霧の深い隠遁願望 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

秋の瀬にぼんやりと人と離れたくなる。

ほぼ毎日人間って短期間付き合うならいいが、長期間顔を突き合わせると何か憂鬱になる。

私が積み上げた不安やトラブルの実績が積もって可視化されているからである。

縁のない人間には一日二日の間だけで、その後会う義務とかもないのだから、ちょっとしたトラブルなら忘れ去られてしまえる。

義務的なやり取りなら何とかなるが、一年二年と顔を合わせると、軽いトラブルを起こしたとしても、あれ、このトラブル前も起こしたよな、とか、

また始まった、とかしょっちゅう思われるから、思われない場所に行きたいと思えば世の中から身を隠すしかなくなる。

地域社会、勤務先、それから紛れもなく家庭、そのどれもがぼんやりと真綿で首を絞めてくる。

緩やかに処刑されている気分になり、時折生きている気がしなくなる。

自分の行状がどう考えてもよろしくなく、マナーやルールを身につけてどうにかなるものでもなく、

トラブルの原因が人間関係の感情的な不具合と、臨機応変に行動できないことが元凶のようなものなので、

何処に居ようが何処で暮らそうが人間がいれば事故は起きるのである。

自分のことを自分だけで片付けて、誰も見ないのであれば自己責任で済ませられるが、

そこに誰か一人でもいれば見た事故は記憶されるわけで、過ごしにくくて仕方がない。

もう何も喋らないし何もしないから置物である権利かすぐ帰る権利を下さいと言いたくなる。

そして何をするかと言えば一人で何かの研究に没頭するだけである。

誰かといるだけで救われている気がしなくなる。見放される権利とか放置される権利とかないけれど無性に欲しくなる。

別に犯罪的とか反社会的な願望とかないのに人付き合いが悪いだけで何かを言われかねないので、

人間って実に面倒ですよね、などと思いながら家庭内でもほぼ一人で暮らしている。

それ引きこもりですよね、と言われたら返す言葉もなくなる。

一人で暮らしていたら何も言われないのに、人と暮らすと常に何かを言われる。

誠に遺憾である。