色々植物を植えて、色々育てて色々どう栄養になるかも学習しましたが、
だからと言って菜食主義者でもなければヴィーガンというわけでもない。
人は雑食生物という縛りからは決して離れられないのです。栄養的にも。
それを全部菜食主義メニューにしたら当然不足する栄養分は出てくるし、
なぜヴィーガン食というのは肉や魚に似せなければならないかということになる。
完全に菜食主義というならタンパク質を摂取しても肉の形をしている必要も無い。
何ならディストピアの食事のような無機質なブロックみたいに見えるものでも栄養さえ詰まっていればいいんじゃないと言いたくなる。
大豆がタンパク質なら大豆の形を生かせばいいのに何故肉に見せるのか。
未練があるからではないのか。肉に。憎々しいほどに肉々しい恨みが。
肉がないと栄養が偏るなら肉を食うか肉の成分を含むブロックみたいな何かを食べればいいのです。
何故わざわざ肉の形を整えるのか。
いずれ肉の形をした何かが培養されても、培養した細胞単位で見れば虐殺である。
培養肉さえできれば動物を殺して肉を食べることは無くても済むだろうと言われるかもしれないが、
別に植物が生きていないわけでもあるまい。家庭菜園をして植物を眺めていると、植物が生きていないとはとても言えない。
あれが育った、あれが枯れたというのは生死以外の何物でもあるまい。
これほどまでに生きている植物を抹殺して食べて生きている動物を殺すなとは何たる矛盾か。
エゴイストに巻き込まれる生物の身にもなってほしい。どうせ人間の管理から逃れても食物連鎖の鎖から逃れることは叶わない。
野生の環境なんて動植物等しく、なんならもっと過酷な弱肉強食の世界である。まだ焼肉定食と言った方が平和かもしれない。
家庭菜園でその日収穫した葉や茎や種を調理して食べながら、人間のエゴイストというのは本当に深刻だ、と思うのである。
誠に遺憾である。