孤独が怖いのではなく進んで一人になりたい | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

よく「孤独になるのが怖い」とか言うじゃないですか。私からすれば「孤独になれないのが怖い」訳です。

そこに誰かのいる恐ろしさなんて言ってもなかなか理解してもらえないだろう。何かの心理療法でもやってとか勧められるかもしれない。

医者とソーシャルワーカーとメンターと福祉作業所くらいは繋がりをもっておいて、

それ以外の人間関係を親族含め断捨離しておきたい衝動に駆られる。むしろ親族こそ優先的に切り捨てたり投げ捨てたりしておきたい。

こういうのってなんて言うんですかね。面識があり昔から顔を突き合わせている人ほど離れたくなるような気分を。

昔なら、鎌倉とか室町とかならまず出家していたことだろう。この世は実に儚い、と言いながら。

家出をして盗んだバイクで走り出す訳にもいかないが、障害者手帳があるため勝手に家出しても手帳から顔と住処がバレる。

それで要注意人物になって一回精神病院に入院でもした方が、積み上がった問題を下手に抱えるよりも清々するだろう。

入院なんてしない方がいいのは言うまでもありませんが、誰かと過ごすととにかく手段を問わずに一人になれるしょうもない方法を考え出す。

私の本心は別に孤独死したり不健康で寿命を縮めてもいいからとにかく一人になって、親族のもたらすイベント、

特に冠婚葬祭に出ない権利を与えられたい、葬式に出させられたら焼香を遺影か位牌にぶちまけるような感じ(織田信長風)でやっていきたい。

死後親戚に迷惑もかけたくないので市町村の合同葬の申請は検討して実行する手前に来ている。あとは死んだらちゃんと直葬されるだけてある。

それこそ何となく生きてるけれど社会的に抹殺された扱いになりたい、

という、お前狂っているのか、正常じゃない考えだといわれても確かに私は狂っています、と言い張るくらいにはとち狂っている。

人間の鎖は抱えるほどに重くなる。心の問題を処理できない人間が下手に抱えて無事で済むものだとはとても考えにくい。

そんな負担を精神障害者に負わせて何の足しになると言うのか。何の足しにもならないどころか周囲もついでに薙ぎ倒す。

私の言動にはそれくらいの毒がある、勝手に毒を撒き散らすなら隔離した方がいいのではないか、

などというようなことを、発達障害の診断後から年金が支給されたあたりで、手を変え品を変え事あるごとに繰り返し思っている。

人間の精神的な重さに自分の精神が軋んだ音を立てて限界だと言っている。

それでも家族だから抱え込まなければいけないのだろうか。家族にしてもらっていることに良心の呵責を感じたら猛烈に逃げたくなる。

返せるものが手元になにもないと、本当に手のうちようがない。年月とともに借りが増えていき、雪だるま式に膨らんで負債を返せない。

お金なんてないが、あってもどうしようもない。かけているのは金銭だけではなく精神的な負担も同時に強いているからである。

バツが悪すぎるので探さないでくださいと言って消えられるなら消えてもいいだろう。追ってこられた時には過去が私を殺しに来たと思うだろう。

無償の愛、なんて簡単に言いますけれど、それを受けている身分でありそこから動けないことほど恐ろしいものはない。

借りたものは返さなければならないと思うので、きっちりと熨斗をつけて返したいが、身分上特に返せるものはない。

愛とかなんとか言いますが、感情的な繋がり、が私には見えていないし、見えないからどのようなダメージを繋がりに与えているかもわからない。

共依存なんて本当に恐ろしいじゃないですか。金銭的には全く自立できないが、その状態で精神的に寄りかかるなんて狂気の沙汰である。

逆の身分、お金を支援するような身分には逆立ちしてもなれないから、上下なんてない一人に猛烈に憧れるのである。

一人になれば勝者もいない、敗者もいない、外からくる客には居留守しか使わない。

別に救われなくてもいいから、人間離れは可能な限り早めにやっておきたい。

誠に遺憾である。