしても、障害者とは認定されないし手帳も年金も何も申請できない。
特別支援学校や学級の教員でも特に診断は出来ないし、学校でそういう疑いのある児童生徒に診断を勧めることしか出来ない。
本当に本物なのは誰から言われなくても自然に頭角を現すものである。いいことでも悪いことでも。
それでも市井の人間の言える限度はちょっと言動に特徴が見られるから専門の診断をお勧めするみたいなことを綿に包んで言うまでだと思っている。
あくまでも医者にバトンを渡すまでが普通の人のやることであり、悪口として障害という言葉を扱うことではない。
それはいじめられるのはいじめられる人に全部の原因があると言っているようなものである。
まあ私も学校のテストの成績がまあまあいいこと以外はとても悲惨でしたし、むしろ勉強しか出来ないし素行は最悪、
回りくどく通知表に書かれてやんわりと伝えられるのが関の山である。むしろテストの成績だけで強引に乗り切ったまであり得るから困る。
それならそうと然るべき手続きでもすれば早期発見につながり、出来ないことをやって周囲がかえって大変になることをさせなくてもよくなるし、
何が自分にはっきりと足りないか分かればまだ少しだけでも対策のしようがある。
それを雑な環境に放置して診断も受けさせず、いたずらにイタズラをしかけ、からかい、中傷を浴びせられるのが日課ならば生きる気もしないだろう。
診断されたからすぐにどうにかなるわけでもないが、明らかに出来ないことは無理矢理やらなくていい、くらいはさせてもらえないと、
いつまでたっても失敗の山を築き人には傷つけたり傷つけられたり、しまいにはアイデンティティとか自己肯定感も酷く傷つけられる。
そんな状態はもはや虐待にも等しい。
出来ないことを出来ないと伝えられた上で、ちゃんと何が出来るか、を捜す必要はある。
努力や根性といった説明もされない精神論で出来ないこともやれ、と一言で片付けられるのさえ何とかなれば、
もう少しだけでも、要らない言葉をぶつけられることも少なくなるだろうと私は思うのである。
誠に遺憾である。