題名から唐突にSADSから始まりましたが、曲が出てから今までこの通りに思っている。
私にとって人の多過ぎる場所は文字通り狂った場所である。
最近は「狂った」という表現もなんか後ろめたさ、というか規制でもかけられるのではないか、というぐらいのポリコネ具合なので、
もうクレイジーと言ったら規制みたいな空気がしていてよろしくない。
自分が発達障害だというのに「発達障害」という言葉を使えなくなればどう自己を表現すればいいのだろうか。
閑話休題。とにかく人が多いと臨機応変という発達障害のほぼ天敵みたいな状況に毎時晒されるので、
物理的なことだけでなく、精神健康的、精神衛生的によろしくない。
旅に出た品川とか上野とか浜松町とかの駅で何回圧迫されて死にかけたことだろう。
もういいよ人間なんて存在が億劫だ、と電車に揺られながら何回思ったか知らない。
人が、他人がいないことに幸福を感じ一人であることに意義と幸福を感じるような人間は東京に行ってはいけません。
初っ端で家賃と住宅環境で殺されかけるのが関の山です。私のような年金生活者とか、東京でどう生きればいいんだ。住んだ事はないけど。
夢とか希望とか人の中に埋没するようなものをどうやって掴めというのか。意味がわからないよ。
もう成功とか栄達とかどうでもいいですからのんびりスローライフを送らせてください、
それがダメならスローなガンを、という意味不明のスローガンでも掲げなければいけないだろう。
人間に疲れ果てて、人間の追い求める幸福とは何かと哲学的に問い始め大体が虚しくなり、
それでも追い求めなければいけない物とは一体何なのか。
虚栄のような東京の高層ビルを眺めながら、人間として歯車になるようなことって人間性としてどうなんですかね、
そんな人間を眺めて過ごしているから精神を病むのではないですか、などと、
生まれてこのさき田舎から出ない、旅でしか都会を見た事のない人間は何となく思うのである。
都会に出なくてもうつ病とか適応障害とか精神科医に言われたので、都会に出ればさらに効果覿面に病んでいる事であろう。
人間に疲れるからである。
人間に疲れるやつが人間だらけの場所になんて行ってはいけません。移動するだけで精神に重荷を抱え込んでしまう。
過疎地のスッカスカの過疎り具合こそが人を救うのである(意味不明)田舎由来の人付き合いさえなければ。
何物にも染まらず、ただ自分がいるところの、孤独を噛みしめられる空間こそが私の望む物である。
誠に遺憾である。