おおよそ制度を悪用しない事 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は自分の障害についてもう認めて妥協していくしかない段階に達していると思っているので、

ここから無理にステップアップをしたり上のランクや役職に就こうとも思わない。

その上げた身分が自分を制約して縛りつけるからである。役職に就いたら役職の模範的なイメージが私を縛りつける。

少なくとも普通に仕事をしたころはそうだった。模範的であろうとしたし(できなかったが)追加されるルールはひたすら守った。堅苦しい位に。

そこから身分が落下して障害者の世界に入ったわけであるが、福祉割引とか色々な手当とか、自分には使うけれども他人には使わない。

例えば美術館の付き添いの人と二人で無料で視聴するとか、別に自分が歩けないわけでもないから何もする必要はないから自分で払って欲しい。

出来ないのは順当な他人とのコミュニケーションだから、付き添いに順当に迷惑がかかる。

一つの作品を見つめて長々とその場から動かない奴をどこまで見守っていられますか。

駐車場の割引とか私を勝手に枠の中に入れておけば半額になるとか、都合のいい時だけ引っ張り出さないでほしい。

そんなに割引されたいなら自分で自分の腕でも引っこ抜いたらどうですか、と言いたくなる。

こっちなんて最初からないものを追い求めて疲れ果てたというのに。

都合のいい時だけ障害者を連れて行って恩恵にあずかろうなんて虫のいい話である。およそ人間として軽蔑する。

もう失われているから埋め合わせの福祉サービスがあるのであって、何も欠けていない人に与える福祉サービスなんて存在しない。

白杖を使っていたり、盲導犬を連れている人とかを見かければ可能な限り最善を尽くす。出来ないことがあるからである。

その辺を歩いている人には余程困った顔をしていない限り何をしてもお節介である。何も欠けていないからである。

福祉の制度は都合のいい人が得をするためにあるのではない。何かが足りない人に対する配慮だと考えている。

自分には関係ないのに割引や免除という言葉で人間を引っ張り回すなんて実に罪深い行為である。

誠に遺憾である。