毎年この時期になると忘年会とか何だかんだと言われますが、忘年会という概念そのものが忘れ去られればいいなどと思う。
基本的に空気の読めない人間にとって普段と違う場や、酒の入った場というのはただでさえわからない場の空気が一層不明瞭になり、
何をしていいかも分からず座って虚空を見つめていたり、特に酒が入ってうるさい人を避けなければならなかったり、
飲み会にいる時間を家で何かを作っている時間に充てればもっと有意義なことが出来るのに、などと思いながら過ごしていた。
当然そんな奴が飲み会で歓迎されるはずもなく、だったら最初から呼ばなければいいのに、と思いながら虚空を見つめていた。
奢るとか面倒である。奢る人の心は驕ってはいないだろうか。後腐れのないようにしておきたいが後腐れしか生み出さない。
お金のかかる人間のやり取りなんて大体そんなものである。人の時間を金で奪って感謝されようなんて話が甘すぎる。
人付き合いが苦手な人間に人付き合いの時間と機会を増やしたからといって、人付き合いを乗り切る技術もスキルもなければ、
二時間プラス二次会は単なる時間の無駄と言っても何ら差し支えないだろう。
障害者であるが故に資金に余裕もなく、飲み会を奢られたとしても交通費、宿泊費はかかるので低収入の人間は移動するだけで辛い。
酒が入れば車で帰れなくなるし、まっすぐ帰れない分支出が嵩むし、それで得られるものが臨機応変さが必要な人付き合いの時間だけ、
つまり飲み会で得られるものの大半はストレス、ということに私はなってしまうのである。
となるならば早急に帰るか最初から出ないかくらいの選択肢はあってよい。
そんな奴なので他人なんて飲み会に誘わないし、誘われないし、飲み会に行ってもすることもない。沈黙が支配する時間を提供するだけである。
根本的に飲み会に向かない不器用な人間は存在するわけで、そういう人を無理矢理巻き込むことが空気を読むということならば、
そんな空気なんて読みたくもないし、もう少し他人の時間を大切にするという心がけが生まれても良いはずである。
何故に酒の席というか宴席というのはやたらと求められるのか。そんなに酒が飲みたいのか。誰かを巻き込まないと気が済まないのか。
人を巻き込みたいと全く思えない自分はもう一人になったら誰にも連絡もせずに一人で過ごしている。
場を盛り上げるほどの空気も読めない奴、宴会自体が向かない奴に席を提供することこそがパワハラではなかろうか。
誠に遺憾である。