精神的な意味で人使いの荒くない人間 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は人を使うのが好きではない。人を使うくらいなら自分でできる事はやる。

やれない事、電気とか水道とかきのこ狩りとか野食ハンターとか、下手に手を出したら生命に危険が及ぶものだけ人に頼む。

何かが欲しければ自分で買いに行く。何かを見たければ自力でそこまで行く。行けないなら行かない。

人に乗っけてもらおうなんて一寸たりとも考えない。福祉車両の送迎以外は。

人にものを頼まないのは人にものを頼みたくないから、などとトートロジーが発動していますが、

人が一人でも絡んだら面倒だし機嫌は取らなければいけないし他の人を気にしなければならないから行きたい場所に行けなくなるので、

なるべく一人で行動する。三人くらいいたら残りの二人で行動して、とか、

二人なら帰る時間と場所だけ決めて後は各々の好き勝手にどうぞ、と言うだろう。

出かけた先で話をしようとか食事や酒でも飲むとか人付き合い関係のことは一切考慮しないか排除して時間を過ごしたい。

一人で何かを見ていないと、私は何かを見た気にならないし、人が視界に入るのは正直邪魔以外の何者でもない。

出かけるとしても自力でいけるなるべく人のいないところか、あるいは自分を知っている人のいない所とか、

店でも人にお構いなく自分の道に没頭出来るような場所にしか行かない。

音楽は聴くがライブには行かない。クラシックのコンサートなら行くが、それは厳格なルールが決まっているからである。

自由に行動するなんてクラシックに対する穢れのようなものである。できればロックとかメタルも不動で聴きたいが世の中はそうではないから行かない。

そのような細かなこだわりが幾重にも張り巡らされているから他人なんて巻き込むわけには行かない。

自分が機嫌が良くなることに他人が絡んで気分が良くなるというのは極力少ないか皆無に近い。

気分がいいのは自分を含めたバンドメンバーで出す音が全員ガッチリ決まって良い曲になった時くらいである。

自力で出来ない事は無理しても大怪我をするだけである。大怪我をするのは物理的のみならず精神的にも同じ事である。

人の機嫌をどうやってもとれない、お世辞がお世辞として機能しないような人に人とのイベント参加なんて、

本当に事情がわかっている人でもいなければやっていけないが、それだけの為に人の時間を割くわけにもいかない。

そして僕は途方に暮れる。結局なんでも可能な限り一人でやれば自分以外の人が困らないからいいではないか、

人を巻き込んでしまわない方が私は何かと安心できる。人がいるというのは、人の起こす何かを考えて動かなければいけないということである。

しかし人の考えとかその場に適した行為が全然読めない場合、自他共に害にしかならないので、

ため息を漏らしたくなるくらい人付き合いが下手だともう人間なんて要らないというのである。

誠に遺憾である。