すれ違いをしたくないという心境 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は何処にいても、他人との動線を被らせて行動したくないと思う。

被りそうだな、と思った時の避け方が本当にわざとらしく見える程度に。

身体接触も避けたいし、同じところを歩いてぶつかりたくもないし、

歩いていて急に横や後ろを向いて、方向転換しないとも限らないので、

過剰なまでに人と距離をとって動く。

当然上記のような行為は田舎だから出来るわけであって、東京ではまず人の数だけで精神的苦痛を背負う事になるでしょう。

この時期新年の行事、初詣とか新年会とか色々ありますが基本的に外には出ません。人がごった返して進めなくなるからです。

イベントでも出来ればスカスカの方がいい。人がいないからぶつからないので。

私がアグレッシブに動くとするならば何からも解放されて一人であることが何よりも求められる。

時間の制約くらいはかけておいた方がいいが、人というものは存在自体が呪縛である。

二人で歩けばどちらかが見える程度にしか離れられないので甚だしく迷惑である。勝手に迷子扱いにされたくはないが、側から見れば迷子である。

写真撮影で人を写さないことが最重要課題である人間には人間なんて意味はない。

明らかに自由を履き違えてますが、旅でも食事でも何かのイベントでも一人でいないと救われない。

人と交わる線が見えるだけで軽く憂鬱になる。

私は寂しがり屋ではない。孤独と孤立をこよなく愛する一個の人間でありたい。

本当に寂しいなら誰かに連絡するだろうし、まめに誰かの家まで会いに行くだろうし、外に出ても人の集まる場所に飛び込むだろう。

その全てをしないということは人に興味がなく一人が苦にならない、むしろ一人にしてくれ、ということである。

最低限の社会的な、手続き的な会話はしますからあとは本当に一人にしてくれ、さもないと心が落ち着かない。

当然外国や治安の悪い場所でそんな事をすればあっという間に死にかねないので私の行動範囲は実に狭い。

誠に遺憾である。