家族の存在がお節介になるほどメンタルが偏ること | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私はここでずっと書いているように無性に一人になりたい時がある。むしろ一人になりたい時の方が多いかもしれない。

そういう奴を家庭なんて人間の感情の塊の中に放り込んだらどうなるか。

自分と初対面なら人としての関係が成立していないから、人の数に数えないでいられる。関係が浅ければ距離感を長めにとれる。

然るにずっと顔を見て飽きても離れられない家族であると、色々な物を知られていて実に都合が悪い。

いつ昔の話を蒸し返されたり、ほとぼりが覚めたと思っている話を持ち出されるか気が気でない。

なので家でプライベートな生活をするよりも、外に仕事や作業所にでてプライベートを知らない人だけでしんみりと過ごしたくなる。

精神が危機に陥ると、近い関係ほど危険だという認識が強くなる。私は誰とも話をしない、しても色々仕事上目的が被っているとかのパブリックな話で、

個人の感情や私生活などのプライベートな話は精神が危機に陥れば、可能な限り避けて通りたくなるのです。

これが極まると家に帰りたくなくなる。もっとも帰らないとこの時期凍死するので、やむを得ず家に帰らなければならない。

居間に人間が存在するだけで気分は憂鬱になる。この精神が極まると家族に自分が何をしているかを見られたくなくなる。

トイレとか風呂とか食事の時間とかも極力ずらしたくなる。一人だと簡単に出来ることも二人以上になると簡単に出来なくなる。

そうなると行き着く先はひきこもりしかなくなるわけで、別に買い物や病院に行ったり、作業所も休まずに行くけれど家庭内のことだけはぶん投げたい。

制約というか家庭全員できっちりした規則が決まれば息苦しくなるから、誰かが勝手に人の物を捨てたり移動したり部屋に乱入しないだけでいいのだが、

家族というのはその距離感が噛み合わないと本当に地獄を見る。

もう相続とか放棄して生活保護でいいから一人にしてくれないかな、と思ったこともある。

生活保護にした上で全部放置して勝手に孤独死でもすればよかろう。家庭とは人間性のない人間にとっては苦痛である。

協調性も社会性もコミュニケーション能力もない、と精神科で診断された人間に一体何のコミュニケーションを求めようというのか。

その辺の川辺でひたすら砂金でも取ろうとするかのように無益な行為である。

何よりも孤独を愛する人間が孤独になれない、という心境を理解してもらえない、

何か言ってるけど人間が恋しいのでしょう、とか言われても私には何のことやらわからない。

感情で人を縛り付けると、次第に太く長くなって行き、断ち切るのも本当に厄介になる。

普通に生きられない精神を持っている人間を家族は放置もしてくれないのか。

静かな場所に放置されて、何とも誰とも交わらない時間が確実に確保できることが私の幸せである。

出来る事はきちんとやるが、なぜどうあがいても出来ないことをやらせようというのか。

誠に遺憾である。