死んだ扱いにでもされたくなる時 | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

この国は法制度は実に厄介である。

戸籍上の縁を切りたくても謄本で消せないものは消えないのだから。

仕事のことで精神的にまいっている時以外、私はおおよそ一人で過ごす事を念頭に動いていた。

一人暮らしをしている時は家に誰も呼ばないし呼びたくもないし来るな、と念じて電話がならないようにオーラをかけて過ごしていた。

当然人付き合いもしないし、連絡先なんて教えたりもしない(むしろ作業所では禁止されている)しSNSなんて論外である。

一人になってはじめて出来るようになる事は実に沢山あるし、それだけで一日は簡単に終えられる。しかし誰かが来れば全部台無しになる。

台無しになるようなことを敢えてしますか、と言われたらしないと即答するだろう。

別に知人でも(そんなにいない)友人でも(いない)家族でも特に言うことに変化はない。

つまり一人が私の生活のスペースであり広げられる限度というわけである。

誰かの足跡とか戸を開ける音を聞いてよけるとかそんなもののために生まれたんじゃない。

鴨長明とか吉田兼好とか尾崎放哉とか種田山頭火とかそういうスタイルが理想、

山奥とか寺の施設の端側とかとにかく人気のないところに逃げたいという欲望は十代からある。

いまだにその願いは叶えられていない。人付き合いをゼロにしろとは言わない。

自分に釣り合わない人間関係を断捨離してスッキリ出来ませんかというだけである。

まあそれで大半の人間関係はなくなるのですが。

あなたは山で修行をしている行者に世の中は楽しいから帰っておいでと言いますか。

寺院で作務に追われているお坊さんにいやそんな事をしてもつまらないだろうから俗世に来いとか言いますか。

私に人付き合いをしろというのはそういうノリで言われている感覚なのである。

孤独を基本にして生活スタイルを組み立てている人間に人間の楽しさを説いても、前提が噛み合っていないから話が通じるわけがない。

孤独になりたがるというのは人と人の間で疲れていたり、人付き合いで自他共に苦痛になる経験を積み重ねてきたからなるわけで、

特に脈略もなく一人になりたいとは言いません。前置きと積み重なりがあって理論的ではないけれどもある程度の因果はあるわけです。

もちろん完璧に孤独になればいつ死んだかもわからなくなるので、本当に必要な人とは付き合いをする場合もありますが、

それはお前じゃない、とは言いたいわけである。誰にも付き合いをする人間を選ぶ権利はあるのだと思います。

私の場合許容範囲がとてつもなく狭いだけですが。

新型コロナウイルスが5類になる前、人の集まるイベントとか宴会とかが制限された時、

嗚呼もう無闇に集められたりしないと私はとても歓喜したものである。どうせならずっとナシになりませんか、などと。

自分の障害が原因で空気を読めと言われたり場の雰囲気が悪くなったり、義務ででている飲み会に楽しさなんて求められますか、

それ以前に宴会なんて本当に何をしていいかわからない上にいる意義が見出せないから一刻も早く帰宅したい、と思うばかりの宴会でした。

バーカ!滅びろ飲み会!!なんて何回思ったか知りません。

移動時間と騒ぐ時間とを、一人で音楽鑑賞とかリラックスできる時間にして下さい、と何回頭の中で思ったことだろう。

人付き合いが不適格な人間を強引に巻き込んだとしても厭世感が増したり、場に不適切な行動をして追い出されたりするのが関の山です。

なんというか私としては、人間、もっと静かに、もっと密やかに過ごさないのですか、

あなたたちには一人でないと出来ないことはないのですか、と言いたくなる訳である。

漫画で言えば井之頭五郎をより孤独に孤立に特化した感じだと思って頂ければ宜しい。

なんかもうあらゆる時間が誰にも邪魔されず一人で救われていないとダメなのである。

そんなのが集団生活をこなせるとお思いですか。自分は思わない。原因となる実績と実例なら山ほど、腐るほどある。

いちいち話にしなくても実際、集団生活の場や宴席に出ればそんなに時間がかからずに嫌でもわかる。ああ自分は不適格なのだと。

とても身につまされて帰るのに次なんて考えると思いますか。それは憂鬱でしかない。

いい加減私を一人にしてくれませんか、何なら縁も切ってくれませんか、

昔なら中年に差し掛かる時には親は寿命でいなくなっていることが多かった、

つまりある程度歳をとればある程度自然に周りの人間が減るようになっていたのが、

健康的な生活、医療の進歩で長寿化して歳をとっても親がいなくならない。それどころか場合によっては長期間の継続的な介護、支援が必要になる。

場合によっては案外長生きしているのに親より先に亡くなる場合もある。8050問題とかあるが、9060問題なんて考えたくもない。

障害者福祉に寄りかかって過ごしている自分なんてしばらくすればまさに8050問題の渦中の人間じゃないですか。

親にかける迷惑を考えたら早く家出したい。というか出家できるものならしたい。

しかし生活の基盤がないから結果的に家にいることを選ばざるを得ない。

障害者年金はあるが、田舎なのでそもそも障害者雇用なんて雀の涙のような件数しかない。

たとえ勤務先が見つかったとしても精神なので家を借りられるかもわからない。

などと考えたら憂鬱以外になにもする事がない。親離れした途端に生活保護とか笑えない結論になりかねない。

でも早く名実共に一人になれないかと実家の中で思っているわけである。

誠に遺憾である。