何もかも捨ててやるとか言って本当に捨てられる人は幸いである。切れるものは切ったということであるから。
孤独死とか世間は煽るけれども、未婚率や生涯独身率が上がって少子化が進むとどうしても一人は一人のままである。
いっその事この世を捨ててやろうか(蝋人形の館的なノリで)
どうあがいても避けられそうもないものを醜く避けようだなんてちょっと驕ってませんか。
ただし世捨て人になるにはどうしてもDIY精神の涵養がカギとなる。
だって一人なんだぜ。身の回りのことは全部一人でしないといけないんだぜ。
楽しくもないことをやって自己満足も出来ない一人暮らしなんて愚の骨頂である。
少なくとも料理は自作し、米も炊いて、極力外食とか人の輪の中に入っていかない。私がやることは私が楽しければ、楽しめればそれでよし。
わざわざ人の中に入るなんて、本当に何のために世を捨てたのかわからなくなる。
次に一人で完結出来る趣味を持つ。持つというか見つけておかねばならない。
誰と会話しないでも済むような、自己満足で何とかなる趣味を。
自己満足でも見せたくなるような時はあるが、それはこっそりと名前を隠して見せる。SNSとか上手く使えば作品を見せつつ隠れられる。
世の中を捨てているのだから実名でなんて甘っちょろい考えは捨てて、まっさらなアカウントを作り、
ひたすら壁打ちを続けるのである。誰の応答があろうが気にしてはならない。BOTはブロックしないといけませんが。
誰が楽しかろうが、宴会の様子とか指をくわえて見てもならない。
まあ自分のようにこの世と自分を憂えば世間なんて気にする物でもないように自然となっていきますが。
逆に言うと世間を気にする人、人付き合いが自然に続く人はこんな世界に入ってはならない。
ここは孤独をこよなく愛するもの、人付き合いを「やむなく」続けている人間の空間である。
切れるものなら切ってしまいたい、どれだけ切れたらいいだろう、と思う人間の空間である。
厳密な意味で孤独になると言っても半分ぐらいしか達成できていないが、「こいつ、とことん面倒だ」と思わせて、
気がついたら関係が自然に切れていた、ぐらいのことにはなってほしい。そうしないと自分が救われない。
逆に言えばそれだけでも達成できて一人の時間を多めに確保できればそれはそれで御の字、完璧に一人になれなくても、
家庭の中でも一人になれる時間を出来る限り作れるよう努力するのは特に悪いことでもない。
出来る限りのことを今すれば、いずれは一人になれるかもしれない過程も家庭で踏んでおく必要があるだろう。
家の中にいれば自分に何ができて何が根本的にできなくなっているか、が理解できるからである。
そこを勉強してから一人になった方が後々変なことに手を出さずにすむだろう、と個人的に思う。
お金を稼げば、サリンジャーみたいに勝手に隠れたりして必要なときだけ外出するような生活も可能だろうが、
そんな自発的に一日隠れられるような財力に恵まれた環境にいる人間は多くない。
種田山頭火とか尾崎放哉とか世の中をぶん投げたが、ありとあらゆるものをぶん投げたので最終的に貧しさは抜けなかった。
鴨長明とか卜部兼好みたいに何となく世の中とつながりながら出家隠遁できるような仕組みが今の世には足りない。
何かと社会と紐付けられて一人きりにさせてもらえない。特に自分のような障害者まで落ち込むと。
町内会とか自治会とか消防団とか人間の愚かさの極みである。
ゴミの捨て場ぐらい自分で申請するから、お願いだから一人にさせてくれ、と言いたくてたまらない。
人に何かを見られるのも、特に私生活を見られるのが死ぬほど嫌なので、本当に目立たないように生きられるならそうしたい。
収入とか財力とかはあるに越したことはないが死ぬまで食べていける分だけ、最低限あればいい。
あとは必要なパソコンの中身とか自分で入れ替えるのでパーツ代とか、家事洗濯に必要なものと、
暇な時間を潰せるだけの本とゲームだけあれば人間は要らない。
今は情報機器が何にでも繋がっているので、電話なんてしたくもないが、勝手に孤独死して長期間放置されて事故物件にされるのもアレなので、
スマホとかに数日押さないでおくと勝手に救急とか警察に連絡が飛んで行くアプリができて義務化されればいいのに。
一日一回スマホか何かの機械のボタンを押すなんて別に人間が嫌いでも簡単に出来るはずである。
簡単なことが出来ない、ということは死んでいるか死にかけているか重病か認知症を患っているかのどれかである。
最早生きていても仕方があるまい、と言われても仕方が無いような状況で一体何のために生きるのか。
一人でいるとは言っても一応最低限の仁義みたいなものは通しておかねばならない、それは生存報告である。
機械的な、義務的な生存報告である。逆に言えばそこだけ筋を通してあとは完全放置されたい。
一応ある程度人間的なことをしておかなければ急激に老いるので、作業所には行きます。
そしてぼんやりと人の眺めを眺めながら自分一人で出来る作業を黙々と片付けたりしたい。
自分にとって人間関係の維持はやらなくていいことであり、なるべくならしたくないことである。
障害上徹底的に苦手なことをさせて、果たして精神的に利益になるだろうか。
一人であることは救いである。一人にならないと救いにならない。一人を楽しむことが私の責務である。
どう進むにせよ、自分の事が片付けられなくなったらお終いだし、そんな状態でおめおめと生きていたくはない。
いつその時が来るかは分からないけれども、優雅さと風流さは失いたくないものである。
しかるに世俗というものがどれだけ穢らわしく、かつ厄介なものに映るのか、おそらく普通の人は気にもしないだろうし、
なんなら悪意もなく、自分に勧めてくるかもしれない。それが自分が世間から離れたい理由だと言ってもあながち過言でもないだろう。
誠に遺憾である。