最近天気が晴れもしないし土砂降りにもならない何とも中途半端な時期が続いている。
晴れてもなんかすっきりとしないし何より長続きしない。あまりにも荒天が続くので日照り乞いでもしなければならない気がする。
祈祷とか祈願とか、実際には何も起こしていないし何も届いていない。人の願いがこの一カ所に集まるだけである。
そしてそれはあまりにも切実である。家庭菜園に本腰を入れる前まで雨乞いとか日照り乞いとか何も起こりはしないのに、と思っていた。
そんなことをして何の意味があるのか、と。
しかし自分で猫の額の広さでも畑を耕して作物を植えて育てるようになってから、
思っていたよりも天気に作物のコンディションが左右されることが多く、これが本業の農家であったなら失敗すれば生死に関わる。
今の土地に植えてある作物がダメになれば飢饉になり、食糧不足で生きていけなくなる。
例え信じる気が無かったとしても、実際、苦しいときの神頼み、ではないけれど、
何かしらの縋るものがなければ、とてもやっていけないだろう。自力では何ともしがたいものを天にお頼みして何とかしてもらう。
それしか縋るものがなければ祈るしかない、それはきっと今も大差ない。
どこかの国では強制的に雲を作ったり人工的に天候を変化させる実験を行っているが、
人間で何とかしようとすると強引な化学反応を起こして、自然法則に反する強引な方法をとらないと先に行けなくなる。
その場所の問題は解決するかもしれないが、それ以外の場所にどのような形で波及するか。ダムを建設するだけでも下流に及ぼす影響は半端ないのに。
強引にやる、ということは文字通り強引なのです。
だから、頼む雨降ってくれ、という気分でお願いするくらいが一番自然にはちょうどいいのかもしれない。
天に逆らわない、という意味で。
かといって雨が降りすぎても今度は災害級のがやってきて大変なことになってしまうのですが。
自然というのは何をするにも手加減は一切しないので困る。誠に遺憾である。